2017年11月30日木曜日

自分のことばを手に入れる人生


 宮下奈都『窓の向こうのガーシュイン』(集英社、2012年)を、旅の往き帰りに読んだ。人の輪郭を描かせたら、この人ほど心裡に沁みとおるように言葉を紡ぎだして、揺蕩う様子を浮き彫りにできる作家を、私は知らない。彼女の作品を、ここのところ何冊か読んで私は、そう思うようになった。ちょうど私が、AIに関心をもって本を読んでいたこともあって、AIと人間との違いは何だろうと、心裡に疑問符を持ち続けていた。それもあって、宮下奈都の作品の描く人間イメージがもっとも的確だと思ったのだ。AIとの対比では、作家ご自身としては褒められたように思わないかもしれないが。

2017年11月29日水曜日

お伊勢Seminar (3)七五さんの奏上をする


 11月28日。薄暗いうちに目が覚めた。カーテン越しに外を見ていた一人が「星が見えるよ」という。窓の正面に黒々と稜線をみせているのが、内宮の背にしている山。その右、東の方の空が少し明るくなってそちらから陽が昇るとわかる。

お伊勢Seminar (2)神より、まず暮らし


 瀧原宮から外宮へは40kmほどの距離。伊勢自動車道を走りった。移動中に雨がぽつりぽつりと落ちてきて、案内役のIさんはトイレ休憩を入れてスーパーマーケットに立ち寄り、ビニール傘を何本か購入した。一本108円。誰かが「傘を買うと雨は止むんよ」と声をあげる。外宮に着いて表参道の火除橋を渡るころには雨は上がっていた。

2017年11月28日火曜日

お伊勢Seminar (1)彼岸から此岸をみる瀧原宮


 26日から昨日までの一泊二日、コーディネートしてくれたのはoくん。彼の後輩で、現在神宮ガイドをしているIさんが現地案内を細かく気遣ってしてくれました。今年三月にoくんが「お伊勢さんの不思議」と題するSeminarで、外宮や内宮、瀧原の宮や倭姫のことなど、概略を解説してくれていましたから、ずいぶんと踏み込んでみることができたと思っています。その上、出発2週間前になってtkくんから『伊勢の曙光』というミステリーが、記紀神話をはじめ伊勢神宮の「謎」について詳しい史料を読み解いていて「参考になる」「読むことをお勧め」ときたからそれも読んで、30個の「謎」を抱えて伊勢に足を運んだわけです。この本を読んで私が抱えた「謎」を事前に案内役のIさんに書き送りました。彼は「伊勢市の図書館に、この本があったので借り受けて読みます」と返信をくれていました。

2017年11月25日土曜日

高田崇史『伊勢の曙光』に関する追記


 ひとつ大事なことを落としていました。『伊勢の曙光の』QEDとして高田は「自動詞と他動詞」と「喝破」しています。これは「アマテル」が「アマテラス」になったことを指していると私は読み取りました。つまり、自動詞アマテルが他動詞アマテラスになったということは、照らされる存在が明確に意識されるようになったことを意味します。部族的な集団における君臨なら、崇神のように始祖神・アマテルというだけで十分でした。だが、他の氏族や土着の豪族、加えて稲作などに従事する民草を照らされる存在と視野に入れると、「天皇が支配する正統性」を必要としたのです。天武・持統朝に成し遂げようとしたのが、班田収授法(つまり稲作)を基本とする律令制度の確立でした。神々(の末裔として)の天皇の正統性とは二点考えられます。

2017年11月24日金曜日

子どもの生きる世界とか


 イタリア映画『はじまりの街』(2016年)を観る。夫のDVDに耐えかねて、子どもを連れて女友達のすまいのあるトリノへ移り住む。仕事を探し三交代で働く。13歳になる子どもは、突然友人とも切り離され、新しい街にともに遊ぶものもいないままに、自分の居場所を探す。その地に住む「外国人」という元サッカー選手、街の娼婦、なによりも同居を喜んで迎え容れてくれた女友達との交歓が描き出される。だが観終わって、[だからなに?]という疑問が浮かぶともなくつきまとう。何が言いたかったのだろう。

