2018年11月30日金曜日

12年目に突入する外部記憶装置


 11月30日は、11年前にこのブログがはじまった最初の日。2007年。65歳になった翌月に起ち上げた。今日から12年目に突入する。だからなに? と問われて、何か意味があるようなことを口にするのは、はばかられる。ただの日録だ。だが一回りやって来たことになる。継続は力だと、若いころはよく耳にした。それは、継続することでその領域の能力を磨き、センスを高めることに通じたから、それなりに頷きながら心の習慣になるように身を処酢と考えた。だが今は、能力を磨いてどうする。センスを高めるったって、身は日々衰えを見せている。センスだけが高まったりすると、身の程知らずになると、身体がどこかで承知している。

2018年11月29日木曜日

対照的な里山


 天気が崩れるかもと言われた昨日(11/28)、秩父盆地の入口にある埼玉県寄居町の里山を歩いた。来週行く予定だった、この山のチーフリーダーが「鎖骨骨折で行けなくなった。あとをよろしく」とメールがあった。えっ、俺も行ったことがないよと応答したが、まあいいか、今週の山に組み込んで歩いてこようと出かけたわけ。

2018年11月28日水曜日

人為的なものは冷血で良い


 太田光『違和感』(扶桑社、2018年)を読んでいて、「モラルと道徳とルール」という節が気にかかった。要は、「ルールは厳しくていい。法律は冷血で良い」と言う。それを見て、そうか、と腑に落ちるところがあった。

2018年11月27日火曜日

いい加減な奴


 団地管理組合理事長の仕事をしていて、「自然という傾き」などと昨日、ためらいもなく自己批評をしたが、それにはもうひとつ、不可欠の軸がある。ちゃらんぽらんという気性だ。

2018年11月26日月曜日

自然(じねん)という傾き


 このところ、わが団地の理事・役員の交代制の改善案を策定している。五階建ての団地の階段毎に一人の理事を輪番で選出して13人で理事会と自治会役員会を構成する。理事と役員はダブっている。つまり、自前で管理し、自治会活動も一緒にやろうという態勢でやってきた。もう28年もつづいている。

2018年11月24日土曜日

直葬


 ご近所の高齢者ばかりの集まり。飲んでいるときの話題、ひとつ。

「わたしね、ジキソウすることにしたよ」
「なに、ジキソウって」
「死んだらね、葬儀社に頼まず、病院から焼き場に直行するのよ」
「そりゃあ、ご本人はいいでしょうが、奥さんはどうすんのよ」
「いや、家内もそれでいいって言ってるんだよ」

2018年11月22日木曜日

初冬の奥鬼怒温泉――山歩講・鬼怒沼湿原


 わが家から鬼怒川温泉駅まで、わずか2時間。東武特急でやってくる山の会の人たちと落ち合い、42km先の奥鬼怒温泉郷の女夫淵温泉へ向かうnaviに頼るから、どこをどう抜けているかわからない。鬼怒川温泉駅の標高385mから女夫淵温泉1120mまで、山間を辿って緩やかに上っていく。上るにつれて山肌の紅葉がきれいになる。途中に栗山ダムや川俣ダムがあって、たっぷりとたたえた水に映えて、赤や黄色の彩がさえる。いい季節だと、今日の天候を讃えながら、車中に方たちは山談義に余念がない。何しろ私は、雨男。今年の私が企画する山はほとんどが、雨の中。久々に今日明日と、予報は晴れ続き。1時間ほどで女夫淵に着く。市営の広い駐車場は2,3台が止まっているだけ。奥の休憩所のそばには、市営のバスが出発を待っている。12時少し過ぎ。

2018年11月20日火曜日

これから、奥鬼怒の湿原へ


 今日、明日と晴れ。私の山行としては、珍しい天候。今から奥鬼怒の湿原に出かける。奥日光から尾瀬に至る山塊の中ほどにある。1泊。妻夫淵温泉に車を置いて、沢沿いの山道を約2時間。途中の八丁の湯や加仁湯が有名だが、それらの湯の源泉にあたる日光沢温泉に泊まる。その奥の鬼怒沼湿原を訪ねる、のんびり贅沢な山行。それが天候に恵まれる。

