2017年9月2日土曜日

希望は自然に任せる白馬岳(2)ご褒美のライチョウに出逢う


 白馬山荘は驚くほど大きく、ゆったりと作られている。白馬尻小屋と経営者は同じだ。ゆったりという印象は、混雑シーズンではない天気のよくない平日だったからともいえる。広くとった廊下、この山荘が明治時代につくられた経緯を記した「資料室」、自炊室もトイレも広々としている。受付棟も、大きなレストランの独立棟もある。なにしろ18人しか泊まっていなかった。もっとも収容800人という額面通りに人がやってくると、とてもゆったりとは言えないかもしれない。「国有林借地8000平米余」を記載した表示も掲出してあったから、創業以来白馬村などに貢献してきたことや支援を受けてきたことが考えられる。医療機関や気象観測の拠点にもなっているから、遭難救助などにも出動しているのかもしれない。大雪渓を上っているときに、ここのバイトが終わった人と休暇をもらって下山しているスタッフに出逢ったが、ルートの様子などを教えてくれた。また食事の世話をしていたスタッフはコマクサの自生地がどのあたりか、今咲いているのはどのあたりなどを五竜岳周辺にまで及んで話してくれた。暇を見つけては歩いているようであった。食事も、白馬尻小屋と比べてちょっと手間暇をかけているように思えた。


 風はあまり強くないが、雲はつぎつぎとやってきて上空も下界も隠してしまう。それでも夕方にむかうにつれ霧が上がり、白馬岳の南に連なる後立山連峰の杓子岳や白馬鑓ヶ岳などが見え隠れする。「向こうに見えるのは日本海ではないか」とkwrさんが言う。上空の厚い雲とすぐ手前の霧の合間に明るく光るように見える。でもその水平線の向こうに島のように陸地が見えるではないか。まさか北朝鮮が見えているのか? と混ぜ返す。みえていたのは日本海の富山湾、向こうの陸地は能登半島だったようだ。足元の地面に東西南北の表示が埋め込まれ、その先に、富士山とか立山とか剣岳、杓子岳、鑓ヶ岳などと彫り込まれたセメントが埋められている。みているときりが飛ぶ。「おおっ、あれは剣岳じゃないか」と声が上がる。カメラを持った登山者もやってきて、どこどこ? と言葉を交わす。振り返ると、先ほどまで雲の中にあった白馬岳の山頂が、尖った頂をみせている。「いや、良かったねえ、山頂へ行ってみようか」というと、「明日が愉しみ、天気は良さそう」と、スマホで「白馬岳てんきとくらす」を見てkwmさんが告げる。その話を小屋のスタッフにすると「まさか。このところ予報は当てになりませんね」とすげなく帰ってきた。ことに今年は天気が悪かったそうだ。

 外に出ていたkwrさんが「元気のいい若いのが四人くらいいたよ。韓国人の高校生かな。運動靴で山頂の方から降りて来てね、歌ってたよ」と話す。霧が深いから、登山者が突然現れて驚かせる。それにしても運動靴というのは、どんなものだろう。あれで大雪渓を降るのかなと話す。短パンでレストランに入ってきた登山者もいた。顔は東洋系だが、まるでヨーロッパ人だねと茶化す。彼らはどこに泊まっているのだろう。夕食には顔を見せていなかった。20分も下れば、町営の白馬山頂小屋もある。そこにテント場もあるから、そちらに泊まるのかもしれない。あるいは、大雪渓を降ってしまうのだろうか。

 三日目(8/31)、雨が落ちている。夜には雨音がしていたそうだから、山の天気は当てにならない。昔から「朝の雨と女の腕まくり」という山の俚諺がある。どちらも怖くないというのが、そのココロ。だが、近頃は「女の腕まくり」はずいぶん怖くなった。朝の雨だってワカリマセンね。一日目同様、雨着もフル装備で出発する。6時。指呼の間にある山頂は、霧の中。視界20mくらいだろうか。東側の切れ落ちた断崖も、「見えないから怖くない」とmrさんは坦々と先頭のkwrさんについて歩く。山頂も霧に閉ざされている。標柱を挟んで記念撮影だけして、すぐに先を急ぐ。

