2017年4月27日木曜日
浅い浅い、表層をなぞるだけ
「東北でよかった」と発言した復興大臣が更迭された。それに対して「政治家が何か話したら、マスコミが一行悪いところがあったらすぐ『首をとれ』という、なんちゅうことか。」と「恨み節までぶつけた」と報道している。私の思ったこと。
(1)政治家にかぎらないが、発言が表層をなぞるだけになっている。「(安倍一強という)緩みがあるのではないか」とメディアも指摘するが、それよりも哲学がない。それこそが問題ではないか。「東北でよかった」というのが「一行」の発言というのは、「大震災が人口密集の首都圏で起こっていれば23兆円という被害ではすまなかった」という文脈にあったのを、そこだけ切りとって非難していることを指す。そうなんだ。もし「東北でよかった」と言わずに、「もしこれが東北でなく首都圏で起こっていたら……」と発言していれば何の問題もなかったろうと、二階幹事長は考えているにちがいない。
(2)でも「一行」に、大震災被害地、被災者を軽んじる趣がある。そのことが癇に障る。そう受けとめて反発している。大震災の時に福島原発がメルトダウンを起こしたとき、時の首相が「向こう三十年住めないことになる」と表現したことを、「ひどいことを言う」と反発したのも、マス・メディアであった。「ふるさとを奪われた人たちが30年も帰れないと(時の首相が)いうのは許せない」と自民党も同調して非難した。だがのちに、その発言をした時の首相を責めるよりも三十年住めないところを生み出した「福島原発」それ自体を責めるべきであったと、(故郷を奪われた人たちには)わかる。それは、その時の首相に変わって首相の座に就いた「なんでもヨシヒコ首相」が原発事故終結宣言をしたときであった。この終結宣言が、政府と東電と、要するに人口密集地域の「支配グループ」の意を汲んだものであることを感じとったときであった。だが、その宣言は、支配システムの壁に阻まれて動じることはなかった。メディアは、そのときどきの気分で報道する。だからかつて「ひどいことを言う」と非難したことを忘れて、後には「三十年も住めない」という状況になぜ向き合わねばならないのかと、被災者を代弁する。非難したり代弁したりするのはメディアの役割なのだから、行きすぎたり浅慮であったりしても、そのときは構わない。カミツキガメのようなもの、時の政権に噛みつけば、そのお役目は半ばはたしているのだから。だが、カミツキガメである限り「特ダネ週刊誌」と同じ域を出ない。私はもう少し、メディアには、私たちが気づいていない(あるいは気づいていても触れたくない)ところを衝くような報道をしてもらいたい。それこそが「知る権利」なのじゃないか。そしてそうしてこそ、カミツキガメが政治家の浅慮をついて、思慮深い政治家を育てるのじゃないか。またそれが何十年、何百年と積み重なって、深く考える気風をもった市民社会を育むのではないかと思う。
(3)もし今回の復興大臣の更迭に学ぶとすれば、大都会と地方とは明らかに宗主国と植民地の関係になっているということではないか。原発依存をつづけるかどうかという論議に決着をつけるなら、首都圏で必要なものは首都圏に原発をつくって賄うべきだと私は主張する。そう言うとかならず、「もし何かが起こったときの被害の大きさを考えたら、そうはいかない。お前の主張は端から原発をつくらせないようにするトリック・ロジックだ」と反発を受ける。もう少し穏やかなインテリは「それは効率の問題ですよ。万一の場合のリスクを最小にするのは人の智恵というものです」といなしてくれる。だが、福島の原発事故が明らかにしたのは、もはや首都圏と地方は(同じ次元で言葉を交わす)共同性をもっていないということであった。もちろん現今の「北朝鮮情勢」や「トランプアメリカとの対峙」というときには、たちまち一体化してしまうのだけれども、国内問題をめぐって言葉を交わすときには、すでにすっかり中央集権的な支配システムに取り込まれていることをひしひしと感じる。今回更迭された復興大臣の発言が示したことは、これであった。もはや原発被災地は、首都圏の植民地なのだ。
(4)もし復興大臣の首をとるこのならば、以後大胆にこの「宗主国―植民地」モンダイに切り込むという視線がメディアにも政治家たちにも備わらなければならない。なぜ福島は「植民地」に堕してしまったのか。どうして首都圏は、かくも「宗主国」として振る舞えているのか。明治以降の統治システムにおいて何が問題であったか。いまそれらをどう修正し手直しして行けるか。にもかかわらず、自今以降も「日本」という共同性を保っていこうとするなら、日本の社会には何が必要なのか。
政治家は何を心得る必要があるのか。市民は何を心掛けるべきか。そんなことを、丹念に掘り下げて探究する、どういう地点に立っていると思う。
「任命責任」を感じた安倍首相は間髪を入れず(復興大臣の失言を)「陳謝」したという。そんなことは焼け石に水にもならない。浅い浅い、表層をなぞるだけなのだと、肝に銘じてもらいたい。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