2017年11月29日水曜日

お伊勢Seminar (2)神より、まず暮らし


 瀧原宮から外宮へは40kmほどの距離。伊勢自動車道を走りった。移動中に雨がぽつりぽつりと落ちてきて、案内役のIさんはトイレ休憩を入れてスーパーマーケットに立ち寄り、ビニール傘を何本か購入した。一本108円。誰かが「傘を買うと雨は止むんよ」と声をあげる。外宮に着いて表参道の火除橋を渡るころには雨は上がっていた。


 火除橋の手前に「豊受大神宮(外宮)」の由緒書きが掲出してある。祭神は豊受大御神。「丹波の国から天照大神のお食事をつかさどる御饌都神(みけつかみ)としてお迎えした」とある。内宮に天照大神が鎮座してから五百年後という。外宮の正宮の一番奥の外側に「御饌殿」という小さな食糧庫もあり、遷宮前の敷地ならそのすぐそばに忌火屋殿(いみびやでん)という調理をする場所が置かれている。別の解説本をみると「1300年にわたって毎日朝夕の二度、神饌をたてまつってきた」とある。田を耕し、灌漑を施し、稲を育てて収穫し、魚介を得、手ずから火を熾して調理し、提供するというのは、まさに私たちが暮らしを保つ振舞い。のちに内宮のビデオで見たが、火を熾すのもライターやマッチを使うのではなく、木を擦り合わせて火をつけるという始原にさかのぼったやり方を踏襲している。それを絶やさず行ってきたというのは、この豊受大御神こそが私たちの暮らしの文化を受け継ぐ象徴的な存在であったと言える。つまり、それまで神話の世界にとどまっていた天照大神が、豊受大御神を招き入れることによって、民草との象徴的な関係を意識するようになったと、私は受け止めた。それまでは、まったくの神々のお話し。つまり、8世紀の初め、天武・持統朝に記紀神話が成立したことを裏付ける。ここから後の神宮の話が私たちとかかわりを持つのだと得心した。

 伊勢神宮は外宮から(内宮へと)お参りするというのが、「謎」のひとつとされていた。これがご正道だというのは、つまり、私たち民草の暮らしの象徴に祈りを捧げてから、神の世界へ祈りを捧げよという順路。それは、祈りというものが何を基本に据えているかを示している。神より、まず、暮らしなのだ。

 森を抜けるように砂利を踏んですすんで二の鳥居をくぐると、煌々と明るく照明のついた「お神札授与所」があり「古札受付」と表示をしている。日本銀行券でもいいのかしらとジョークを口にしている。そういえば日本銀行券が全能の神のような扱いを受けている高度消費社会だと、邪念が浮かぶ。鳥居の支柱に負けないくらい太い杉の木が何本もあるなかに、正宮が置かれている。その入口の正面には、大きな板塀の目隠しがしつらえられている。
「なに、これ?」
「蕃(ばん)といいます。この後ろで神に捧げる御饌を整えるのですが、それをお見せしないようにしてる」
 とIさんが説明してくれる。なるほど。近頃は、対面キッチンとか透明調理ではないが、調理しているところを見せて、パフォーマンスとしている。お見せするところではないという「つつましさ」がいつの間にか消えて、パフォーマンスにするというのは、やはり庶民の世界のことかと、昔日の、文字通り奥ゆかしい習わしに、懐かしさを覚える。

 外宮の正宮正面には白い御簾がかかっている。向こうを見通せるほど薄くはない。風ではためいてくれないと、御正殿をみることは叶わない。脇によって塀越しに奥を覗くと、御正殿の手前に(玉垣と呼ばれる)いくつかの門塀があり、千木と鰹木しか見えない。千木が垂直に尖っているのは、なるほど平であった瀧原宮の千木と違う。こちらは男神というわけだ。なぜ豊受大御神という女神の社が男神かは「謎」のままだが、考えてみれば、私たちの暮らしでも、暮らしの諸事雑多をこなすことの出来ない男が偉そうにタテマエ面をして、暮らしは女たちが切りまわしているのだから、「謎」などと騒ぐことはない。わが胸に手を当てて考えてみろってことか。
 
 お神札授与所に戻り北御門鳥居の方へ向かう。授与所の梁の角に金具が張り付けてある。誰かが菊のご紋じゃないんだと驚いたような声をあげた。授与所で尋ねると菊ではないという。「後づけだよ、菊は」と、これまた誰か。いつから(菊になった)か知らないが、今の時点から神話が再生され、つくられていく瀬悦断面を切断面を見たような気がした。九条殿というのがないをどうしているところか知らないが、後ろに鬱蒼とした森を背負っているのが印象的であった。鳥居を抜け裏参道から外に出てマイクロバスに乗って、神宮会館に向かった。今日の宿泊所だ。

 神宮会館は内宮の近く、おかげ横丁の出口と通り一つ隔てたところにある。修学旅行の宿所にもなるような造り。まあ今回の私たちのお伊勢参りも高齢者修学旅行のようなものだ。そう思っていたら、夕食も広い食事処にテーブルごとの割り振り、とても「近況報告」を交える場所ではなかった。結局食後、十畳ほどの一部屋に集まり寝そべって「近況報告」をすることになった。昔の話も飛び出してなかなか面白い人生を歩んだのだなと興味深く聴いたが、子細はいかにも同窓生の内輪話であるから、ご披露するわけにはいかない。狭い寝床も、頭と足を互い違いにするようにして熟睡した。過ごすほどお酒を飲めなくなっているのが、幸いしていると、いつも後になって思う。(つづく)

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