 三国境への下りは岩を伝うところもあるが、そこはそれ、緊張感が働いて疲労を感じないですすめる。かたわらの草付きにトウヤクリンドウがパラパラと花をつけている。イブキジャコウソウの花もある。後から単独行の若い女性がついてくる。道を譲る。「いや、速くないから」と遠慮をするが、一人歩きは足が速い、と先行してもらう。それかあらぬか、すぐに姿が見えなくなった。と思ったら、前方で腰をかがめている。段差の大きな岩場であった。その後ときどき霧が薄くなって姿を見かけたが、そのうちシルエットだけになり、見えなくなってしまった。イワベンケイといったろうか小さな花粒が寄り集まったようにしてひとつの花を造り、その下の四方に広がる葉が水滴を湛えてしっとりと美しい。風当たりの強い砂礫の多いところに際立つ。三国境の分岐に着いた。ここから北へ行けば、雪蔵岳や朝日岳を経て親不知で日本海に出る。白馬大池へは東の道をとる。砂礫の斜面にkwmさんがコマクサを見つける。上の方に一輪、霧に浮かぶ。コマクサがみたいと言っていたmrさんは10mほど前方にいる。声をかける。だが彼女は「ええ、引き返すのイヤだあ。写真にとっておいて」と言って戻ってこない。霧に霞むのを望遠で近づけてシャッターを押した。kwmさんがライチョウを見つけた。深い霧の向こう、ごつごつした岩がぼんやりと見えるところに、頭が動いている。三羽いる。声をかけkwrさんもmrさんも立ち止まる。霧が濃くてぼんやりとしたみえない。kwrさんが大きな声を出すと、影は向こうへと動いて行った。

 ときどき霧が薄くなって小蓮華山がぼんやりと見える。雨着を脱ぐほどではない。上りになって汗ばむ。雨着のチャックを開けて体温調節をする。小蓮華山も霧に包まれ、標柱だけが目安になる。写真を撮ってすぐに出立する。ここで大きく山頂を回り込む。向こうからやって来た人と出逢う。白馬大池を6時に出たという。時計を見ると8時を過ぎている。ちょうど中間点というところか。やってくる人と行き交うことが多くなった。kwrさんが何かを話している。マレーシアから来た人たちだそうだ。白馬岳まで何時間かかるかと聞いているのだ。「3時間」と応えている。「下り2時間、上り3時間というと、come down、 go upで了解という笑顔になった。5人ほどだが、日本人のガイドはついていないようだ。それほどに広く知られた山なのだろうか。それとも、山頂の韓国人高校生のように軽く登れる山と受け止めてやって来たのだろうか。

 船越の頭と標柱のある地点を過ぎるあたりで霧は薄くなり、中空に青空が見えてきた。暑くなる。雨着をとる。霧が晴れる。振り返ると、小蓮華山は霧に隠れている。滑りやすい砂礫の斜面に、またコマクサを見つけた。こちらは花期が終わりかけて、へたっている。ハイマツが広がる。と下の方、白馬大池に雲がかかってみえる。「これはいい」とkwrさんが嘆声をあげる。池の端には赤い大きな山小屋が前面に広場を備えて静まって見える。そこまではハイマツ帯と砂礫の広い稜線が結んでいる。

 と、kwrさんが「ライチョウがいる」と指をさす。ライチョウのヒナがひょこひょこと登山道を横切る。またそのあとからもう一羽のヒナが追いかける。その先の草のあいだから親鳥がすっくを首をもたげて、こちらを見ている。ヒナは構わず、親鳥の先の草付きへいったん姿を隠し、また向こうに現れる。しばらく見ていると、親鳥がクーッ、クーッと声をたてる。するとヒナたちは慌ててハイマツの下へ姿を隠す。親鳥はそれを見てゆっくりと後を追う。写真を撮る。mrさんが「親鳥の脚は青いね」という。へえ、それは知らなかった。そうか? と撮った写真をのぞく。ちょうど草地から出たところだったので、足元も見える。片方の足に青い輪っかがついている。たぶん保護のためにつけられた標識なのだろう。みて大笑いする。

 白馬大池小屋の手前のお花畑も見事であった。チングルマがすっかり花を落とし、あの捌け過ぎた筆の穂先のような痩果(そうか)と呼ばれる実を伸ばしている。それが斜面の緑の中一面に広がっている。痩果の薄茶色が緑のグラデーションのように混ざりあって滑り落ちる。その下の方には白い花や黄色い花がやはり群落をなして、お花畑をつくっている。山上にしつらえられた庭園のようにみえる、白馬大池と山小屋と広場とお花畑。その光背には東を向けば白馬乗鞍岳が伸びやかな稜線を見せ、振り返れば小蓮華が屹立して霧に見え隠れしている。「いやいいね、ここは」とほめそやして、大池小屋の喫茶室に入り、コーヒーを頼む。9時半。考えてみると今日はお昼を持っていない。昨日の調子で歩くと12時には栂池に下る。そこで何かを食べようと、お弁当を注文しなかった。もっている羊羹やお菓子を分けて、腹の足しにする。ここで30分ものんびりと過ごした。