2017年11月23日木曜日

わが身の盛衰を推し測りながら山を歩く


 やはり幸運に恵まれたというべきなのであろう。昨日(11/22)、御岳山から登り、大岳山、鋸山を経て奥多摩へのロングコースをたどった。幸運というのは、天気のこと。「曇りのち雨」の予報。ところが往きの電車は明るい陽ざしのなかを走る。上空に雲は張り出しているようだったが、青梅線の車窓から富士山がくっきりと見える。気温はうんと低い。羽毛のベストをつけ雨着の上を羽織ってちょうど良いほど。鼻水が出るから気温は5℃くらいであろう。

2017年11月22日水曜日

怨霊なんて怖くない、か


 森見登美彦『夜行』(小学館、2016年)が図書館から届いた。去年の今ごろ上梓されている。たぶん何かの書評をみて、気になって予約したものが、今ごろ届いたのであろう。でも初めの方を一読して、やめようかと思った。こういうファンタジーものというか、落ち着きどころのない妖異譚は何を言いたいのかわからなくて、持て余す。人が消える。ふと現れて違和感を齎し、場をかき混ぜて姿を消す。妖しいが、だから何なのと思うほど、危害を加えるでもなく祟るでもない。でもなぜか、人の心裡を覗いているように言葉を紡ぎ、不安に陥れる。不安にさせるだけなのだが、なぜそうさせるのか、なぜそうなるのか、わからない。四編に別れた連作ものだが、最後になって、謎が解き明かされる。裏と表、昼の世界と夜の世界、陰画と陽画が変わるだけの、どちらに身を置いて語っているのかが不分明であるが故に生じる、読み手の不安感や違和感。何だか、もてあそばれているようで、だから何なのと聞きたくなる。読み終わっての感想。さもこの作家は、その身をどこに置いているのであろうか。

 昨日このブログで『伊勢の曙光』という本に触れた。伊勢神宮が、彼岸と此岸の彼岸の世界を体現するように設営されているというのは、なぜそうしたかはわからないが、死霊とか怨霊のあった気配を証拠づけるように思われる。そして伊勢のことに触れれば触れるほど、私たちがすっかりそれを忘れて暮らしていることが浮かび上がる。振り返ってみると、子どもの頃は暗闇が怖かった。夜が恐ろしかった。トイレに行くことも怖くて、誰かについて来てもらうか、我慢して夜が明けるのを待ったことも思い出す。どうしてあんなに、夜の闇が怖かったのだろうと、今ならば思う。それだけではない。子どものころは、まともな人生と踏み外した人生という「闇」も感じていた。タバコやヒロポンやバクダンやアヘンやマヤク漬けになって、生ける屍となる「畏れ」を胸中のどこかに宿していた。町にやってくるサーカスや大道芸人などの旅芸人に気持ちを魅かれると恐ろしいことが待っていると、心裡のどこかで思って「恐がって」いた。いまでも子どもはそうなんだろうか。

 いや大人になったいまでも、夜の闇は怖い。山中のテントに独り居て、目覚めたとき、外を動き回るものの気配や風がたてる音は、わが身のすぐ脇で、別の世界が展開していると思わせる。冬の雪の中のテントで、しんしんと降る雪がテントをつぶしゃしないかと心配する怖さとは全然別だ。後者は、何が起こるかが目に見えている。それに対して、わが身は寝ているのに、それと関わりなく別の世界が展開しているというのは、わが身がどうかかわるのか見えてこない。お化けや妖異の何かが跳梁跋扈していないとも限らない。そういう想像の世界が「闇」には伴っている。でもそれは、想像の世界のこと。そう切り分けて心裡に始末するから、恐くはない。だから子どものころの「闇」や夜は始末のつかない「ことごと」がたくさんありすぎて、日々の体験の一つひとつが(胸中の世界に)落ち着きどころを得るまでは、恐いモノやコトであり続けたのであろう。

