2017年9月4日月曜日
希望は自然に任せる白馬岳とは? (1)
白馬岳から帰って山行記録を書く段になって、頭に浮かんだタイトルが「希望は自然に任せる白馬岳」でした。どうしてこんなお題にしたのか。「記録」を読んでみても、まったくそれに触れた個所はありません。なんとなく、山を歩きながら私の胸中に漂っていたもやもやを言葉にするとこうなるなと、直感したからでした。どういうことだったんだろうと、後づけながら考えているところです。
じつは白馬岳へ行く前日まで「ささらほうさら」の合宿がありました。いつもは平均年齢が古希を越える老人たちの「勉強会」です。いまさら「勉強なんかやめて麻雀でもしたら」とカミサンには言われていますが、じつは「麻雀よりこっちの方がラク」というのが正直な気分なので、つづいているわけです。でも「合宿」となると、まだ現役で仕事をしている、アラフィフの若い人二人が加わってきます。なんで顔を出すのだろうと思わないでもありませんが、何十年かの「おつきあい」に気持ちを惹かれているのかもしれません。聞いたことがないのでわかりませんが。
その合宿の素材ひとつを、私が用意しました。先月の「ささらほうさら」のmsokさんの三題噺にかこつけて、「素材」を三本取り繕いました。
(ア)亀田達也『モラルの起源――実験社会科学からの問い』の一節。
(イ)ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』の一節。
(ウ)山折哲雄『これを語りて日本人を戦慄せしめよ』の一節。
どうしてこれを選んだのかは、説明もしません。おっ、これ面白そうと思っただけです。それぞれの一節を読み合せして、皆さんがどう受け止めるか、それを聞きたいと思ったからでしょうか。他人事のように聞こえるでしょうが、正直そうでありました。三題噺というのも、後で考えてみると一つのテーマが浮かび上がるなあと思っただけで、はじめから意図していたわけでもありません。ま、ケセラセラというほどにちゃらんぽらんでささらほうさらなのです。
いま上記の三本をほぐして説明することはしませんが、だいたいどういうことを言っている部分を抜いたのかを簡略にまとめると、次のようになります。
(ア)近年の脳科学の技術的進展を利用して、これまで心理学や哲学、社会科学で論題となってきた人間社会の文化的な振る舞いが、どこまで身体性に刻まれているかを解明しているという報告。
(イ)ポピュリズムが民主主義を破壊するといわれているがそうかと自問し、ポピュリズム誕生の土壌に民主主義の腐朽があり、ポピュリズムの広がりが民主主義再生の活力になっていると指摘するという論考。
(ウ)柳田国男、折口信夫、南方熊楠の三者の論及の方法を対照させて、体系をつくろうとする志向よりは、始原に還ろうとする視線が己の内面に揺蕩う感性や直感を起点にしていることを浮き彫りにし、とどのつまり(人間存在や自然やそこに生起するコトゴトも)、カオスに還元するかたちでのべるしかできないのではないかと、自己認識するエッセイ。
特徴的な意見を述べたのは現役の若手だったのですが、(ア)についいては「他者を算入していない」と一蹴するような気配でした。(イ)については、「民主政治の主要な担い手勢力がもはや希望を語れなくなっている。現代社会において何が希望になるかを探り当て、提示することが必要」という批判。(ウ)については言及がありませんでした。
その場でのやり取りはさほどありませんでしたが、(イ)の「希望」に関して私が、(中央、地方を問わず)政府をあまり当てにせず、できるだけ自律して暮らしていけるコミュニティをつくることかなと話しはじめたところ、その若手が「それは古い」と断定的に言ったことが、気にかかっていました。そうしたわだかまりを抱えて、山を歩いていたわけです。そうして胸中に浮かんだのが「希望は自然に任せる」ことでした。それがどういうことか、考えてみましょう。
「希望」というのを、その若手がどういう意味合いで語っていたのか話してもらうとよかったのかもしれません。私は自らの心もちを外への依存・援助の有無によって煩わされないことが、一番の希望だと考えている、と気づきました。それは「平安」とか「安心」と言い換えてもいいでしょう。
「みなさんと一緒に歩くのが愉しみだから」と山の会に来ているわけを話していた人がいます。この方はたぶん、歩きながらのおしゃべりや振る舞い、そこに現れる人柄との触れ合いの心地よさを指していたのでしょう。だがそれだけでなく、山を歩いている(厳しい状況に身を置く)とその人となりが表出します。あとどのくらい? と子どもなら口にするでしょう。飽きてきたり草臥れてきた徴です。霧がまく大雪渓を上りながら「周りが見えなくてよかった。見えたら怖い」という人もいます。見えることによって誘い出されてくる(想像の)恐怖心と戦いきれないと感じているようです。自分の力量が耐えられるか、どれほどの大自然の難関が待ち構えているか、不安だからなのでしょう。だがこの場合は、「依存」しているわけではありません。自然に向き合っているのですから、不安に感じているのは自分の力に対してです。では私は「不安」であったかというと、まったくそういうことを感じていません。