2017年4月25日火曜日
自然と向き合う(己の)裸の存在――天皇制と私(4)
伊勢神宮を参拝したアーノルド・トインビーが、「Here, in this holy place, I feel the underlying unify of all religions. 」(この聖なる地で、私は、あらゆる宗教の基底をなしている統一なるものを感じる)と墨書したそうです(三橋健『伊勢神宮』)。西行も「なにごとのおはしますをばしらねども かたじけなさに涙こぼるる」と謳ったというのは、有名な話です。私は、「場」に深い感懐を刻むのは日本人のエートス(気風)かと思っていますが、トインビーの「墨書」などを知ると、なるほど論理的と感心してしまいます。「あらゆる宗教の基底をなしている統一」というのは、始原のことでしょう。つまり、伊勢神宮に身を置いて、自然と向き合う(己の)裸の存在を感じているのでしょうね。それを西行は「かたじけなさ」と表現した、と。
三橋健は、『伊勢神宮』(朝日新書、2013年)の最後に、仏教と神道の権威が「伊勢参宮」について交わした言葉が記されています。なかでも、禅宗の夢想国師(夢想疎石)と「神道界の第一人者であるその」外宮の一禰宜・度会常昌との邂逅に触れ、「ここに参宮への祈りは深められ、ひとつのピークを迎えることになった」と「真実の参宮」について述べているくだりがあります。
《常昌は、伊勢神宮に参詣するときに重要なことは、外清浄と内清浄であると説いている。外清浄とは精進潔斎をして身体を清め、罪穢れに触れないことである。一方、内清浄とは胸中に冥利の望みを持たないことであると述べている。世間一般をみると、神前へ幣帛を捧げ、読経や神楽を奏して慰めているが、これは自分の胸中にある名誉や利益を神様に願っていることであり、内清浄とは言えないと説明している。》
つまり、「祈らない祈り」こそが伊勢参宮の「真実の姿」とみて、さらに補足しています。
《「内外の正常」のうち、「内清浄」は「正直」、「外清浄」はいわゆる「清浄」にあたる。……その内外が和合したとき、「真実の参宮」が実現する、と。正しく生きることは、「清く」生きることなのである。》
夢想疎石は内宮の社殿の様子をみて「古崖にはコケが重なり、大きな杉の木が枝を交わしているそのような雰囲気の中に、遠い神代を見る思いがした」と述べているそうだ。「内宮の森は清浄、神秘であり、時空を超えて存在してきた霊性が満ちていることを、疎石は全身全霊で受け止めているようである」と三橋は読み解いています。
常昌と夢想疎石の「感懐」は、冒頭の西行の「かたじけなさ」の正体を言い当てようとしているように思えます。それに対してトインビーは、その正体を「かんけい」的に指摘しようとしていて、私は好感を持って受け止めています。妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、「かたじけなさ」は、その人の「感懐」であり、それ自体は「ほかに言いようがないこと」です。常昌はそれを「祈らない祈り」といい夢想疎石は「時空を超えて存在してきた霊性が満ちている」と言い換えただけとも言えます。それに対してトインビーの視線は「己」に向かっています。外に「己」を位置づけようという、今風に言えば、始原の世界に己をマッピングしようとしているようです。
「正直」とか「素直」とか「無欲」とか「無私」というのは、「私は空っぽ」といっていることです。たいていの神社も空っぽです。私はよく山を歩いて小さな祠や社に出くわすことがあります。奥社と名づけられていたりするわりには、プレハブの新しい粗末な建物だったりするのですが、そのほとんどは「ご神体」があるわけではなく、「空っぽ」です。イスラムの「偶像を認めない」というのと同じように、なにもないことを、好ましく思っている「じぶん」を感じます。よく欧米人に馬鹿にされる「ナイーブ」というのとも違う。「素朴で何が悪い」と居直りたい気分もぷくりぷくりと浮かび上がってきます。「空っぽ」というのは、じつは実体がないということであって、私たちは「かんけい的に存在している」ということなのだと思っているからです。
では、トインビーの言う「自然と向き合う(己の)裸の存在」とはどういうことでしょう。
いま手元に一冊の写真集を広げています。稲田美織『伊勢神宮――水のいのち、稲のいのち、木のいのち』(亜紀書房、2013年)。この写真集は、三橋健の著書とは全く違った伊勢神宮の切りとり方をしています。もちろん伊勢神宮の景観を撮ってはいるのですが、「神さまの山に抱かれている」ところから生まれてくる「水」が川をなし、身を清め、鳥居をくぐり、海に流れて再び山に還る。その水が苗を育て、田植えをし、稲穂が実り、稲を育て、神々に捧げる神事にいたる。さらにまた、千年以上に及んで木を育て、伐り倒し、運び、削り、組み立てて行われる式年遷宮とその都度に執り行われる神事を撮っています。つまり、天孫降臨に際して「斎庭(ゆにわ)の瑞穂の神勅」とされている稲作文化をもって渡来したときの「始原」を伊勢神宮はそのままに残し、そのときのままに、水を汲み、稲をつくり、火を熾し、神々に御饌(みけ)を捧げることを一日も欠かさず執り行っているというところこそ、(トインビーが目にしたかどうかは別として)「自然と向き合う(己の)裸の存在」を感じとり、それこそが、「あらゆる宗教の基底をなしている統一」なのではないかと受け止めているのです。もちろんそれを「かたじけなさ」と表現しても、「内外の清浄」といっても、「時空を超えて存在してきた霊性が満ちている」と言い換えてもいいのですが、その「自然」と向き合ったとき、言葉を失うような、心の奥底に触れているような感覚を味わうことが、「あらゆる宗教の基底」にあると思うのです。
伊勢神宮が天皇部族の出立点だとする「物語り」が人びとの心をとらえるのは、私たち(人類)が系統発生的に受け継いできた(無意識の累積も含む)「人類史的文化」と、重なる「かんけい」がしっかりと含まれているからにほかなりません。私にとっては、天皇制というよりも、人類史的な始原に端を発していまここに「じぶん」がいるという「普遍性」として、我が身の存在を感じているからです。逆に言うと、伊勢神宮と天皇制とは別のものとして、私には感じられているのです。では、伊勢神宮と天皇制は、私にとって、どこでどう切り分けることができるのでしょうか。そろそろとそこへ踏み込んでみたいと思います。(つづく)
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