2017年9月1日金曜日
希望は自然に任せる白馬岳(1) 大雪渓と岩場とお花畑を踏破する
月が替わった。空気が冷(ひや)い。一昨日からそうであったと、話しを聞いて知った。じつは昨日までの三日間、山へ行っていた。
白馬岳。名前のやさしさと美しさに評判の、ほぼ3000メートル峰のひとつ。一度は上ってみたいと、山の会の方々にも言われていた。一昨年の北岳同様に、二泊三日ならば高齢者にも何とか行けるだろうと踏んだ。私は(何度か登った覚えはあるが)大雪渓は歩いたことがなかったので、それを入れて組んだ。ところが、猿倉に泊まるよりは一日目に白馬尻小屋まで上って、そこで一泊した方が楽なんじゃないかとkwrさんに言われ、さらに中央線の特急でいくより長野までの新幹線を使ってバスでアプローチする方が時間的にいいんじゃないかと修正提案もあって、変更した。それが良かった。
それでも年々、参加者が少なくなる。お孫さんが生まれたりご亭主の世話が必要になったりもあって、長期に家を空けられなかったりする。あるいは歳とともに自分自身の体に変調が来て、高い山を長時間歩くのがしんどくなっている。今回も食指を動かしながら、直前にとり止めた方もいた。いつもなら6人から8人が参加するのに、結局4人。
一日目(8/29)、大宮を8時18分に出る新幹線を予定していた。ところがホームに立ってみると、軒並み電車が遅れている。何かあったのかと思うが、7時50分の長野行も大幅に遅れている。ならばそれに乗ろう。他の方々に「あさまが遅れているのでそれに乗り、一足早く行きます。4号車です」と携帯メールを打って8時5分に乗った。他の方々も間に合って、自由席で合流した。がらがらである。電車が遅れたわけは長野駅のバス乗り場で分かった。先に並んでいた人たちは1時間半前のバスに乗ろうとやって来たのに、(北朝鮮のミサイルが発射されたとJアラートが発動されて)新幹線が遅れて乗れなかったと、渋い話しをしたのであった。そうだよね、私らが知らない機密情報を当局は握っていて、じつは逼迫した情勢なのかもしれない。だがそうだとしたら、もう少しメディアに情報を流して、それこそ周知させてよと思う。よらしむべし知らしむべからずっていうのは、昔の話じゃないのか。それとも、自分たち政府関係者だけがミサイル発射の毎に神経をとがらせているのには我慢がならない、ちっとは国民にも同じような逼迫感を持って騒いでもらいたいとでもいうのだろうか。防衛予算を増やしたいという世論づくりか。私には後者のように思えた。それじゃまるで「印象操作」だ。これもやはり昔の「同調強要主義」的でいやだねえ。そんなことを考えていた。
11時ころ、白馬八方バスターミナルに着く。JR中央線白馬駅の西2kmほどの地点。まるで「はっぽうリゾート地」とでもいうように、後方の八方尾根につながるスキー場が緑緑して広がり、ホテルや土産物屋や飲食店が立ち並ぶ。早めのお昼を摂っていこうとそば・うどんの看板のお店に入る。「そうだよ、食べて力をつけなくちゃあね」というkwrさんに誘われて、かつ丼を食べた。kwrさんは三日目の下山中にも、かつ丼が力を発揮した様な事を言っていたから、よほど腹持ちがしたのであろう。
登山口の猿倉までのバスは、一昨日の日曜日まで営業していたが、月末の平日はもう休止している。タクシーを予約してそれで猿倉山荘まで行ってもらう。10km余、谷間を奥地へ走り、高度も1200mを越える。すれ違う対向車が狭い林道を遠慮なくやって来て、肝を冷やす。猿倉は樹林の中にあった。広い駐車場には2台のタクシーが止まっている。降りてくる客を待っているのであろう、運転手が気軽に声をかける。「バジリまでだな」というから何を言っておるのかと思ったら、私たちが泊まる白馬尻小屋をバジリと略称しているのだ。なるほど。1時前に歩きはじめる。砂利の林道を歩く。ときどき雲が取れて白馬岳らしき稜線がみえる。雪渓が急な傾斜を保って稜線へ突き上げるのも見えて、「あんなところを上るの?」とmrさんは悲鳴を上げる。思えば人間の歩く力量は、たいしたものだ。あんなところを歩荷して白馬岳山頂の眺望表示標石を担ぎ上げる話が、新田次郎の作品にあったのではなかったか。ヨツバヒヨドリの花にひらりひらりと蝶が舞う。アサギマダラだとkwmさんがカメラを構える。こっちにもいるよとkwrさんが声をあげる。たぶんこれから海を渡って琉球や台湾の方へ行くのであろう。たいへんだねと声をかけたくなる。
上から降りてくる人とすれ違う。もうすっかりよれよれという風情の人も、少なくない。「上は風が強くて大変だった」とこぼす。「クラックがあるから気を付けて」とか「雪渓を避けて夏道があるからそこを見落とさないように」とアドバイスする人もいる。なかには「日帰りです。山頂まで行ってきたけど、雲の中で何も見えなかった」と威勢のいい若い女性もいた。約1時間でバジリに着く。すぐ手前まで砂利の林道があった。そこから5分も上ると小屋が姿を見せる。手前の大岩に「おっかれさん! ようこそ大雪渓へ」と白ペンキで大書してある。小屋前の広場からは、雲が切れるとこれから登る大雪渓が上の方まで一望できるが、大半は霧に閉ざされている。雪が解けて流れ出ているのであろうか、ごうごうと音を立てて下る奔流が目の前の沢の大岩を動かしそうな勢いである。「いよいよ明日、のぼるのね」とmrさんは肚を決めたようであった。
