2017年4月27日木曜日

たいへんな大山詣でを実感した


 10日前には「午後雨、降水確率80%」で心配されていた「丹沢大山登山」。一週間前には「曇りのち午後3時小雨、降水確率40%」となり、三日前には「曇り、降水確率10%、降水量0mm」となって、当然、行くことにした。山の会の月例登山。江戸のころから「大山詣で」と講までつくって行われていた。いまは日帰り登山ができる。秦野から登山口の蓑毛へバスで行き、浅間山を経て阿夫利神社下社からの表参道を通って大山に登る。下山路は日向薬師を目指すルート。


 バスの終点蓑毛で下車したのは私たちだけ。気温も上がらず薄ら寒い。用意を整えて歩きはじめる。9時5分。にぎやかな鳥の声が響き渡る。ガビチョウですよねとaiさんがいう。ペットが逃げ出してはびこったそうで、日本の野鳥には数えていないという。シャガの白い花が道筋を彩る。「あっこれ、オドリコソウよ」と誰かの声が上がる。10分ほどで上着を一枚脱ぐ。樹林の中に入っている。さらに30分ほど歩いて体温調節をする。常連の最高齢者、otさんが来ていない。歯が痛くなって突然の不参加。「いろいろと故障が出るわね」と皆さん歳を気遣う。このルートは「蓑毛のみち」と呼ばれていたようだ。あとで地元の土産売りの女将から「蓑毛道が一番楽だわね」と聞いた。ゆっくりゆっくりと身をあげる。45分で稜線の分岐に着く。浅間山と下社と大山の三差路。私は浅間山をみているから荷物番。ほかの方々は荷を置いて往復する。待っていると、キョキョキョ、キヨコ、キヨコと鳴く鳥の声が響く。ええっと、なんだっけあれ、ナントカツグミ……と思うが思い出せない。15年前に雪の白馬で聞いて教えてもらった鳥だ。みなさんは10分も経たないで戻ってくる。三角点もあり高い電波送信等も建てられている山頂標示の写真をmrさんが見せてくれる。プラスティックの小さな山名を書いた板が壊れて木に張り付けられている。

 そこから下社への水平道へ入る。kwrさんに先導を頼む。大山のいくつかの稜線の中腹を切り拓いて下社へのルートをつくったもの。くねくねと曲がり、少しばかりアップダウンするが道筋は広い。南の谷側は鋭く急傾斜で切れ落ち、陽ざしを受けて明るく見えている。鎖を設えたところもあるが、驚くほどの岩場ではない。しばらくすると、渓向こうから子どものはしゃぐ声が聞こえる。そちらへ目を向けると、向こう側の稜線を上るケーブルカーの駅舎がみえる。「ああ、その上のが下社だ」「なんだすぐだね」と声が上がるが、まだ道半ば。木の間ごしに海が見える。「あれは江の島だ」という声にmrさんはわざわざ引き返して来てのぞき込む。

 大きく屈曲した水平道を曲がると、ひょいと下社に出る。日曜日には混雑する境内も水曜日とあって静かで広々としている。社もなかなか荘厳、「大山詣で」を引き受けるだけの貫禄がある。msさんは拝礼をしている。ケーブル駅からの急峻な階段を上ってくる人もいる。ヤエザクラがやっと満開という風情で重たそうな花をつけている。ケーブルの下の参道の並びに「湯豆腐を食べさせるお店があるんですよ」とodさん。一度どなたかに連れて来てもらったときに下山後そこで食べた湯豆腐がおいしかったという。この大山に大豆をもって奉納する方が多く、ここの水もいい。それで豆腐づくりがはじまり、今や名物になっている、と。でも同じ表参道を下山するのは能がないというと、見晴らし台からこちらへ水平道を通ってくればいい、そのときもそうした、ときっぱりした口ぶり。でもなあ、ケーブルカーで下るってのも能がないというと、kwrさんがここからケーブルカーで下るんじゃなくて、歩いて降ればいい。下山道があるはず、息子が登ったことがあると、kwmさんが口を添える。それで衆議一決。下山して「湯豆腐を食べよう」と決まった。

 じつは私には、見晴らし台から日向薬師に向かう下山道に振り回された思い出がある。この見晴らし台を通って日向薬師に降りるとき、標高660m地点から東へ降る(地図上では)急峻な九十九折れ道がある。下り苦手の方がいることを思い、660m地点からまっすぐ南へすすむと、標高500mほどで林道に降り立つ。そこから林道を100mほど歩いてさらに浄発願寺へ下る登山道を抜けると、日向薬師バス停に10分というところに出る。時間の距離も短くていいのではないかと思って、歩いてみたことがある。ところが、途中でルートが失せ、むかしはシカ避けに使っていたのであろう金網も朽ち果てて倒れ、地図を頼りにさらにすすむと、みごと林道に突き当たったのだが、そこへ降りる手前10mほどのところで、崖になっていた。大きくヘアピンカーブする林道の、あちらこちらの降りるところを探したが、標高差で5mほどはつかまる木立もない。とうとうあきらめて元に戻り九十九折れを降るということがあった。もうひとつ、日曜日の日向薬師から伊勢原駅へのバスは1時間に1、2本あるのだが、平日は1時間に一本、ことに2、3時の間は1時間半に一本しかない。これといったお店もなく、ここで1時間半を過ごすのは困るなあとも思っていた。だから降ってわいたodさんとkwさんたちの提案は、この上ない朗報であった。