 白馬大池を回り込むように乗鞍岳へ上るルートがある。ごろごろした岩場。大きな岩や小さな岩の頭を踏むようにして身を持ちあげていく。kwrさんの身体は弾むように前へすすむ。こういう岩場は苦手といっているmrさんも、遅れじとついて行く。40分ほどで、立派なケルンのある乗鞍岳の山頂を越える。妙高山や火打山などの頸城山塊が雨飾山へとつづいているのが、シルエットで見える。「あの妙高か」と憎々しげにmrさんが口にする。三年前に火打山と妙高山を縦走した。そのときの下山路で彼女は足を痛めた。その治療と挫けた気持ちのために何ヶ月か山歩きができなかった。皆さんに迷惑をかけるからと一度は山の会の退会で考えたのだった。他方kwrさんは、この夏妙高山へ登ってきたから、ひときわ親しみがわく。恨みと懐かしの妙高山が際立つ姿を見せている。

 乗鞍岳の下りも岩場がありその下は大きな雪田を横切るように下っている。ロープも張ってあり、踏み固められてステップができている。問題はその先にあった。まるで鳥海山の山頂部のような大岩を伝うくだりが待ち構えていた。mrさんの一番の苦手なところだ。ひゃあひゃあ言いながらルートを探す。kwrさんは好みをルートをトントンとすすむのに、ついて行けない。kwmさんが先行し、私がmrさんに先立ってルートを探る。上ってくる人もいるから、すれ違う場所を見分ける。ようやく大岩を越えると、眼下に天狗に庭と呼ばれる湿原がみごとに広がる。さらにそこから小さい岩場の急斜面を降る。下に屯していた一群が上ってきてすれ違う。振り返って、写真に撮るのを忘れていたことに気づいた。kwrさんをカメラに収める。でも下からみると、それほどの斜面にみえない。

 やれやれと思ったのは私たちであった。上ってくる人たちが座り込んでいる。そのグループの1人が滑って足を打ち、歩けなくなっている。白馬大池まで行くの? と尋ねるといやそこまでという。岩場の下までという意味か。乗鞍岳の山体を下からみるためにここまで来たのか? そのあとにも、たぶんこのあたりまでしか来られないような人たちを何人も見かけた。栂池からのこのルートは、でも、決して楽しいものではない。岩はごろごろしているし、木製の土留めも腐っていたりする。途中の天狗の庭と呼ばれる湿原は木道が新しく整備中であったが、それ以外は、あまり歩きあくなる風情ではない。白馬大池をみてみようという宣伝があるのなら、ぜひともルートの整備にも少しは手を入れた方がいいと思った。というのも、一人すれ違った60年配のオジサンは「こんにちは」とあいさつをすると「まいどぉ」と返事があった。大阪のオジサンである。どこかの本屋のロゴが入った手提げのビニール袋ひとつ、水ももっていない。ちょっと散歩に来たような軽装だが、この先、みるべきものと言ったら、木道工事中の天狗の庭しかない。誘われるほどに魅力的な広報が行われているのかと思われるほど、たくさんの人が来ていたが、大丈夫なのか。

 ルートの下の森に立派な小屋が見える。栂池のレストランだ。「やっと着いた」とmrさんは声をあげる。リュックを背負ったり、皮靴やサンダル履きの観光客がたくさん、食事をしていたり、やってきている。13時10分。出発してから7時間10分の行動時間。そこから舗装林道を200mほど下ったところにロープウェイがあった。ほとんど満杯の人たちが乗る。15分下り、さらに200mほど歩いてゴンドラに乗り換え、25分で栂池の麓駅に着いた。標高にして約1000mを乗り物利用したわけである。窓の外に広がる視界には、登るときの背景にあった白馬八方のスキー場も入っている。

 麓駅そばの日帰り温泉に入る。65歳以上は500円と安いうえに、ロープウェイの乗車券をみせると、さらに100円値引きしてくれた。これほどに力を入れているのなら、上のルート整備にも、と思った次第だ。長野駅行きのバスは10分もまたずに出た。長野駅でも5分ほどで始発に間に合った。そういうわけで、下山祝いは大宮で途中下車してと相成った。1時間ほど無事の帰還を言祝いで帰宅した。のちにmrさんから「たいへんお世話になりました。お蔭さまで白馬の山頂に建てたことに感謝一杯です。今日は雷鳥の夢をみます」とメールがあった。大雪渓を上れるだろうかと心配していたmrさんにとってライチョウは、白馬からのご褒美であったにちがいない。

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