2017年9月7日木曜日

予報の当たらない奥多摩むかしみち


 今日(9/6)の奥多摩の天気予報は「一日中雨。降水は1mm~2mm」であった。昨日チーフ・リーダーのAさんに問い合わせると、「落石のところもあるが、この程度の雨なら大丈夫と観光協会。実施します」と元気のいい返事が戻ってきた。どんなところか知らないが、「むかしみち」か。ならば雨も風情があろうと、雨着に傘までもって家を出た。出るときは雨。


 今朝8時半過ぎに奥多摩駅に降り立つ。いつもならリュックを担いだ人たちでにぎわうのに、今日は静かな駅前。一人mzさんが参加を取りやめたとAさんにメールが入っていたそうだ。あとは全員が顔をそろえ、先週の白馬岳以来や7月の早池峰山以来の、あるいはそれ以前の山行以来の、ご挨拶を交わしている。雨がやんでいることを言祝いで歩きはじめる。8時45分。

 多摩川の水量が多い。「奥多摩むかしみち入口」と表示し、ルート図を配した大きな看板が曲がり角にあった。まだ新しい。「この案内板は、奥多摩町産のヒノキ材を使用しています」と隅っこに記している。材木の町だ。この「むかしみち」は、氷川(現在の奥多摩駅近辺)から小河内に達するまでの10kmほどの道。炭や木材、あるいは甲州への交通路として使われていたそうだが、昭和20年に小河内ダム建設の道路が国道として一般に開放されてから、むかしのみちになったようだ。人しか歩けない広さのところと、車が入り込める道とが交錯している。今でも住まう人がいる。ずいぶんと標高の高いところの一軒家は斜面の広い畑に背の高い鉄製の柵囲いをし、その上部に電流の通る線を四本張り巡らしている。サルに対する防護なのだろう。

 このむかしみち沿いにはたくさんの神社や不動尊がある。奥氷川神社、羽黒三田神社、白髭神社、惣岳の不動尊、浅間神社、青目立不動尊の外にも、縁結び地蔵尊や虫歯地蔵、牛頭観音という小さな地蔵や観音、あるいは道祖神が祀ってある。それらの一つひとつに「説明書き」がつけられていて、むかしのひとの祈りと信仰のかたちを偲ばせる。いくつかの神社はみちを逸れて階段を上ったりしなければならないのだが、oktさんは面倒を厭わず登っていき、お賽銭をあげて手を合わせていた。十体ほどの地蔵と観音像の間に木魚を枕にして背中にネズミの乗った小坊主の石像がある。これは一休さんだろうか。涙でネズミの絵を描いた雪州の話だったっけ。

 「むかしみち」という塗料の剥げかかった木製の道標、その下に少し新しい、やはり木製の「←奥多摩むかし道 奥多摩湖方面」「六つ石・鷹ノ巣・雲取山登山口→」の道標に導かれて住宅地の角を曲がる。石畳の道になる。やがてセメントを打った斜面の羽黒坂になる。むかし「小河内方面から木炭はこびの多数の馬力、大八車、背負い荷の人びとと青梅・氷川方面からのに上げの人々が苦労した坂です」と看板が立てられている。周囲の住宅に庭にはカンナの花やムクゲの花が彩を鮮やかに見せている。杉木立の樹林に入るところで舗装はなくなった。

 道は緩やかに登り、右は杉木立に背の低い灌木につる植物がかぶさるように生い茂って壁をなし、左は切れ落ちて、やはり緑緑した葉が茂って下方の景観を遮る。その木や葉の合間に、レールが見える。小河内ダム建設のために敷設されたとどこかにあった。複線。幅の狭い軌道は資材を運搬したのであろうが、複線にするほど頻繁、大量であったようだ。さらに上部にはコンクリート製の橋げたを組み、トンネルも掘ったようだ。気がつくと足元は、また、石畳になっている。