 「湯豆腐」という目標が見つかったこともあってか、表参道歩きは快調であった。最初の鳥居の右わきに「一丁目」とある。10時40分。道標には「山頂まで90分」と表示がある。山頂に「二十八丁目」があるというと、それが励みになって、かなりきつい傾斜の道をいいペースで上る。あとからくる若い人たちには道を譲る。彼らはたちまち姿がみえなくなるが、私たちはもっぱら感心するばかり。マイペースを崩さない。それでも7丁目、14丁目、21丁目というルートの四分の一毎に一息入れ、途中に咲く白い花をミネザクラだといったり、ナントカスミレだとか品評している。スミレは花ばかりか葉だけみても駄目で、裏側をみなくちゃわからないよ、難しいと言われて、私は敬遠している。「ぼたん岩」という面白い形の岩を愛で、「二十七丁目」の石柱を鳥居の脇に見つけたときには、ずいぶんと余裕があった。

 山頂に着いたのは12時ちょうど。コースタイムより10分も早かった。山頂からも湘南の海岸と江の島が一望できる。二、三人の人がいるだけ。奥社の社はシャッターを下ろしている。平日のサービスはないようだ。風が強く、冷たくなってきた。「こりゃあ下山したら湯豆腐と熱燗だな」と、つい声になる。風通りの少ないテーブルとベンチを選んでお昼にする。陽ざしが差してくる。下山路はちょうど風下にあたるから、ぽかぽかと暖かい。階段の多い見晴らし台への道は急峻ではあるが、汗ばむほど。少しばかり降りたところで着ていたものを脱いで体温調節をする。今度は西側の稜線の下の方、樹林の中に下社の社殿の屋根がみえて奥ゆかしさを醸し出している。白い花色のサクラがある。マメザクラだろうか。ミツバツツジの紫がかった色合いやハナモモらしい鮮やかな色が緑の樹林に際立つ。アセビやキブシもまだ花をたわわにつけている。13時半、見晴らし台に着く。50分のコースタイムだから、やはり下りが苦手なのか、疲れが出てきたのか。でも皆さんは元気そのもの。気温も上がり汗ばむ。「湯豆腐よりも冷ややっこだね」と山頂の前言を訂正する。

 そこから下社への水平道を辿る。こちらの水平道は(蓑毛のみち)に比べて谷側に鉄製のロープが張られ、ずいぶんしっかりと整備されている。ケーブルカーだがった、ケーブルカーへ戻る人が通る「表参道」なのかもしれない。途中に大きな滝があり、ずいぶん多い水量が流れ落ちている。二段になっていて二重の滝と呼ばれている大山川の水源。その脇の小さな社・二重社には、灌漑の神、雨乞の神が祀られているという。大山の水源の神。豆腐を頂戴するなら、ここにお参りしなければなるまい。

 すぐに下社の下に着く。ここからの下山路30分は急峻な石段がつづく。それも昔にしつらえられたまんまらしく、踏む石も寄せ集めのバラバラ、高さもいい加減、あまり歩かれていないらしく、苔がつき、狭い。ワイワイキャーキャー言いながらmrさんは下っていく。最後の方は、結構慣れた様子で面白がっていた。あとで立ち寄った茶店の女将の話では「むかしの人は足が小さかったから」という。また「雨が降ると濡れて滑りやすくなる。いつやらも若いスポーツマンが7段ほど落ちて、足をひどく怪我してかわいそうだった。あなた方は無事に降りてきてよかったねえ」と感心してくれた。なるほどケーブルカーが使われるわけだ。そうそう、その女将は「戦時中は鉄の供出でケーブルがなくなったから、みんな歩いて登ったのよ。女坂の方が下りにはいいわね」と付け加えた。むかしの大山詣での人たちが歩いた登山道を、今回の私たちは、上り下ったことになる。まさに大山詣でを実感した。

 この途中で真っ黒のツグミのような大きさの鳥を見た。なんだろう、わからない。くちばしがオレンジだったとkwmさんがみていたのが、後で調べるときの決め手になった。クロツグミだ。そうだ、蓑毛の道で聞いた鳴き声も、クロツグミのものであったと思い出した。

 この茶店の「冷ややっこ」はおいしかった。突き出しに出してくれたキャラブキの山椒味もコンニャクの甘辛煮も土産にもなっているらしく、「今風に薄味仕上げ」であった。こうしてバス時間まで30分ほどを過ごして大山詣でを終えた。

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