 日頃の慌ただしい世事を逃れて、湯船につかる。山旅を共にする人たちと飲み交わす。そして翌日は、全行程6時間の歩行と、年寄りの山歩きには極めつけの贅沢である。私は車で行く。鬼怒川温泉駅でほかの人たちを拾って妻夫淵温泉へ向かう。

 胸に無時限爆弾を抱えた身となっては、長い時間、他人様を同乗させるわけにはいかない。私自身も、高速道路で事故を起こすわけにもいかない。心して出かける。ではでは。

2018年11月19日月曜日

こんにゃろ


 はねが うつくしいからといって いつも
 「ごめんあそばせ」と
 とんでいるわけではない
 ときには ずっこけて
 「やばい!」とさけび
 ときには すねて
 「こんにゃろ」と つぶやいているのだ
 はっはっは どうだまいったか

2018年11月18日日曜日

丸くなるのは、どうでもいいということか


 相変わらず、私の俗世間とのおつきあいはつづいている。今日も、団地理事会に付属する建築関係の専門医委員会の月例会。この専門委員会の「値上げ素案」を受けて理事会の「値上げ案」を決めた。「受けて」などというのは、格好をつけている。内実は、そっくりそのまま受け入れて、「素案」を「成案」として「説明会に臨む。そういう「説明会資料」を作成中だ。理事たちに回した「成案」の第一稿を、この専門委員たちにも見せて、用語のチェックなどを期待した。これは、「説明会」の席上で、専門委員たちが理事会側に着くことを期待した「ガス抜き」でもある。

2018年11月17日土曜日

暮らしを織る


  大城立裕『あなた』(新潮社、2018年)を読む。大城が生きていることも知らなかったし、こんなふうに坦々と、でもしぶとく憶えているよと伝えようとする筆致を駆使しているとは、思いもよらなかった。いや、敬服。彼は1925年生まれ。大正14年生まれになるが、「著者紹介」では西暦しか使っていない。まるで沖縄の大西巨人だと、私の印象は記憶している。本書は、短編集。

2018年11月16日金曜日

雑事に紛れて


 11/13に「彼岸と此岸のグレーゾーン」をアップしてのち、14日と15日にブログへの書き込みをしなかったせいで、遠方の知人から「まだ入院しているのか。具合が恢復しないのか」と電話があった。いや、気遣わせてまことに申し訳ない。「入院」については、私の身体自体が(何かあったの?)という調子の反応なので、まったく何でもありませんでした。

2018年11月13日火曜日

彼岸と此岸のグレーゾーン


 「逝くような体験」をしたのは救急救命室と集中治療室でしたが、病室が空いて6人部屋に移されました。「集中治療室」は4人部屋、病室は6人部屋。どんな方が入っているのか、カーテンで仕切られているので顔はわかりませんが、声だけは聞こえます。
 嗚呼、病室というのは、人生の集積場だと感じました。

2018年11月11日日曜日

こんなふうに逝くのか、という体験


 「ぼちぼちリミットか」と11/8に書いた。山歩きの疲労が喘息のようになって出ることを、山歩きの終わりの始まりととらえている所感だ。ところがどうも喘息ではないかもしれない、風邪かなと思う節があって、かかりつけ医に診てもらいに昨日、足を運んだ。待合室で本を読みながら待っている間、心臓の辺りに間歇的に軽い痛みが来る。2分に一回くらいか。痛くはない。強く上から押さえるような感触だが、圧迫感でもない。痙攣かなとも思う。

2018年11月9日金曜日

前線の通過する雲の中の丹沢を歩く


 一昨日(11/6)丹沢を歩いた。バスを降りると、すでに雨が降りはじめていた。大きなトイレの外側の庇の下で雨着をつけて出発。ヤビツ峠から菩提峠を経て二ノ塔へ上って三ノ塔へ向かう、静かなルート。じっさい、出会った人は、三ノ塔の避難小屋で昼食をとっていた2パーティ4人と下山中に上って来た単独行の外国人だけ。バスは座席がおおむね埋まっていたから、他の方々は、寺山を通過する主稜線コースをとったか、大山へ向かったか。