 歳をとると、そういうことがあまりない。しかも快適な暮らしの中で、わが身に起こることの「せかい」の輪郭が、割としっかりとしている。不安なこともおぼろなことも、地図や全体構成や物語りの転結を見極めて自分のいる位置が定まってみえると、たいてい端境が見てとれる。「闇」はたいてい「じぶん」の闇だとわかる。不安も、自分の想いから引き出されてきていると読める。これはつまらない。だが、人生をそのように生きてきたのだから仕方がない。

2017年11月21日火曜日

謎にみちびかれて「お伊勢参り」


 26日(日)からお伊勢参りに行く。内宮の早朝参拝などの「特別参拝」もある、ついては「ドレスコード」があるというので、少し煩わしい「メール」のやりとりをしていたら、tkくんから以下のような「追伸」メールが届けられた。

《なお、ご参考までに。私は今、講談社文庫、高田崇史著の「QED 伊勢の曙光」を読みかけてます。ストーリーそのものは、たわいもないミステリーですが、書かれている伊勢神宮等に関わる記述は、引用(古事記、日本書紀から始まり、その他)はものすごく豊富でなかなか勉強になってます。もしお時間あれば、一読をお勧めします。》

2017年11月19日日曜日

どっこいお役目はたして


 昨日、中学高校の同窓生が集まった。そのうちの一人・tkくんが銀座の画廊で個展(と言っても、「二人展」)を開き、それを機に同窓生が集まっておしゃべりをしようというもの。いつもならmdさんが仕切ってくれるのだが、今年彼女はサンフランシスコに住む友人が「(認知症になって)落ち込んでいる(わかるうちに会えるのは最後かもしれない)」というので見舞いに行って「お世話できないから、あなた仕切って」と頼まれて、私がコーディネートした。でも結構皆さん私的に忙しく、絵を見には来たが会食には顔を出せないという人もいる。あるいは出歩く程度に元気な人しか出て来られない。文字通り後期高齢者の年寄りは静かなものです。

2017年11月18日土曜日

視点をどこに据え、いかなる視線をもってみるか


 今月の「ささらほうさら」月例会の講師はktさん。「いじめについて思うこと」と題して、彼が小学校教師時代のことを振り返って、「1、意味」「2、道徳性」「3、起きたときどうするのか」「4、言えないいじめ」「5、親」「6、教師の姿勢」と展開した。その初っ端から、聞いている私は躓いた。

2017年11月17日金曜日

不信心者が歩く信仰の七面山(2)


 (承前)下山を開始する。9時45分。登るときよりも、遠方と下界の景色が読み見通せる。モミの木など足元を背の低い笹が覆う踏路にはロープが張り巡らされ、「危険」とビニールに包まれた掲示がある。近々行われるトレイルランニングの走者向けに張ったものであろうか。うっかり踏み込むとその下が大きな崖になっている。「ナナイタガレ」と呼ばれるカール状の大崩落が山頂まで続いている、その一部が少し見える。木立の途絶えたところから富士山が見える。ここなら新緑の季節にも葉に隠されずに見える。急斜面が終わる辺りからカラマツの林になり、カラマツの落ち葉がふかふかと心地よく踏路も広くなる。

2017年11月16日木曜日

不信心者が歩く信仰の七面山(1)


 もう四年ほど前の12月26日、私のよく知る出版社の編集者・Jは車を運転して山梨県の南部、早川町に向かい商談をまとめ、日帰りしてきた。早川町の写真集を出版する仮契約をしてきたのだ。運転だけでも(たぶん)往復6時間はかかったであろう。それ自体は別に特筆するようなことではないが、じつは彼はそのとき、癌の検査治療のため入院中。癌のステージは「3」。その後の医師の説明で余命6カ月と告げられたが、Jは自分の経営する会社の立て直しをどうするかで、頭がいっぱいであった。その後もときどき病院から抜け出して、カメラマンとあったり、デザイナーと打ち合わせをしたりしていたという。その早川町の写真集が去年の6月、鹿野貴司『日本一小さな町の写真館』(日本出版ネットワーク編集、平凡社制作)として出版され、私の手元にも贈られてきた。だがそのときJは、すでに他界していたのであった。

