2017年11月25日土曜日

高田崇史『伊勢の曙光』に関する追記


 ひとつ大事なことを落としていました。『伊勢の曙光の』QEDとして高田は「自動詞と他動詞」と「喝破」しています。これは「アマテル」が「アマテラス」になったことを指していると私は読み取りました。つまり、自動詞アマテルが他動詞アマテラスになったということは、照らされる存在が明確に意識されるようになったことを意味します。部族的な集団における君臨なら、崇神のように始祖神・アマテルというだけで十分でした。だが、他の氏族や土着の豪族、加えて稲作などに従事する民草を照らされる存在と視野に入れると、「天皇が支配する正統性」を必要としたのです。天武・持統朝に成し遂げようとしたのが、班田収授法(つまり稲作)を基本とする律令制度の確立でした。神々(の末裔として)の天皇の正統性とは二点考えられます。


 ひとつは「豊葦原瑞穂の国」の始原という位置づけです。米づくりの始原を示すこととして伊勢神宮は、御饌の祭礼を日々欠かさず1300年も続けてきたと言えます。それも、単に米を神に捧げるというだけでなく、稲を育て(森を育てて)灌漑を施し収穫し、火を熾し、魚介を漁りし、さらにまた、布を織り、社殿を20年ごとに作り替えるようにして技術を伝承する仕組みまで、つまり暮らしのことごとくをすべて自分たちの手で執り行うことをしめして、「正統性」を屹立してきたのです。

 もうひとつは、死者への祈りです。伊勢神宮は彼岸を顕現しているものだと、言われます。藤原不比等が編纂に尽力したとされる記紀神話は、神々を彼岸において祀ることで、畏れ敬うかたちをとりました。また祭神を女神とすることによって、現実の支配に力を揮う男たちを祭主として祀る側に位置づけ、死者の世界と切り離しました。天皇は代替わりのときに寝床を死者とともにする儀式も行うといいます。この結果、神々の末裔としての天皇は祀られる側におかれ続けて文化的存在となり、中臣=藤原氏が現実世界を切り回す立場、すなわち実権を手に入れたとは言えますまいか。その後天皇親政に近い試みは後鳥羽院政や後醍醐親政など数えるほどしかなく、事実上、君側の司官(あるいは将軍や執権など)の実権支配がつづき、天皇は象徴的存在となっていたのは、ご存知の通りです。

 自動詞から他動詞への推移は、じつはギリシャ語における中動態の蒸発と「能動態ー受動態」の時代への推移と同様、大きな「自然観―人間観」の転換をともなっています。國分功一郎『中動態の世界』(医学書院、2017年)が面白い展開をして「意志と責任」がヨーロッパ哲学において、どう扱われてきたかを論じています。それと重ねて考えてみると、丸山真男が論じた「であることとすること」(日本の思想)のさらに一歩先へ踏み込めそうな気がしています。

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