 女性陣の間で花談義がはじまっている。聞くと、シュウカイドウだと名前を教えてくれる。それはテッポウユリではなくタカサゴユリ、ほら、ここに筋が入ってるでしょうという声も聞こえる。外来種だそうだ。ガクアジサイが花期の終わりを告げている。oktさんがウルシの葉をつかもうとしている。声をかけようとしたら、それはヌルデ、ヌルデの葉柄にはヨクがあると聞こえた。ヨクって何だろうと近寄って教えてもらう。なるほど、幹から葉につながる茎が平たく横に広がっている。

 これチョッキリよと、また前で声がする。木の葉がドングリをつけたまま、いくつも落ちている。それを拾ってドングリをよくみると、たしかに一つ穴が開いている。チョッキリという虫がそこへ卵を産み、小枝ごと切り落としてドングリをこの栄養源にするそうだ。秋が来るとこれが多くなるというから、松虫や鈴虫、邯鄲などと並んでチョッキリも秋の季語かもしれないと思うとおかしい。おやおや、ナナフシが地面を這っている。言われてよく見ると、ナナフシの尻尾の方にアブのような虫が取り付いている。卵を産み付けてナナフシを栄養源にして子育てが行われるそうだ。そう言えばナナフシは、這って逃げながら、長い後ろ足を尻の方に何度もはねつけて、取り付いたアブのような虫をを取り去ろうとしているがうまくいかない。ナナフシには気の毒だが手を出す場合ではないと、見捨てる。

 槐木(さいかちぎ)のサイカチの大木のところにはトイレもあり、東屋もある。「三河屋(宿泊、食事、温泉)」と記したくたびれた看板が木の葉陰に倒れかけている。昔の荷運びの名残なのだろうか。でも宿をつくるほどの広さはない。雨月物語の幻影のように思えた。「馬の水飲み場」と名づけられた湧き水も、荷運びの名残だろう。この道の山側は大きな木の根が張り出して崩れそうになっている。多くのところで、しっかりした網が張り巡らされ、崩落しても止められるように手が加えられている。厳道の馬頭様と名づけられたところはなんでも「人一人が通れるような狭い旧道であったために多くの馬が谷へ落ちた」という。一部で、このところの雨のせいか崩落して岩がごろりと転がりだしていた。

 前を行く女性陣は積もる話が絶えないらしく、おしゃべりしながらハイキングをしている。その前方の高い木々の合間から見える山体に小さい雲がちぎれるように漂っている。高い山の稜線の雲が取れて明るくなる。なんだ、予報と違うじゃないかと、うれしい文句が口をついて出る。キンミズヒキやキクイモの黄色、ツユクサの青色が緑の葉の間に際立つ。

 ところどころの分岐に1メートルたらずの石柱の標石がある。「右 さかい・小河内村 左 山みち」と彫り込まれている。その先の左折するところの石標には「右 里みち 左 さかい・白髭神社」とある。山みち、里みちという使い分けが可笑しい。

 白髭神社の階段を上ると、巨大な大岩が社殿に倒れ掛かるようにかぶさっている。なんでも石灰層が露頭したもので、層脈は対岸へつづいているという。大岩の下に畏まる小さな社殿、それに参拝する私たちの図は、大自然に拝謁する姿のように思えた。弁慶の腕抜き岩とか耳神様とか自然への畏敬と祈りのかたちは、その先のイロハ楓の大木にもみられるようであった。メハジキの赤紫の花色が控えめにあでやか、ナベナと教わった花はすっくと茎をのばしその先端にいくつもの蕾をつけて上から順に小さな花を開いている。民家がある。すでに冬支度をしているのか、割られた薪がきれいに積み上げられている。女性陣の1人が「薪小屋があった」と幼いころの原風景に接したように話している。

 惣岳の不動尊も鳥居をくぐって苔生した石段を上る。ここもoktさんを先頭に登って参拝する。あとで考えたのだが、不動明王というのは真言密教の伝えた仏ではないのか。それが鳥居の奥に鎮座しているのはどうしてなのか。ま、いいか。神仏習合というのが、日本文化の習い。もともとはインドの神であったものであろうから、いまさら日本のこの地で、神と仏を区別してどうしようというのか。とは言え、oktさんは柏手を打ったろうか。打たなかったろうか。

