2017年11月19日日曜日
どっこいお役目はたして
昨日、中学高校の同窓生が集まった。そのうちの一人・tkくんが銀座の画廊で個展(と言っても、「二人展」)を開き、それを機に同窓生が集まっておしゃべりをしようというもの。いつもならmdさんが仕切ってくれるのだが、今年彼女はサンフランシスコに住む友人が「(認知症になって)落ち込んでいる(わかるうちに会えるのは最後かもしれない)」というので見舞いに行って「お世話できないから、あなた仕切って」と頼まれて、私がコーディネートした。でも結構皆さん私的に忙しく、絵を見には来たが会食には顔を出せないという人もいる。あるいは出歩く程度に元気な人しか出て来られない。文字通り後期高齢者の年寄りは静かなものです。
画廊にだけ顔を出したtnsmくんからは以下のようなメールが届いています。
《昨日はとても楽しいひとときをありがとうございました。私は、田井小学校・宇野中学校の出身ですが、中学の頃は自転車に乗れて日比も比較的身近に感じていました。日比を越えて毎夏1回は渋川まで通った記憶があります。そんな時期、日比から東京へ移られてでの人生のひとこまを共有させていただいた気になりました。/躍動感にあふれるもの、雪景色のなかに春光を思わせるもの、京都での紅葉狩りを思い起こさせてくれたあの赤い色、いつまでも記憶の残ることでしょう。(後略)》
tkくんがどのような応対をしたのか、tnsmくんは昔日を想い起してひどく感動したようです。リタイア後もビオラを演奏して地域の音楽活動に参加している感激屋の彼のことですから、違った領域で意気軒高なtkくんの現在に刺激されたのかもしれません。tkくんの風景油絵はいろいろな手法を試しているようで、昨年は陰によって光を描き出そうとしていたのが、今年は光そのものの色のおき方によって光の降りてくる様を印象派風に描き出そうとする「藤棚」を素材にしたもの、あるいは紅葉の鮮烈な、やはり印象を刻むような六義園の一隅をとらえたものなど、まだまだ内側からあふれてくる意欲を愉しんでいる気配が伝わってきました。
背の高さは私とさほど変わらないのに、体重は私より20キロも少ないhmd夫妻は銀座から新橋まで歩いて、足取りはしっかりしています。まだ現役で働いているのですから、たいしたものです。その二人に近々、孫が誕生すると奥方が話し、hmdくんは「これで私も人類史的お役目を果たすことが出来そう。それまでは死ぬわけにいかない」と、気を吐いていました。そうそう。わが血縁を残すことが人類史的に意味があるかどうかはわかりませんが、個々の私たちは意味/無意味を越えて、そうやって人類史を紡いできたのですから、孫との出会い、すなわち爺婆になる体験との出会いも、それなりに大事に思って死んでいきたいよねと、共感していました。ここしばらくお酒を飲んではそれを消化しきれなくて翌日一日寝込んだりしていたhmdくんが、白ワインを口にし岡山の宮下酒造のビール「独歩」を含むことができて、どっこい生きてると気概を見せてくれたのは、なによりうれしいことでした。
いやじつは、来週、彼らとともに「お伊勢参り」をします。中部に本拠を持つog君がコーディネートして伊勢神宮由来の処を周辺から見て回って外宮、内宮と参内し、早朝参拝をするという企画。どっこい生きてるというだけでなく、ご先祖とのつながりまで体感して来ようというのですから、なかなか視野壮大と言わねばなりません。そういえば先述の六義園の紅葉のタイトルは「人生の秋、かくありたし」であった。「いや、来年は彼岸から出品するようになるね」とtkくんは笑っていたが、「お伊勢」という彼岸からの原点の塊のような地を訪ねて、やはりどっこい生きてると見栄を張る、そうありたいものですね。
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