2017年11月23日木曜日
わが身の盛衰を推し測りながら山を歩く
やはり幸運に恵まれたというべきなのであろう。昨日(11/22)、御岳山から登り、大岳山、鋸山を経て奥多摩へのロングコースをたどった。幸運というのは、天気のこと。「曇りのち雨」の予報。ところが往きの電車は明るい陽ざしのなかを走る。上空に雲は張り出しているようだったが、青梅線の車窓から富士山がくっきりと見える。気温はうんと低い。羽毛のベストをつけ雨着の上を羽織ってちょうど良いほど。鼻水が出るから気温は5℃くらいであろう。
御岳駅からバスに乗る。座席はいっぱい、立っている人も何人かいる。皆さんリュックを背負っている。ケーブルカーに乗り継いで御嶽山頂駅に降り立つ。標高880mというから、ずいぶん楽をしたことになる。紅葉はもう終わりかけている。今日のコースを提案した私は、奥の院を踏んだことがない。kwrさんは「歩いたことがある。まっすぐ道なりに行けばいいんだよ」というが、いつだったか下見のつもりで歩いた私は、どこかで奥の院をスルーする道へ入ってしまっていた。3年前に同じコースを歩いたというmsさんは、自分の体力がどこまで落ちているか見極めるつもりだと意気軒高だが、コース案内を頼むと「そんなあ、人について行ったからわからないわよ」とにべもない。ケーブル降り口にあるイラストマップをみると、「奥の院、鍋割山、大岳山」への踏路が記されている。みていた若い女の二人連れが「鍋割山って、ここから行けるの?」と驚きの声をあげて、私をみる。「えっ?」「丹沢じゃないの、あれは?」という。「ワープするんですよ」とからかうと、あははと笑って嬉しそうだった。9時に歩きはじめる。
参道は平らな舗装路がつづき、ときに急傾斜で上り、ときに下る。御岳神社の山門をくぐりさらに上への階段があるところに「←奥の院・大岳山」の小さい標識がある。石碑石柱をみていた誰かが「御岳講が、ずいぶんたくさんあるんだね」という。「そういえば、こちらは神社、高尾山はお寺だね」と返す。地図では幾筋もの登山道がある。oktさんもkwrさんも迷うことなくずいずいとすすむ。結構早い。分岐ごとの標識に「↑奥の院・鍋割山」と出た。天狗の腰掛と呼ばれる杉の大木がある地点だ。「←大岳山・御岳神社→」という標識と60度くらいずれているから、下見のときは急ぎ足で見落としてしまったのだろう。「先達・半澤イチ」と大書した石碑が立っている。なんだろう、これはと思うが、詮索はしない。そこから急な上りになっている。
oktさんが先頭に立つ。スギの大木が林をなす。木の幹に番号を振った札が打ちつけられ、「1731」などとだんだん数を増している。御岳神社のスギを保護するために、大木一つひとつに名前を付けたのであろう。番号の抜けたところもあったのは、すでに切り倒されたのであろうか。足元の落ち葉はますます深くなり皆さん黙々と歩く。私のすぐ前のokdさんが小声で何かを歌っている。詩吟を唸っているのかもしれない。歩きはじめて1時間5分、石段を上がって奥の院の社に着く。そこで道は右と左に別れ、右へたどるとすぐに行き止まり。左の険しいルートがご正道のようだ。最後尾にいた私が先導するようになった。すぐに「奥の院峰1077m」に出る。地図では何棟かの建物があるように赤い印がついていたが、そういう余地も気配もない。岩の積み重なった、今度は下り。慎重に降りる。
巻道と合流して尾根歩きがつづく。鍋割山は、何の変哲もないピーク。快調にoktさんは進む。kwrさんがつづき、そのあとにmsさんがついて行く。あとでmsさんは「OKコンビが先を歩くのがいい」とご満悦の様子であった。奥の院ルートと別れた別ルートと合流し、大岳山に向かう。上から降りてきた人が「熊をみなかったか」と聞く。「いや、見なかったが、どうした?」と前の方でやりとりをしている。先ほど山頂に登って来た一組が「熊をみた」と話していたので、様子を見ていたそうだ。歌を歌っていたokdさんに、あなた前を行けよと声がかかる。okdさんは古い歌しか知らないからと妙な言い訳をしている。岩場に差し掛かる。上から降りてきた3人連れのお年寄りが「この先岩場、恐いよ。でも若いから大丈夫か」と声をかける。「若いったって、もう古稀過ぎてるよ」と応じると、「へえ、ずいぶん若いんだね」と返してきた。そうか、ずいぶんお年寄りなんだとおしゃべりが弾む。
狭い岩場のルートを登る。なるほど、ケーブルとところのイラストマップに「大岳山(上級者向き)」と書いてあったのはこれのことかと、なとなく得心。朽ち果てている大岳山荘上の広場に着く。スタートしてから2時間半、おおむねコースタイムだ。ここから山頂までひと登り。と、kwrさんが木に掲げられている「ご注意ください」という掲示に目を止めた。そこには「大岳山から鋸山~奥多摩コースと馬頭刈尾根コースは約4時間のコースになります。日照時間を考慮し、行程には十分ご注意ください。ライトをお持ちですか」と記してある。
