2018年11月26日月曜日

自然(じねん)という傾き


 このところ、わが団地の理事・役員の交代制の改善案を策定している。五階建ての団地の階段毎に一人の理事を輪番で選出して13人で理事会と自治会役員会を構成する。理事と役員はダブっている。つまり、自前で管理し、自治会活動も一緒にやろうという態勢でやってきた。もう28年もつづいている。


 それとともに住民も年をとり、理事・役員が務まらないという「不安」が募るようになった。じつはもう十年も前から「論題」にはなっていたが、まだわがコトとして考えるほどではなかったのだろう、理事会の議題に上がるようになったのが、2016年度。昨年も検討をつづけ、その間何も公表されることなく、今年の私たちに受け継がれた。「メモ」が3枚。任期を2年にするとか、80才以上を役員免責にするとか。いろんな方法が「提案」されたようだが、どれも成案を得なかったという。

 今年は、その検討経過をまとめ、私が「試案」を出して、皆さんの意見を聞くことから始めた。いろいろな思い付きが出る。それを文面にしてよと呼びかける。文面にすると、具体的になる。半数ずつ入れ替わって2年任期制にするのも、いつから実施となる。と、「まず隗より始めよ」っていう言葉も出てくる。つまり、今の理事の半数が居残って2年やるのから始めよってことも出る。

 それはしかし、「覚悟」がないということで、「総会」の承認を得てから実施しようということになる。それは「乱暴だ」という意見も出る。その「乱暴」というのはなぜ? と聞くと、上手く答えられない。その「乱暴だ」と言った方が、棟から選んで、理事会と自治会を分け、20人態勢でやろうと「新提案」をする。この方は、それは乱暴だとは考えていない。だが、どう選出するかには、思いが及ばない。この「提案」は聴いた方が乱暴だなと思っている。

 私は、最初に話しの口火を切ったから、あとはみなさんのいろいろな言い分を聞いて、ほぼほぼこういうところかなという地点を見計らって「落ち着きどころ」を探ればいい。それを5ヶ月も続けていると、もうそろそろまとめなくてはならなくなる。いくつかを持ち越しの検討議題にして、とりあえず来年度から半数交代の2年任期に移行する。理事選出は、階段の隣の誼(よしみ)で、理事が務まらない人はパスして役員を自前で出してくださいという、なんとも締まらない「まとめ」提案。

 各種の「提案」が私の「自然(じねん)」にしっくりこない。しっくりくるのは、どこかに知恵で事態を変えようとするのではなく、身体を動かすことを通じ、具体的なかかわりをつくることで、「かんけい」を変えていくのが自然だと思っている節が感じられる。自前で管理をしようという(出発当初は住都公団がつくった)理事・役員の交代制だが、思えば昔日の全共闘世代が中心だったろうから、「自主管理」的な感覚が馴染んでいた。それが、体に沁みついていて、丸投げ的な業務委託の提案に抵抗を感じている。そういう自分を発見するような思いがしている。でも、「自主管理」というのは言葉の響きで抵抗があろうから、「自前の管理」と言い換えてさらにそれは、Do It Our-selves(ドイト)だと略称して、団地住民の中の自助態勢をつくってもらう提案をしようと準備している。

 はたしてほかの方々の「自然」とどう絡み合うのかわからない。だが私の「自然」って、なんとも穏やかな(時をかけて少しずつ変化する)日本の自然と同じじゃないかと、思わないでもない。どうしてこうなっちゃったんだろう。いや別にそれが悪いと思っているわけではない。仕事をしていたころの尖がって理屈っぽくやりとりしていたことを想いうかべて、オレって変わったんだろうかと、自分を眺める目を意識しているところである。

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