2017年11月16日木曜日
不信心者が歩く信仰の七面山(1)
もう四年ほど前の12月26日、私のよく知る出版社の編集者・Jは車を運転して山梨県の南部、早川町に向かい商談をまとめ、日帰りしてきた。早川町の写真集を出版する仮契約をしてきたのだ。運転だけでも(たぶん)往復6時間はかかったであろう。それ自体は別に特筆するようなことではないが、じつは彼はそのとき、癌の検査治療のため入院中。癌のステージは「3」。その後の医師の説明で余命6カ月と告げられたが、Jは自分の経営する会社の立て直しをどうするかで、頭がいっぱいであった。その後もときどき病院から抜け出して、カメラマンとあったり、デザイナーと打ち合わせをしたりしていたという。その早川町の写真集が去年の6月、鹿野貴司『日本一小さな町の写真館』(日本出版ネットワーク編集、平凡社制作)として出版され、私の手元にも贈られてきた。だがそのときJは、すでに他界していたのであった。
早川町もさることながら、同じ写真家・鹿野貴司の『七面山』というのも見せてもらったことがある。その写真集の醸し出す幽玄な山のたたずまいは、いつもどこかで気にかかっていた。そうしてついに、一昨日から行って、歩いてくることができた。七面山1982m。春木川を挟んで身延山と向かい合っている。身延山に居を定めた日蓮が「いつか登ってみたい」と言いながら遂に登ることの出来なかった七面山を、後に弟子たちが開いて敬慎院を建立したと、登山道の由緒書きにあった。だが私にとっては、編集者Jと紅葉の七面山であった。
一昨日(11/14)浦和を出て甲府南インターから富士川沿いの国道を走って早川町に向かった。どうして中部横断自動車道に入らないのだろうと思っていたが、帰りにわかった。私の車のnaviが認識していなかったのだ。3時間ほどで早川町に着き、予約していた宿に荷物を降ろす。旅館というより商人宿といったところ。簡単な間仕切りに、素っ気ない応対。店番をしていたおばあさんが気遣いをしてくれるが、おぼつかない。この旅館、別館もあるのだが、そちらは満室、本館の二階も、出稼ぎの人たちでいっぱい。1階角の6畳間に、すでに布団が敷いてある。近くの早川町役場に足を運ぶ。七面山周辺の地図を手に入れるため。地理院地図は持っているが、七面山だけのルートしかわからない。わずか1130人の町民が維持しているとは思えないほど立派な役場。デスクの数もずいぶん多く見えた。まだ勤め始めて日がないという若い人が応対してくれた。「南アルプス邑 早川」と表題がデザインされた立派なパンフレット。早川村全体の地図が詳細に書き込まれている。それをみると、西側はすべて静岡県と境を接し、その北端には間の岳や農鳥岳が位置している。奈良田という下山地の名も記されていて、七面山の宿のお手伝いさんは「早川町は奈良田の方がよく知られているから」と、役場のある七面山登山口の角瀬の方は付けたしのような話をしていた。それにしても、「日本一小さな町」というキャッチフレーズに似合わない南北に長い大きな町だ。
最初顔を合した時、宿の女主人は「(七面山は)日帰りですか。大丈夫ですか」と気遣っていた。たぶん私の年寄り具合と七面山の上り下りを推し量っていたのであろう。私が最初に参照した『山梨県の山』(山と渓谷社)では、表参道から山頂までが3時間半、山頂から北登山口を降ると3時間10分、合計6時間40分の歩行時間だ。表参道と北登山口の間が歩行1時間20分ほどだから、ここをtaxiでも使えば、日帰りは大丈夫と踏んだ。ところが早川町の発行するパンフレットをみると表参道から山頂までが4時間40分、山頂から北登山口への下山に4時間15分かかる。合計8時間55分だ。これはちょっと骨だ。標高差も、1500メートル以上ある。つまり富士山の五合目から山頂まで往復するより少し大きいくらい。早川町パンフの時間の方があたっているかなと思わせる。でもまあ、まだ9時間ほどなら歩けるだろうとタカをくくる。雨が落ちているが、これも晴れると「予報」がある。