2017年11月14日火曜日

「わたし」が現れるものがたりに揺蕩う


 宮下奈都『スコーレNO.4』(光文社、2007年)は、この作家の外の作品同様に、「じぶん」の周りの人のありように映し出される「じぶん」を、不確かさとともにとらえようとして掬い切れず、手のひらから零れ落ちる様子を描き出している。自己確立とか自己実現・自己責任という言葉を使う人たちは、「自己」が実体的にかたちづくられると考えており、それを個性と称しているように見えるから、自分の意見を慥かに持って自己主張をしていくことを自己の確立とみているが、そこの根柢には能動的に振る舞うことが主体性の確立であるという「偏見」が横たわっている。「じぶん/ほかの人」というのが「かんけい」から生まれることを、そして出現する「じぶん/ほかの人」が、しっかりと違いをもって立ち現れていることも、じつは「ほかの人/じぶん」の胸中にあると、その頼りない根拠へと迫る運びになる。つまり宮下奈都は、積極性ばかりか消極性も、つまり能動性も受動性も、超えたところに「じぶん」が現れることに関心を寄せ、その動態を描き出そうとしていると、私は読んでいる。私は自己の輪郭を描くと言い、それはすなわち「せかい」を示し、そこへ「じぶん」を位置づける(マッピングする)ことと同義だと考えてきた。この作家を好ましく思うのは、文学のかたちを通して、つまり一般化せず、ていねいに具体性を通して、拾い出していることである。

2017年11月13日月曜日

さばさばした人生を送るには


 縁戚の方が亡くなった。認知症を患い、介護ホームにいるとは聞いていた。体は壮健であったから、穏やかに暮らしていて、ホームのなかでは優等生ですよと言われたくらい。しずかに振る舞い、手がかからないし、明るい。ひところは子どもの顔もわからないほどと言われたりしたが、最近は子どもの顔はわかるようになっていたそうだ。ただ言葉が浮かばず、目でものを言っていたという。認知も、時と場合によってまだらなのかもしれない。84歳と約半年。仏教式に享年を言えば、85歳ということになる。直接の死因は誤嚥性肺炎というが、病院に入ることなく、介護ホームの医師が診たてて、亡くなる前に子どもたちは会って、目で言葉を交わしたということであった。

2017年11月11日土曜日

シンギュラリティ――人間てなんだ


 マレー・シャナハン『シンギュラリティ――人工知能から超知能へ』(NTT出版、2016年)が面白い展開を記している。シンギュラリティというのは、AI (人工知能:artificial intelligence )が急加速的に進展することによって生じる社会的大転換のこと。電算の処理速度が速くなり、メモリーが大きくなるばかりか、ネットワークを通じてデータの外部保存が巨大化すれば個々人のメモリーはほぼ無限大になる。しかもその技術的進展が指数関数的に進んでいることを指して、2030年頃には人間の知能を越えるだろう、2045年には「シンギュラリティTechnological Singularity技術的特異点」が訪れ、社会的にも大転換が引き起こされるだろうというAI研究者の見立てである。何よりも、人工知能の知的集積が(ネットワークを通じて)自律的に、膨大かつ急速に行われることから、それが人間の実存に及ぼす大きな変異を今から想定して、期待ばかりでなく、制約なり警戒なりをしなくてはならないと、医学生理学、政治経済学や社会学的な側面からの発言が続く一方、逆に、そのシンギュラリティのときに問われる「人間とは何か」という問いを立てて、哲学的に考察することが行われている。

2017年11月10日金曜日

「わたしの発見」が人生の本質である


 宮下奈都『田舎の紳士服店のモデルの妻』(文藝春秋、2010年)を読む。同じ作家の『太陽のパスタ、豆のスープ』『羊と鋼の森』についてはすでに記した(10/21、10/26)。『田舎の……』は、『太陽のパスタ……』の前段にあたる《「わたし」を発見する物語》といえる。『太陽のパスタ……』は、「わたし」発見後の、「わたしの自立の根拠」をとらえた、と読み取った。

2017年11月9日木曜日

里山の極楽


 晴れ続きの合間に一日だけ「曇り」の予報が出た昨日(11/8)、檜原村の浅間嶺を歩いた。山の会の「日和見山歩」の月例会。チーフリーダーはmsさん。彼女も始めて歩くコースだとか。ただ下山地の近くに「日帰り温泉がありビールもたのしみ」とお誘い文句があった。