2018年11月8日木曜日

ぼちぼちリミットか


 昨日朝、咳き込んで目が覚めた。気管支炎というか、喘息のような咳き込み方だった。

 じつは前日(11/6)、雨の中を丹沢に登った。あさ4時半に起き5時半過ぎに家を出て新宿からの電車に乗らないと、秦野発のヤビツ峠行バスに間に合わない。9時20分にヤビツ峠を歩き始め、午後3時22分のバスに乗ったから、行動時間はおおよそ6時間。午前中の雨は南からの風に乗って温かかったが、お昼頃に雨が上がるとともに、冷たい風が吹くようになり、前線というか、気圧の谷が通過して行ったんだと分かった。上りは標高差500mばかり、下りは標高差1000mほどと山歩きというよりは山下りの趣。快適な山であった。

2018年11月7日水曜日

女性の社会的経験の生み出す裏技操作気質


 このところちょっと慌ただしい。団地の修繕積立金の値上げに関する「説明会資料」を文章化していることもあるが、それだけではない。山のことやseminarのこと、他の調べたいことがあって、ブログを書く気分になれない。でも、日々を過ごしていると気になることが出来する。それについて、いつか書こうと思っていると、ついつい忘れてしまう。まず、そのひとつ。女性の社会的経験の生み出す裏技操作気質。

2018年11月4日日曜日

事象をみる、原因はどうでもいい、か。


 今野敏『豹変』(角川書店、2015年)を読む。ストーリーはさておいて、この物語の山場で登場する人物・お祓い師のセリフが面白いと思った。人に憑依する「狐憑き」をどうみるのかというところ。

「それで、人間の精神活動というのは、単なる個人の脳の働きの結果ではないと、あなたは考えているわけだね?」
「そういうことは考えません。俺は、目の前で起きている憑依現象について対処するだけです」
「原因も知らずに?」
「理屈など知らなくても戦うことはできます」

2018年11月2日金曜日

〈何か〉のために生きる自画像


 《優子ちゃんと暮らし始めて、明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分のよりずっと大事な明日が、毎日やってくる。すごいよな。   瀬尾まいこ》

  と「折々のことば」が拾われ、これは小説『そして、バトンは渡された』の一節と断って、鷲田清一は、こうつづける。

 《縁あって高校生・優子の義父となった男の言葉。優子は幼くして母を亡くし、血縁でない大人たちにリレーされて育った。その”親”たちが大切なもう一つの「明日」のためそれぞれに心を砕く。あらためて考えれば、自分のために生きるというのは、自分を満たすものが何か見えず、存外難しいもの。》

 これは、昨日アップした「アスリートと心の病」の、もう一つ深みを指し示しているのではないか。

2018年11月1日木曜日

納得する人生は後からついてくる


 今日(11/1)の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」は「アスリートと心の病」。バスケットボール元女子日本代表主将の小磯典子さんを取り上げている。彼女が5回の五輪予選を経験する中でぶつかった精神的な葛藤と引退後に感じた絶望感を語っていて、頂点には頂点の苦悩が待っているのだと思った。

静かな笹尾根を歩く


 ここ二週間、晴れの日が続いているのに、山に行っていない。身辺慌ただしいからだが、そうなるとスマホを充電しながら部屋の隅に置いておくだけで、見ることも滅多にしない。たいていのやりとりは携帯電話のショートメールでやっている。昨日は久々に山へ足を運ぶことになって、スマホを手に取ってみるとメールが二通入っている。海外にいる私の旧知の友人・ノブナガさんから10/24と10/28の日付。二通とも同文なのだが、二通目には「ワタシです。メールを見てくださいよ」と悲痛な叫び声のように書いている。歯が痛んで苦しい、医者は歯茎がイケナイというが、この12月に日本に帰る。そのときに診てもらおうか、ちょっと荒っぽいがこちらの医者に治してもらおうか迷っている。ところで、12月帰国の折に会いたいが、都合はどうか。と問い合わせる内容。山から帰ってきて、返信したところ、「不正アドレスのため、送信できません」とスマホのプロバイダから拒絶された。えっ、間違えたかなと思いつつ、きっちりと「返信」にしてみたが、同じ反応。向こうさんもg-mailなので、不正も何もないと思うが、どうしたものだろう。これまでこれでやりとりできたのに、「不正アドレス」ってなんだろう? こうなると、さて困った。海外にいる彼に応答する術がない。このブログでも目にしてくれるといいのだが、12月の帰国を待つしかないのだろうか。