昨日(11/15)、まだ暗いうちに宿を出る。朝食はおにぎりにしてもらい、テルモスにお茶を入れてもらう。車を表参道まで走らせるが、いくつも駐車場があって、どこに停めるか思案する。ほかに車がないからだ。下の方において、歩きはじめる。10分ほどで鳥居に出逢う。木立の間に何台かの車が止めてある。ここが登山口らしい。「一丁目」から「四十九丁目」までの丁石が灯篭のかたちにして新しい。古い丁石もところどころにある。18世紀に設置されたものもあって、なるほど古くからの信仰の山と思われる。登山道は広く、落ち葉で埋まってしまうほどでもない。12丁ごとに「坊」があり、かつては修行僧がいたのかもしれないが、お茶屋のようにいすやテーブルがあり、参拝者が休めるようにしている。水も出ている。
針葉樹の大木が何気なく立ち並び、その向こうに色づいた広葉樹が黄色や赤をまとい、登ってくる陽ざしを受けて、はっとするほど美しい。道は九十九折れになり、丁石ごとに立札を立てて、日蓮のことばや由緒書きが書き込まれ、ところどころに信者が残した下手な「標語」が掲げられている。日蓮のことばはあまり詩的な飛躍をするものはなく、その観徒を信じる者には「ありがたい」だろうが、不信心者の私には、「だからどうなの」という疑問が浮かぶばかり。それでも一つ一つ丁寧に読みながら歩一歩と登った。途中、十丁目あたりで一組の夫婦を追いこした。表参道を往復して日帰りするという。二十三丁目の中適坊で、「すみません」と言いながらストックをついて足早に登ってくる若い外国人に追いこされた。これは速い。若いころの私も、こんなに速く登るようなことはしていない。スイスアルプスのガイドが強健なのに驚いたことを思い出した。肉食人種だと思ったものだ。
富士山を登っているような疲れは感じない。空気が薄くない分だけ、身体がラクなのだろう。「富士山に疲れをいやす~」という標語を見て、振り向くと、木立の間から東に富士山が見える。朝日を後ろにしているから、シルエットの富士だが、そうか、こうして富士山を見るのも信仰のご利益かと思う。表参道は東から西へ向かって上る。ジグザグの道だから陽ざしを背にしたり陽ざしにむかったりするが、その都度、日に照らされた黄葉や紅葉が針葉樹の黒々とした深い緑を浮き立たせるように明るく見えるのは、気持ちの安らぎに思える。コースタイムで55分かかるところを35分で上っていたりすると、これは案外、山と渓谷の本のように歩けるのではないかと思ったりする。
四十六丁目で大きな山門に出くわす。和光門とある。ここからが敬慎院の境内になるのだろうか。さらに二丁上がり、敬慎院の裏側の結界門(吉祥門)を見て左に曲がり登ると、展望台の広場と大きくどっしりとした山門をみる。室町の時代につくられたものであろうか、こんな大きな建物を建てる信仰の力は、現実が苦海であったからこそ生まれたものであろうか。「七面山→ 40分」と踏路に看板がある。先へすすむと寺男の住む家であろうか一軒の作業小屋を備えた家があり、人がいる。「七面山へ行っても、何もないよ。木に囲まれて見晴らしはないし、危ないところがある。そこの展望台の方がいいよ」と話す。礼を言って先へすすむ。山頂へあと20分くらいのところで、朝方あった外国人が降りてくるのに出逢う。聞くと、甲府でALTをしているアメリカ人。もう日本に住んで十年、日本人の奥さんと結婚し、近々「赤ちゃんがやってくる」と嬉しそうだ。「やってくる」という日本語が英語的だと思った。それにしても「歩くのが速い、若い者の特権だね」というと、「身延山と七面山を結ぶトレイル・ランニングのレースがある」と顔をほころばせる。
七面山の山頂は、たしかに樹林に囲まれているが、山頂としては広い。9時38分、登山口の山門から3時間23分。ほぼ山と渓谷のペースだ。方位板も置かれ、富士山ばかりか、南アルプスの山々が書き込まれている。そこに座って、おにぎりをほおばる。お茶がおいしい。取り囲むモミの木々の上に、刷毛で履いたような雲が遠慮がちに広がり、あとは青空。陽ざしが暖かい。
下山を開始する。登るときよりも、遠方と下界の景色が読み見通せる。(おっと時間がなくなった。出かけなければならない。あとはまた、明日。つづく)
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