 しだくら吊橋に来た。多摩川にかかる長さ30mほどの橋。「3人以上渡れません」と注意書きがある。「いこ、いこ」とmrさんやkwmさん、oktさんが渡りはじめる。彼女たちが渡り終えるころを見計らって残りの人たちも渡る。グラグラと揺れる。底板が頼りなく、折れてしまいそうに思える。多摩川の水面までがずいぶん高い。水量は多く、岩にぶつかる音が聞こえる。渡ってみればなんてことはないから、また3人ずつ引き返す。「3人」と書いてある紙をはがすと「5人」とペンキで記してあった。「だんだん危なくなってきているんだね」と誰かがつぶやく。この先にも、もう一つ吊橋があった。道所吊橋。こちらは「5人」のまま。たしかに底板が、まだしっかりしていた。

 西久保の切り返しにベンチがある。そこでお昼にする。11時25分。「むかしみち」を平成元年に復活させたと記した看板が平成七年に立てられている。もう二九年になるか。古びているわけだ。毎年どれほどのハイキング客がいるか知らないが、崩落する石を取り除くだけでもたいそうなことだ。そう思っていたら、どなたかが、「ここのハイキング・ツアーがあるんですよ」と話してくれた。そうか、雨予報の平日だから、こんなふうに静かに歩けるんだ。

 30分ほどのちに、歩きはじめる。ここから奥多摩湖まで標高差80mと思っていたら、「コース最高所620m」と浅間神社の入口に書かれていた。となると、奥多摩駅が標高340mだから今日の単純標高差は290mになる。いいハイキングコースだ。切り返しからは、180m上って90m下る。「2.4km 1:30」ともらった地図にある。しばらくジグザグの道を上り、深い森に入るようにすすむと、金網を這った傾斜のきつい斜面の畑をながめ、山の上の一軒家の庭を通る。「むかしみち」の案内標識がそうなっているから、いいのかなあと言いながら庭先を過ぎる。あいかわらず山側に岩を組み、それが苔生している。谷側は広葉樹が伸びて明るい。前を歩く人が何かを拾って踏んづけている。クルミだ。まだ青いのもあれば、昨年のだろうか、すっかり黒ずんでいるのもある。実を取り出そうとするが、これがなかなか手ごわい。しばらくクルミ談義をつづけながら歩く。この上りは、奥多摩湖へ通じる現在の中山トンネルの上を横切っている。だから、歩きながら左を見ると、木の葉の合間、下の方に奥多摩湖の湖面が見える。

 青目立不動尊と名づけられた地蔵様が並ぶ地点を過ぎるとまもなく急傾斜の道を降って、折り返し、舗装路に出る。木造の古い建物の壁に「狂器」と大書している。「?……」。道の反対側をみると、焼き物のが堆く積み上げてある。背の高さより低い庇に苔が敷き詰められ小さな草が生え、その間にひょうきんな形の人形の焼き物が何体も置いてある。別の側の壁には鳥の巣箱がいくつも取り付けられ、やはり壁に「入居鳥募集中 敷金・権利金・家賃無用 即日入居可」と記している。そうか、こんな山奥で、遊んでいる人がいるんだ。「おれたちゃ、町には住めないからに~」と歌が聞こえてきた。通過する俺たちは「山には住めないからに~」だね。

 奥多摩湖へ着いたのは13時20分。ちょうど奥多摩駅へ行くバスが出た後であった。奥多摩湖を眺めながら屋根のついたベンチで過ごす人、小河内ダムの上を通って対岸へ向かい、ダムの中央部にある「展望台」に上って小河内ダムを睥睨する人。戻ってきたところでバスが来て、わずか17分で奥多摩駅に着き、15分ほどで青梅行の電車、青梅でも立川行にのりついで、さかさかと帰ってきた。天気予報に裏切られて、うれしい一日を過ごしてきた。道中の話を聞いていると、チーフ・リーダーのAさんは、どうも下見をしたらしい。そこまでしなくてもと思うが、ありがたいことだと思い直した。歩行時間と言い、いろいろな見どころと言い、面白いコースであった。

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