「ああこれは、私たちの歩くコースですよ」
「おい、大丈夫か」
とkwrさんは心配そう。ここまでのペースなら、3時半に奥多摩に着くかなと、私。それに皆さん、まだまだ元気だ。休んでいるとき、耳に入った話がある。「血管年齢を調べたら89歳だった」と60台半ばのmsさんが話している。話し相手のmrさんは「私はね、若いって言われたのよ。いくつだったと思う」と応じている。「あっいや、言わないで。聞きたくない」とmsさん。「血管年齢じゃあ私120歳よって、ギネスに登録してもらったら」と誰かが口を挟んで茶々を入れる。年寄りの会話だが、こうやって、自分の体が年々衰えていくのを実感しながら、山を歩く現在を味わっているといえようか。
山頂には11時50分着。雲がすっかり空を覆い、予報通りの曇りになった。風が強い。寒いというより冷たい。kwrさんが山陰の窪地の枯葉の溜まったところに腰を下ろして、ここで食事にしようと声をかける。それぞれに場所を占めて、お昼にする。大岳山荘の「注意書き」が話題になる。「4時間もかかるんですか」と誰かが言う。私が「コースタイムで焼く3時間です」と応えると、「ここまで3時間かかっているから、それじゃあ6時間のコースじゃないですか」と抗議口調。kwrさんが「いや、だから、5時間55分のコースっていうんだよ」と混ぜ返す。「15時を過ぎると天気が崩れるっていうから、それまでに下りたいですね」と声が出て、腰を浮かす。12時20分。30分のお昼タイムで出発した。
OKMの順に歩く。初め少し岩場の急峻な下りがつづいた。ここを登るのはたいへんねと言いながら、それでもペースは落ちない。「こういうところって、高度を稼げるからいいのよね」と、msさんが気を楽にするように皆さんに呼び掛けている。下から若い軽装の男がやって来て道を譲ってくれる。トレイルランナーのようだ。聞くと御前山を経てきたという。すれ違って振り返ると、彼らは軽々と登っていく。もう一組あとからトレイルランナーとすれ違った。都民の森から走りはじめたという。これはすごい。若いってすごいねと言いながら、でもどこかで(トレイルランナーでもないのに)自分を重ねて見ている。
鋸山に着く。13時40分。1時間20分で来ている。コースタイムより10分早い。このペースだと3時少し過ぎに下山できる。でもなあ、疲れが出てくるからなあと心配は継続している。ベンチに腰かけていたmsさんが何かメモをみている。みると今日のルートのポイントごとに予想到着時刻を書き込んである。「コースタイムをこうして書き込んでおくと、自分の歩くペースがどれくらい落ちているかわかるでしょ」と事前準備のひとつとしている。それを見ると、ここまでですでに45分遅れている。お昼タイムは30分組み込んでいる。「奥の院を回ったから」とmsさんは話すが、やはり岩場の上り下りが時間をとっているのかもしれない。「上級者向けコース」だもんなと慰めにもならないことを思う。先頭を歩いているoktさんが太ももが引き攣りそうなのか、四股を踏むような体操をしている。
あいかわらず岩場と急な下りをOKMこんびが先行してくり返す。スギとヒノキの樹林ばかりがつづき、ところどころに黄葉する広葉樹が目を惹く。何かを祀った祠と二柱の石碑が建つところに来る。すでに15時を過ぎているが、標高はまだまだありそうだ。その先の樹林の中を歩くにつれ、暗くなってくる。私の暗いところでの視力が落ちているからそうなのか、ずいぶん暗くなった。というのも、カメラで写すと案外明るく映っているから、私の眼が悪いのかと思う。大岳山荘の「ライトを持っていますか」という注意書きが思い浮かぶ。歩きながらそれを話すと、持ってるよという声が多かった。これなら大丈夫だ。
やっと愛宕神社に着く。15時55分。鋸山から約2時間かかっている。やはり後半戦のタイムロスを見込まなければならないようだ。急峻で狭い石段を180段ほど下ったころ雨がぽつぽつと落ちてきた。雨具を出していて最後尾になったoktさんが、登計園地に降りるころ「やっぱり降りるのは最後尾だな」と残念そうな声を出したのが印象的であった。車道に沿って橋を渡ったのは16時19分。駅に着くと22分発の電車があるというので、大急ぎでトイレを済ませ電車に飛び乗った。朝出発した御岳駅に着くころにはすっかり暗くなり、ヘッドランプがいるようだなとkwrさんと話した。
「そうです。2時には下山するように(計画)しなくちゃあね」
というmrさんの声が胸中に甦った。ごめん。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