2017年11月7日火曜日

human natureを生きるということ


 このところ毎朝、TV体操をしています。十分間、前半は体をほぐしたり、ストレッチをしたりするメニュ、後半はラジオ体操です。後半の体操はをしながら、そういえばいつごろからラジオ体操をしたろうかと思いめぐらすと、小学校1年(昭和24年)のとき、会場の学校に行こうとしたら通り道に牛がつながれていて、恐くて通れなかったことを覚えているからです。まだ朝暗いうちでしたから、冬かもしれません。でも、情景はほとんど覚えていません。体が覚えているのは確かで、音楽を聞くと、どういう動作をしたらいいかは、考えるまでもなくわかります。

2017年11月6日月曜日

沖縄本島とやんばる――人と遊ぶ慈愛


 石垣島から飛行機に乗って1時間で那覇に着いた。10月31日、夕方のこと。私にとっては20年ぶりだったが、浦和より大きい街だと思った。高層ビルが林立し、道路の立体交差が際立つ。それともうひとつ、飛び交う軍用機やヘリコプターがやけに目に着く。レンタカー屋が繁盛している。聞けば、鉄道がないから(観光客は)車のレンタルによって足を確保しているそうだ(鉄道がないというが、モノレールが那覇中心街まで走っている。モノレールは鉄道と言わないのかな)。空港の到着階の外側にレンタカー屋の受付をするデスクが並び、つぎつぎとやってくるお客を「会社」まで運ぶバスが来ては消えていく。交通のターミナルが船の外は空港だけだから、こういうことになるのだろう。

2017年11月5日日曜日

石垣島(1) 自然に浸るありよう


 石垣島に着いたとき、Mさんが出迎えてくれました。まだ若い。私より一回り半も若く、五十歳代の後半。8人乗りのバンにMさんを入れて6人。このあと三日間、早朝から陽が落ちるまで文字通り東奔西走の探鳥でした。石垣島に、じつは、何のイメージももっていなかったのですが、途中で石垣島の地図を手に入れてみて、その大きさに驚きました。

石垣島(2)自然と一体になる暮らし


 石垣島の探鳥の案内役Mさんのありようを観ていると、鳥の専門家というよりも、石垣島の自然と一体化して存在しているという思いが強くする。彼の牧場を見せてもらったというほど見たわけではないが、彼の「本業」といわれる牛との向き合い方をみていると、「仕事」というよりも、それなくしては暮らしそのものが成り立たない「生業(なりわい)」と思われた。なるほど生産と流通の流れでみるだけなら、育牛が仕事なのであろう。だが、仔牛を生ませ9か月育て「和牛」として出荷するというだけなら、もっと効率的に、もっと生産能力をあげられるように工夫する余地があると思う。実際酪農の現場でも自動機械化がすすんで、人手を省き、牛舎の清掃や給餌を機械任せにすることが「最先端」とされるようになってきている。むろんその規模と資金がなくてはできないことではあるが、Mさんはそうすることよりも、野において育て、牛たちの間を何種類かの鳥たちが虫を啄ばんで右往左往しているのを見るのが、何より好き、仔牛の間は手間をかけ慈しんでやるのが大切と思っているように感じられた。彼自身が石垣に生まれて育ってきた在り様と重ねて感じているように思ったのは、単なる私の錯誤ではあるまい。

2017年11月3日金曜日

バーダーの神髄


 昨日まで五日間、石垣島と沖縄本島に行っていました。鳥観の極上の専門家たちに同道させてもらうプライベート探鳥会。いうまでもなく私は門前の小僧、「くっ付きのを」です。カミサンのよく知るTさんのコーディネートで、埼玉の探鳥グループの責任者ご夫妻と私たち夫婦の五人という少人数。石垣島に三日間、沖縄本島に足掛け三日、ほんとうに朝から晩まで、鳥が好きというか、鳥に魅入られた人たちは、これほどに鳥にのめり込み、鳥を堪能しているのだと体感してきました。石垣島の案内をしてくださったMさんを入れて三人の、三様ぶりもみものでした。