2017年4月1日土曜日

しずかな晩冬の奥日光


 那須の雪崩事故で高校生が死傷したことを受けて、栃木県教委は「高校生の冬山登山は禁止」とする方針を出している。だが、そうか。「あやうきに近寄らず」は、たしかに安全確保のひとつではあるが、それでは「山岳部」の技量は上がらない。高校時代から(冬山)訓練する必要はないと考えているとしたら、人の成長と運動技能の向上の関係を見損なっているとしか思えない。つまり今回の栃木県教委の方針は、学校教育の「保身」としか思えない。そんなことを考えながら、昨日は、奥日光の高山を歩いてきた。


 奥日光の山はまだ雪の中。平地の早春に見合うように言えば、晩冬。那須の雪崩事故のように、前夜から新雪が30センチ以上も降り積もれば、表層雪崩が起きてもおかしくはない。だから雪の山に入る前は、一週間前からその地の気象に注目を凝らす。平地の気温は高くなったり低くなったりおちつかないが、新雪はそれほど降っていない。でも独りで入山するから用心はしなくちゃならない。奥日光の自然を調査したりガイドする仕事をしているMさんにメールを入れる。

《明日、高山に登ります。竜頭上から入り、熊窪と小田代ヶ原との峠を通り、エコバス道路に降りる行程。たいへん押しつけがましいのですが、入山するときと下山したときにあなたのケイタイにメールを入れます。よろしくお願いします。》

 早速返信が来た。

《了解。登り口に近い沢のところで先日雪崩がありました。明日の天気ではそれほど心配はないと思いますが、気を付けていってください。》

 当日の天気予報は「曇り空、気温は低く、冬のように寒くなる」と。8時半に登山口に着く。駐車場に他の車はない。準備を整えてMさんのケイタイにショート・メールを送る。《これから登ります。四時間で下山予定。下山したらメールします》。これで安心。万一何かあっても、一晩持ち応えれば、救助が来る。

 歩きはじめの雪はガリガリ。軽アイゼンの方がいいかとそちらを履く。だがすぐに、スノーシューに履き替える。斜面にかかると吹き溜まりの雪が深く、軽アイゼンではずぶりと沈むところがある。歩きにくくて仕方がない。一、二日前の古い先行者の踏み跡が残っている。この人もスノーシューで夏道と思われるコースをたどっている。と、別の方面からもどってくる足跡もある。なんだこの辺を散歩しているのか。わが高山へのルートに思いを凝らす。踏み跡はしかし、高山へ向かう急斜面を直登している。雪は深い。沈み込んだ踏み跡は固まっているが、凸凹に荒れて歩きにくい。

 斜面がもっと急になり、立ち木につかまって身を持ちあげるようになったところで踏み跡は途絶えている。先行者は上るのを断念して、ここから引き返したようである。見上げると稜線まであと20mくらいか。どうしてここで断念したのだろう。木につかまって登る不安が、この先のルートの厳しさを思わせ、自分の力量との落差を推し量ったのであろうか。

 稜線に出て、スマホを取り出して、地図に重ねてGPSの現在位置をチェックする。夏道は木につかまる辺りより下でトラバースして、私の立っているところより先で稜線に出るようになっている。だが雪が積もっている夏道はただの急斜面が切れ落ちているように見える。そこをトラバースするのは、勇気がいる。むしろ木につかまってでも直登した方が気持ちが楽なのだ。でも稜線に出たことで、高山へのルートははっきりとする。なにしろ、さほど広くない稜線だから、間違えようがない。だが斜面と違って、雪がそれほど固まっていない。スノーシューを履いていても、ずぶずぶと深く沈む。人が入っていないのだ。

 稜線上でも急な斜面が随所にある。比較的なだらかなところには吹き溜まりになっていることが多い。雪の下の模様は踏み込んでみないとわからない。地面とか大きな岩とか太い倒木の上に降り積もっていたら、脚をのせることができる。シャクナゲなどの低木に降り積もっているだけだと、脚が引っかかたりして、バランスを崩すことにもなる。後ろに転倒でもしたら、斜面を転げ落ちる。吹き溜まりに踏み込むと、左右の脚の踏み出す一歩が、ほんの数センチにしかならない。膝で雪の前面を抑え、スノーシューの脚をそこへ置くが、すかすかと踏み抜いてしまって、身を持ちあげることにならないのだ。ストックを前の雪に突き刺す。すると、1メートル30センチほどに伸ばしているストックが持ち手のところまで埋まってしまう。でも埋まったストックを支点に身体を引き寄せて、膝で雪面へ這いあがる。これが本当に雪深いところでの「ラッセル訓練」というやつだ。

 まるでラッセル訓練のような登りが高山山頂まで続いた。2時間10分。おおむね夏道歩きの二倍の時間がかかっている。面白い。なんだろう、この面白さは。達成感かな。独りで歩いているという誇らしさかな。「危ういところという状況」がまずあって、そこに身を置いている実在感かな。つまり、「危険なところ」に行かせないという栃木県教委の方針は「山に登るな」という意味しか汲み取れない。

