2018年11月22日木曜日
初冬の奥鬼怒温泉――山歩講・鬼怒沼湿原
わが家から鬼怒川温泉駅まで、わずか2時間。東武特急でやってくる山の会の人たちと落ち合い、42km先の奥鬼怒温泉郷の女夫淵温泉へ向かうnaviに頼るから、どこをどう抜けているかわからない。鬼怒川温泉駅の標高385mから女夫淵温泉1120mまで、山間を辿って緩やかに上っていく。上るにつれて山肌の紅葉がきれいになる。途中に栗山ダムや川俣ダムがあって、たっぷりとたたえた水に映えて、赤や黄色の彩がさえる。いい季節だと、今日の天候を讃えながら、車中に方たちは山談義に余念がない。何しろ私は、雨男。今年の私が企画する山はほとんどが、雨の中。久々に今日明日と、予報は晴れ続き。1時間ほどで女夫淵に着く。市営の広い駐車場は2,3台が止まっているだけ。奥の休憩所のそばには、市営のバスが出発を待っている。12時少し過ぎ。
休憩所でお昼をとり、歩き始めたのは12時45分頃。橋を渡り林道を外れていきなり鉄の階段を百段ほど登り、高台を越えて下り、吊り橋を渡って鬼怒川沿いに上流へと向かう遊歩道を歩く。もう紅葉は終わり、冬枯れの木立が針葉樹の深い緑のなかに林立する。陽ざしが向かいから差し込み、沢は明るい。日光沢温泉のホームページには、「台風24号で通行止めになっていた遊歩道が通行可能になりました」と、10月19日に栃木県西森林事務所から連絡があったと記されていた。広い河原には流されてきたと思しき枯れ木がところどころに横たわっている。石が流れないように川床を整え、さらに河原の端に石組みをしセメントで固めて、その上に歩道をつくっている。鬼怒川の源流に近いのだが、時に荒れて暴れ川になるように思える。大きな岩が道を塞ぐように転んでいる。右の土砂が斜面が崩れたように削りとられて無残な気配を残す。「落石注意」の貼り紙が、効き目のないお札のようにぶら下がっている。河原の丸石を組んだと思われる石垣に苔が生え始め、ああここも、もう五十年近くになるのかと思った。ススキに午後1時半の陽ざしが当たって美しい。
八丁の湯は古い佇まいに加えて、ログハウス風の大きな棟を並べ、車体の横腹に「八丁の湯」と記したマイクロバスが3台くらい、小型のバンも何台かあって、女夫淵からの一般車通行禁止の林道を送迎している。でも今日は火曜日。人影はない。1時間20分。そこから10分ほどで加仁湯の宿の前を通る。映画「千と千尋の神隠し」に出てきた湯宿のような風情の入口だが、あれほど古びてもいないし、大きな感じはしない。「春日野部屋合宿所」という筆墨の看板が木造の小屋に掲げてある。「長久記念館」と小屋の名前を記しているから、いまは使われていないのだろう。彼ら関取はどうやって、ここに来ていたのだろうかと、通り過ぎながらおしゃべりに余念がない。雪上車が出番を待つように置かれている。この先の道がすっかり立派になって日光沢温泉につづいている。鬼怒川の右岸を通る旧道は今、通行禁止。新しい道路沿いに、太い樹脂製のパイプが二本並んで上流へとつながる。1本は皮膜を覆うように何かで包んでいるが、それは水が凍らないように守っているのか、温泉が覚めないように保護しているのか、わからない。
標高約1400mの日光沢温泉は、ひなびた温泉宿のつくり。鬼怒川源流がいよいよ往きどまったところに位置している。「関東北区高等学校高体連登山部指定」と書いた木製の古い看板が入口の脇に掲げられている。中の由緒書きなどをみると、明治に時代からあったようだが、はて、その時代に、誰がどのようにしてやってきて、ここを定宿のように使ったろうかと、同行のkwrさんはいう。下流の八丁の湯も加仁湯も、ここの源泉を引いていると聞いたことがある。川べりに降りていったところに設けられた温泉は、しっかりと温まる。私は3回も入った。露天風呂は湯温が少し下がる。もう外気は冬だから、内湯に温まってから上がるようになった。
登山拠点らしく、いろいろな注意書きがある。40代後半と思われるここのご主人も、われわれをみて鬼怒沼まで往復5時間。6時間かかる人もいるよという。「山を甘く見るな」ということらしい。昭文社の地図ではここの小屋から往復は4時間20分だから、女夫淵まで6時間とみていれば、まず大丈夫と読んでいる。ご主人より少し若い奥さんと玄関口ですり寄ってくる柴犬が宿守りをしているようだ。食事は、山の宿にしてはいろいろなおかずが配膳され、お腹がいっぱいになった。kwrさんはご飯をお代わりしていたようだから、この元気なら明日は大丈夫だと思った。ただ寒さは、すっかり冬だ。ストーブもこたつも入っている。風呂に行って部屋を空けるときには火元を消してくださいと念を押された。乾燥しているから心配しているのだろう。
