2017年11月17日金曜日

不信心者が歩く信仰の七面山(2)


 (承前)下山を開始する。9時45分。登るときよりも、遠方と下界の景色が読み見通せる。モミの木など足元を背の低い笹が覆う踏路にはロープが張り巡らされ、「危険」とビニールに包まれた掲示がある。近々行われるトレイルランニングの走者向けに張ったものであろうか。うっかり踏み込むとその下が大きな崖になっている。「ナナイタガレ」と呼ばれるカール状の大崩落が山頂まで続いている、その一部が少し見える。木立の途絶えたところから富士山が見える。ここなら新緑の季節にも葉に隠されずに見える。急斜面が終わる辺りからカラマツの林になり、カラマツの落ち葉がふかふかと心地よく踏路も広くなる。


 山門のところに戻る。ここが展望台というわけだ。富士山が五合目のあたりに雲をまとって、天子が岳や長者が岳などの天子山地の向こうに立派な姿を見せている。その手前に身延山も単独峰のように低い背を伸ばしているが、そこから七面山に至る途中の赤沢宿は見えない。南の遠方には富士川の流れに陽ざしが当たってキラキラと輝いて光り下る。

 山門から入ると両側が石垣の緩やかな階段の下の方に、敬慎院の本殿が明るい日差しを浴びてまぶしい。「宝殊殿」と扁額がある。広い庭を通って登って来た時の結界を内側からみる。ちょうど、登るときに追いこした夫婦連れがやってきて、手水を使っている。私と比べてだいたい1時間余計にかかっている。早川町のパンフにあったコースタイムだ。「二の池・奥の院・御神木→」の表示にしたがって歩を進める。広い、車でも通れそうな道だ。二の池はひっそりと下の方に水をたたえ、鳥居を設えたその奥に社がある。そこからほんの少しで奥の院。「南無七面大明神 奥の院」の幟がはためく山門の向こうに、大きな岩が注連縄を張って構えている。これが「影ごう石」(お姿を現す石)といわれて、日蓮上人に見立てられていると「奥の院の縁起」の説明文が立ててあった。

 本殿の横を回り込んで「北参道」がつづく。「三十丁目」の丁石がある。やはり表参道同様に日蓮のことばなどが記された看板がある。明浄坊を過ぎて辺りの木に結わえられた白塗りの板に「虫や鳥は鳴けどもなみだおちず 日蓮は泣かねどもなみだひまなし」(日蓮聖人のおことば)とあって、なぜか面白いと記憶に残った。下山行程ほぼ半ばの安住坊の手前で下から登って来たのは、七面山の山頂近くで言葉を交わしたアメリカ人。
「どうしたの?」
「車まで行って、もう少し上まで登り返している」
「トレーニングだね」
「はいそうです。」
 とにこやか。私は登降の速さを頭の中で計算している。彼と最後に出逢ってから2時間20分。その間に彼は、コースタイム3時間ほどのところを下りきり、1時間余かかるところを登って来た。さあ、彼の速さは私の何倍でしょうと、小学校算数の問題がちらつくが、数字がちらついてまとまらない。まあ、いいか。若いのは速い。まして彼はランナーだ。年齢でいうなら私の半分以下だから、私の倍速くても当然、と慰めにもならない理屈を想いうかべる。私が下っていると、彼が降りてきた。「グッデイ」といって追い越して下っていく。いいねえ、若いってのはと、また思う。それにしても来年こちらに山の会の人たちを案内するとしたら、平均年齢が古希を越えるから、一般の参拝者のように、山頂近くの敬慎院にとまって二日掛けて歩くのがいいかもしれないと思う。

 12時45分、角瀬に降りつく。北参道の入口には立派な鳥居があり、スギの木々の向こうに七面山の山体が大きく盛り上がって見える。たぶん私の下ってきた稜線だろう。泊まっていた宿に顔を出し、2時ころ下山と言っていたのにこの時間では風呂も用意できているまいと思って断ろうと思ったのだ。ところが、タクシーで車を取りに行く間に何とかしましょうという。ありがたく受けてタクシーに乗る。走っている途中で運転手に電話が入り、「別館の方の風呂に入ってくれと、乗っている旦那さんに伝えて」と話している。運転手は了解して、別館の場所を教えてくれる。自分の車に乗り換え別館に着く。風呂の湯がぼこぼこと湧いている。お金を出そうとすると、「いらない、いらない。どうぞごゆっくり」という。ありがたいね。頭を洗い、汗を流して、身体を温める。これが疲れを回復する一番の方法。

 こうして車を走らせて帰宅した。午後4時過ぎ。道々の紅葉が陽ざしに映えて美しい。やはり晴れているに限る。ところが帰り着いてから疲れがどっと出た。夕飯を済ませてソファに座っているほんのちょっと間に、テレビの番組が変わっている。「いまTVつけたの?」と聞くと「よく寝てましたよ」とカミサン。「お風呂沸かしてますから、温まって寝たらどう?」ともいう。こうして私の、早川町と七面山は無事に歩き終えたのでした。

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