むろん大雪渓の斜面を登るくらいのことは、自分の力量からしてたいしたことはないと自己評価しているからかもしれません。むしろ、ルート上にクレパスがないか、上から石が滑り落ちてこないかに神経をとがらせていますが、それは不安というのとはちょっと違った感性ですね。岩場を上っているときに、先頭を歩いていたkwrさんは「こういうところは余計なことを考えないから、疲れを感じない」と話していました。そうなのです。私たちはいつも、一歩先の、一年先の(そして、翻って今の)己を想像してしまうのですね。いつだったか、「呼吸に集中しなさい。吐いて吸う、吐いて吸う、それだけに意識を集中していると瞑想状態に入ることができます」と「瞑想」のコツを教示していた導師がいました。そのとき私は、(ああ、山歩きと同じだ)と思いました。己の(卑俗な)想像を断ち切ることによって「素のままの自分」を(価値判断も状況への位置づけも俯瞰することなく)受け止めている状態、それが瞑想だと私は考えています。そうなると、歩いている苦痛も、疲労も、どこから来てどこへ向かっているのかという疑問も、すっかりどこかへ跳んでしまって、歩一歩の足元にだけ気持ちが向いています。おのが身の自然(じねん)のままにそこにあること、それが私の「希望」です。
もっとも、あまりその状態に身を置いていると、道を踏み間違えても気づかないことがありますから(その程度には)ときどき意識を取り返さないとなりません。それは、ときどき地図上のルートという外の知識に依存する自分に立ち戻ることを意味します。自然(じねん)から「現実存在」に回帰するときです。そういうことを累々と繰り返して、私たちは、私たち自身を変えつつ人類史を歩んできました。繰り返すうちに、それらの一部は私たちの無意識に組み込まれ、身体や動作、感性や感覚の一角をなして、快・不快の好みをも定めるようになってきたように思えます。
(ア)の「モラルの起源」という研究は、「無知のヴェール」という哲学者ロールズの「架構」のベースが、すでに身体性に組み込まれていると証しています。「(その論考は)他者を算入していない」と批判して一蹴するのは、人間の自然(じねん)に目を向けず、「現実存在」にだけ価値をおいてしまう過誤を意味します。それよりも、まず、人類史的な集団や社会関係の歩みの中で(最悪の状態にある己という想定の)土台が(身体性に)形成されてきたと承認すること。そうすると、ロールズの「無知のヴェール」という架構は一般的な架構ではなく、もっと限定された「現実存在」の状況において想定されるべきことと、考察の次元を変えることができます。
(ア)の一節において、もうひとつ気にかかったことがありました。ささらほうさらの場面では問題にならなかったことですが、亀田達也の著書は、アメリカのジャーナリスト「ジェイコブズの議論の一部を検証してい」る(日本人経済学者と生物学者の)「進化ゲームと呼ばれる数理モデル」を紹介しています。古今東西のモラルを、市場の倫理と統治の倫理という二つの体系に分け、その両者を構成する価値・信念がほぼ対称であるという大胆な提起を検証したものです。市場の倫理を「商人道」、統治の倫理を「武士道」と表現しているのは、日本人研究者らしいネーミングです。「実験」はこの両者の倫理に、もうひとつ「社会的寄生者」といういわゆるタダ乗りをする(倫理)ファクターをおいて100となるように設定して「進化ゲーム」をし、その三つファクターの混ざり具合が、どういう社会的効果をもたらすかをチェックして、正三角形の図中に(社会的な影響の傾きを)「↑」を書き落としています。亀田達也は「倫理がそれぞれ一つだけであれば協力的な社会が実現できるのに、二つの倫理が拮抗すると互いにいがみ合って社会の協力が壊れてしまう、という結果はとても示唆的です」と結論的に記しています。
だが私は、自分をどの位置においてみているかが気になりました。もちろん著者の亀田は客観的に神の眼をもってみているにちがいありません。ですが私は、商人道でもなく武士道でもない、「社会的寄生者」に位置づけてみていました。そうして、グローバリズムの倫理が主導する経済情勢と国民国家の倫理がせめぎ合う国際情勢の狭間にいて、結局庶民は、「社会的寄生者」として右往左往するしかないではないかと、戦後72年の浮世とわが身を重ねて感じていたのでありました。ここに、わが身に刻まれた(戦後72年という)自然(じねん)もあるのですが、「現実存在」の中で繰り広げられる(政治的・文化的)言葉の応酬に登場する論題の多くが、わが身の(人類史的)自然(じねん)を忘れていることにいかがわしい臭いを嗅ぎ続けていたのでした。
「自然(じねん)に任せよ」というのは、脱学校論を唱えたイヴァン・イリイチが紆余曲折の末に到達した境地であったと何かの本で読み知っていましたが、「希望」を現実存在において提示しようとするのは、(人々の)「希望」そのものの中身に踏み込んで篭絡するような凄惨な振る舞いに思えるのです。そんなことを、白馬岳を歩きながら考えていました。「希望は自然(じねん)に任せよ」と感覚するようになった自身に、心裡の安定点を見つけた思いがしているのです。
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