翌朝、6時半の朝食をとり、7時20分に出発。夜に少し雪が降ったらしく、ところどころの草の上が白くなっている。庭から登山道に出るところのセメントの斜面が凍りついていて、危ない。小屋の下をくぐり山道へ向かう。その上に「是より恐瀧観瀑台429米」「日向恐観瀑台457米」と木片の書きつけが釘で止められている。前の方の滝がオロオソロシノ滝と言われ、後者がヒナタオソロシノ滝と地図に記されている。オロというのは、日陰という意味らしい。上ってみてそれが分かる。ヒナタオソロシノ滝は、南西側に向いた谷にあり、オロオソロシノ滝は北東に向いた谷の合間に位置している。陽ざしが差し込むかどうかで、名前が付けられたのだろう。いきなり急登の斜面をのぼり、標高1650mほどの地点にヒノキを切り開いた見晴らし台が設えられていた。宿から30分と昭文社地図にはあったが、40分ほどかかっている。宿のご主人のいうことがもっともなのかもしれない。
標高1820mほどから先は傾斜が緩やかになるが、小さな笹の間に雪が残っている。登山道の道脇にきらきらと霜柱の塊が光って美しい。しつらえられた木の階段は真っ白。その上はモミやシラビソの緑濃い林になる。倒れたばかりのような大木が、折れ目を曝しているのが生々しい。いよいよ雪が広く道を覆うようになり、木道が現れる。雪の残る木道に踏み跡はないから、今日は私たちが独り占めしているわけだ。2時間20分、鬼怒沼湿原に着いた。標高は2025m。
湿原は、しかし明るい日差しに照らされ、雪は融け、草モミジ。小さな池に張った氷の上は雪が積もって白かったり、草草の間には凍りついた水溜りがあって、冬に入りましたよと告げているようだ。振り返ると、日光白根山が凸凹の山頂部を見せ、少し離れて根名草山や温泉が岳が、逆光に並ぶ。湿原の北西方面には、会津駒ケ岳が平たい山頂に雪をつけて、モミの木に隠れるように姿を見せる。そちらの方へすすむと左手に燧岳が双耳峰をくっきりとみせて雪をかぶっている。さらにその左に、至仏山が広い山頂を真っ白にして、尾瀬ヶ原を懐いているのがみえる。午前10時前の陽ざしを受け、雲に覆われもせず、いま立っているここが、奥日光から尾瀬への山中ルートの中間点であることを示している。5年前に上った至仏山や燧ケ岳の話しが出る。でもあの時は、同行者が9人くらいいた。その人たちがいまは、リハビリだったり、リタイアだったりして、一緒に来ていない。残念だわねとokdさんがしきりにぼやく。「←大清水 鬼怒沼山→」の分岐点に着く。鬼怒沼山を越えると尾瀬ヶ原の方へ直に入り込む形になる。
あまりに天気が良く、湿原の向こうに見える鬼怒沼山に行ってこようかとkwrさんが前向きだ。okdさんは「えっ? 行くんですか」と半信半疑。昭文社の地図をみると、往きが25分、帰りが20分とある。ならば行ってきましょうと登り始める。すっかり雪が道を覆っている。台風24号のせいか、倒木が道を塞ぐ。越えたりくぐったりして、先へ進む。昨日の雪の上に新しいシカの足跡がある。それが私たちの進む先へと道案内をするようについている。ルートは上るのをやめてぐるりと山体を巻き始めた。えっ? とすると、この山は鬼怒沼山の前衛の山か。目の前に現れた山は一度下って、また少し登ったところにあった。あと10分かなと思ったが、すでに30分経っている。向こうまで行って帰ってくるとなると往復45分が1時間以上になる。しかも山頂は、背の高い樹林におおわれて見晴らしが利きそうにもない。引き返す。帰りにはショートカットの道を見つけ、ちょうど湿原の避難小屋の脇に出た。そこからは燧ケ岳と至仏山が並んで一望できる。モミの木々も切り払われたように、場所を開けている。
湿原の大きな池の脇で軽いお昼にする。10時50分。陽ざしは相変わらずだが、風が冷たい。手がかじかむ。温かいものを口にして20分ほどで下山を始める。木道が心地よく、先頭のkwrさんはずいずいとすすむ。脇道へ入らず、もと来た道を引き返す。11時15分。はじめ緩やかな下り、あと半分が急傾斜の下り。雪をつけた石を踏むところもあったりして、滑らないように気を付ける。アイゼンがあっても利かないねと話しながら、先頭は調子がいい。1時間10分でオロオソロシノ展望台へ帰着。朝よりも明るく滝が見晴らせる。下半分の滝つぼへ落ちるのが、目に入る。
こうして12時50分に日光沢の宿に戻った。トイレを借り、小屋の掃除をしていたご主人と少しばかり話をする。冬は、2メートルほど雪が積もるが、お客はスノーシューで女夫淵温泉から歩いていやってくるそうだ。2時間はかかるだろう。とすると、ここへスノーシューで来て、お酒を呑んで温泉に浸かり、またスノーシューで女夫淵へ戻るという旅になりそうだと、私たちは笑う。ご夫婦で湯守をするのも、なかなか肝が据わっていないと大変だなあと思う。
13時10分、女夫淵へ向かう。下りは軽快だ。途中半ばで一息入れただけで歩き通し、1時間20分ほどで女夫淵温泉の駐車場に着いた。車に乗って鬼怒川温泉駅に向かう。26㎞とおもっていたのが、42kmあることに気づく。でもおおむね1時間ほどで駅に着き、皆さんと別れて家へ向かった。珍しく天候に恵まれた奥鬼怒の山であった。湿原の見晴らしが見事であった。
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