驚いたことにバジリの小屋は、毎年6月に建てられ、11月に解体されるという。大雪渓の末端に位置しているこの小屋は、冬の積雪と雪崩によって壊されるのを避けるために、土台以外は組み立て式にしてあって、一つひとつの部材に組み合わせる記号が手書きされてある。面白い。こんな山小屋もあるんだ。小屋の風情も食事も、いかにも昔風の山小屋であったが、ひとつ違ったのは、頼んで作ってもらった翌日のお弁当が1100円もしたこと。結局このお弁当は、翌日の途中で食べることができず、白馬山荘のレストランで摂るようになった。開けてみて驚いた。まるで幕の内弁当のようにいろいろなおかずを盛り込んでいて、ビールのおつまみのようにして食べることができた。
二日目(8/30)、雨。スパッツをつけ、雨着を上下とも着こみ、ザックカバーも付けて出発する。mrさん以外の三人はヘルメットをつけている。mrさんも、ヘルメットをこの小屋で借りようと予約申し込みをしたら、「つけている人は少ないですよ」と教えられ、つけないことにした。15分ほど歩くと「白馬山国有林 中信森林管理者」とプレートを貼ったケルンが立ち、ここのところで雪渓は大きく崩れ消えて、溶けた水が奔流となって流れ出ている。この先から大雪渓は上部へと伸びている。ここで軽アイゼンをつける。雪渓の表面は凸凹の、いわゆるスプーンカットになっているが、泥で黒く汚れている。朝早いせいか、雪渓の表面はしっかり締まっていて、アイゼンの爪も食い込む。ザクザクと登る。200mほど先をオレンジの雨着を着た単独行者が先行している。上部の雪渓が上下に何層かに大きく崩れているところの、中央部の塊の上をオレンジの人が右へ歩いている。危ないじゃないかとみていると、彼は今度は左へと移動しはじめる。上へあがる地点を探しているのだ。大雪渓右岸に上がる地点に○マークがついている。ピンクのリボンも草付きのところどころにつけられ、ロープも張られている。そう言えばバジリの小屋前には、「ロープをまたがないこと」という注意書きもあった。ほとんど夏道を歩き、大クラックのはじまる地点でふたたび雪渓に降りる。そこから約2時間、雪を踏みしめてすすむ。下からみた高度感が、霧の中に埋没してわからない。「よかったあ、霧で」とmrさんは黙々と歩く。先頭は昨日からkwrさん。彼の歩き方がmrさんに合っていてmrさんはペースがつくられているようだ。霧は晴れない。途中、速足で上っていく単独行者に追いこされた。あとでこの人が「パトロール」の腕章を巻いて下山して来るのに出逢った。速いわけだ。
上から降りてくる人には、たくさん出逢った。大雪渓の三分の一くらい上ったところであったろうか、上から降りてくる単独行者のリズムがいい。mrさんに「ほら、みてごらん」と言っていると気がついたのか、挨拶を交わす。kwrさんが「上からどれくらい?」と尋ねる。2時間くらいかなと応える。昨日6時間で上ったそうだ。「いいペースですね」と褒めると「75歳です」と応える。五年後のあなたですよとmrさんに話す。「そうはいきませんよ。衰えるばっかり」と悲観的な自己認識を示す。それでもアイゼンを外すまでの間、バランスを崩すわけでもなく、kwrさんのペースについていった。岩室の下あたりで雪渓から地面に上がる。上からの下山者が「もうこの上には雪はないです」というので、アイゼンを外す。
そこからが、岩を伝い滑りそうな砂を踏み、急斜面の沢に渡した板を伝って、なかなかスリリングであった。こういうところがkwrさんは得意なのだろうか、ずいずいと上がる。「wkrさんはどこで育ったの? こんな岩場のところ?」とmrさんはジョークを飛ばしていた。岩場の緊張しているところでは疲れを忘れて上ることに集中している。そういうところは好きだとkwrさん自身が話していた。トリカブトが群落をなしている。標高2533mの表示と「この辺一帯は白馬山国有林です。」という大きな掲示板がある。ここの植物群落が天然記念物に指定されているとかライチョウもいるから大切にと書かれている。ミヤマオダマキが清楚な花をつけて恥ずかしそうに俯いている。ヨツバシオガマが赤紫の花をたくさんつきだしている。ウサギギクの群落もある。ハクサンフウロやハハコグサの仲間、名前を知らないクリーム色の花を雲集させたような花、舌花状の花をつけ、突き出た花弁には紫色の斑点がある、アキノキリンソウやキンバイの仲間の黄色、車ユリやコオニユリの紅が鮮やかに目立ちながら、お花畑が霧のあいだに浮かぶ。
30分ほどで白馬岳頂上宿舎が霧の中から現れた。ひっそりと静まっている宿舎の入口の広場に男が一人立っている。キャンプ場にテントを張って過ごしたが、風が強いので今日はこの宿舎に泊まると笑いながら話す。右の斜面には大きな雪田がある。ルートはその上、すでに雪はない。ちょっとした大岩を越え、少し登ると稜線に出た。「↓ 清水岳・祖母谷温泉」「←白馬岳・唐松岳→」の分岐に出る。トウヤクリンドウがそこここに咲いている。白馬岳は霧に隠れて姿は見えない。そして突然、霧の中に現れたのが白馬山荘であった。「えっ、これが今日の泊まるとこ? もう着いたんだ」とmrさんは喜ぶ。11時40分、出発してから5時間25分。いいペースで歩いた。手続きを済ませ、濡れた雨着やカバー、濡れた衣類を着替えて乾燥室においてから、お昼にした。(つづく)
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