 男体山が木々の間からど~んと胸をそらして見える。下には中禅寺湖が静かに水をたたえ、対岸の社山が雲と同じような色をして憂えてみえる。北側には戦場ヶ原が白い姿をちらりちらりと見せている。スマホを出してGPSと照らしてみると、夏道地図の方面に下山路の標識が立っている。あとは下り。まずは急斜面。そちらへ向かう。

 山頂からジグザグに降りるはずの夏道はまったくわからない。傾斜は急角度。木立がなかったら、ビビるところだ。雪は少し硬くざらついている。踏み込むスノーシューがずぶずぶと沈む。エッジを立てると安定して止まれるから怖さはない。木につかまりながら、標高差150mほどを降ることにする。途中の足場が大木でせき止められて安定しているところで、スマホを出して位置を確認する。地図は表示されるのに、GPSの赤い△マークは、山頂から動いていない。見上げるともう、距離的に100mは移動している。ありゃまた、電池が少なくなって、衛星との位置更新ができなくなったのかもしれない。幸い下の方の見通しは悪くないから、ある程度標高差を降ったら西の方へ向かへばいい。ところが、木立が切れるあたりは、上部の雪が崩れ落ちて凸凹のデブリができている。そこを通過すると、表面がガリガリに凍っていて、スノーシューのストップが利かない。見上げると雪面の亀裂が走っているのも見える。そこを避けるように、木立の多い方へ移動する。

 こうして下の方に平にみえるところが出てくると、高山と対面する山の稜線の間、つまり峠を目指して、トラバース気味に下る。2月に中禅寺湖の熊窪から登った見覚えのある地形が下の方にある。ここここと、それまでのおおよその見当が確信に変わる。30分ほどで峠に着いた。あとは2月に歩いた通りだから、ワケはない。だが、雪が深く湿っぽくなっていて、けっこう負荷がかかる。ミズナラがカラマツに変わり、シラカバとズミが林をつくる辺りを抜けて、小田代ヶ原へのエコバスの道路に着いたのは12時。Mさんに《エコバス道路に無事下山、お騒がせしました。ありがとうございました》とメールを入れる。

 エコバス道路に雪はすっかり除雪されていた。2月のときは、まだ雪が積もり、一部は凍りついていた。私はスノーシューを脱いだが、皆さんはつけたままで赤沼まで歩いた。スノーシューをとる。ストックで肩にかけ、気分よく歩く。正面の男体山が、太く背の高いカラマツの間から顔をのぞかせている。道路両側の雪は除雪のときに盛り上げられたまんま、背の高さほども盛り上がっている。南側に、今日歩いた高山への稜線が黒くシルエットをみせる。私の主宰する山の会の、来年のコースとしてどうかと考えて歩いてみたが、難しいかな。上りの厳しさはともかくとしても、下りの急斜面は(雪の状態にもよるが)ビビッて動けなくなる人も出るかもしれない。それよりは、このカラマツのあいだをスノーシューで散歩するような山行の方が、年寄りの冬山としてはいいかもしれない。誰にも会わなかった。しずかな奥日光であった。

 石楠花橋のところから竜頭の滝上駐車場へ向かう。ここはたっぷりの雪、人の歩いた足跡はある。シカ柵の扉が通れるかどうか心配だが、行ってみることにした。だが歩いていると力が抜けるような気分になる。そうだ、お昼を食べていなかった。雪にスノーシューを並べ布いて腰掛けてサンドイッチを食べる。テルモスのお湯が胃袋に気持ちいい。と、若者が3人ストックももたず、ふらふらしながらやってくる。「こんにちは」と挨拶する。竜頭の滝へ行くようだ。シカ柵の扉のことをはなして別れた。食べ終わって歩いているとシカ柵のところで、先ほどの三人に追いついた。人一人やっと通れるほどに扉が動く。若者の一人が扉を抑えていてくれる。いや、ありがたい。彼らの歩調が遅いので、私はわきの雪だまりを歩いて追いこす。彼らの話している言葉が中国語なのに気づいた。こうやって、日本に来て、雪を見て喜ぶ台湾の人が2月にもいたことを思い出した。

 車に戻って装備を解き、ケイタイをみるとMさんから《よろしければ寄って行きませんか》とメールが入っていた。夕方にはもう一つ予定があると断って、帰途に就いた。入山・下山を伝える相手がいて、安心して登る。歳をとって、一緒に歩いてくれる人が少なくなってからは、こんな単独行が多くなった。「年寄りが遭難すると、同情もしてくれないぞ」と私の兄は忠告する。その通りだね。若い人が遭難死するのは、痛ましい。年寄りが遭難死するのは(消え去るのみの実践のようで)、羨ましいってところか。

0 件のコメント:

コメントを投稿