2018年11月1日木曜日
納得する人生は後からついてくる
今日(11/1)の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」は「アスリートと心の病」。バスケットボール元女子日本代表主将の小磯典子さんを取り上げている。彼女が5回の五輪予選を経験する中でぶつかった精神的な葛藤と引退後に感じた絶望感を語っていて、頂点には頂点の苦悩が待っているのだと思った。
いやじつは、いま小学生五年の私の孫娘がバスケットに夢中である。遠くに離れて住んでいるから、日々それに向き合うことはないのだが、母親は力を入れ、合宿にも付き合っている。低学年の時には、身体が小さいから高学年選手に跳ね飛ばされたりはするが、逆に、高学年選手は低学年選手とぶつかることを気遣って攻撃が鈍る、そこがねらい目、と指導者は笑いながら話していた。そうやって笑っていればまさにクラブチームは子どもたちの交流の場であり、成長の場となる。
ところが、小磯典子さんのように日本代表選手ともなると、「おまえの限界はそこまでか」「もう動けないのか」とぎりぎりのところに自分を叱咤激励して、さらに追い込んでいく。外国選手と戦うとなると、183センチの小磯選手でも決して大きい方ではないから、「毎日自分の限界を超える力を練習で出さなければいけないと思って」いたそうだ。それはつらいだろうな、と何だか翻って、自分がテキトーにというか、ずいぶんちゃらんぽらんに生きてきたことを責められているようにも思うし、それが良かったんではないかと思ったりもする。頂点を知らない人生の居直りに聞こえるかな。
それよりも、じつはバスケットをやっている孫娘が、どちらかというと小磯典子さんのように、おかれた場で懸命に自分の限界まで突き詰めてしまうような性格を持っているように思えて、気が気でないような気がしている。日頃、兄たちの振る舞いと違って、自分をごまかさない。母親に叱られると、きっちりそれに付き合って自分を責めているんじゃないかと、要らぬことにまで思いが飛ぶ。
むろんそれは性格によるのだろうが、置かれた状況によって、期待されるなら力を発揮しようと頑張ってしまうのは人の常。それほど期待されることもなく育った私には、それがラッキーであったと今になって思うが、果たして孫娘には、それがラッキーなのかどうかもわからない。
小磯典子さんの話で印象深かったのは、「追い詰められて練習してきた子どもは、小学生でも眉間にしわを寄せ、身体も硬くなっています」という言葉だ。孫娘も体が硬くなっているだろうか。小磯さんが「忘れられない出来事」というのが、生まれて初めて先輩の指示に「それは違います」と口答えをしたこと。「その翌日、異動する空港の貴金属店でピンクのジュエリーが驚くほど輝いて見えた」と語った。はたして孫娘は母親に「それは違う」と口答えするだろうか。そうなんだ。それほどに、人の感性は、置かれた状況に(自らの内から出来する重しに)制約されて動いているのだと、私の心裡に重く響くものがあった。納得する人生は、誰もが送れるわけではない。自分が自分に期待しなかった私は、納得もへったくれもない。ケセラセラ。なるようになるという、成り行き任せのちゃらんぽらん。そうすると、納得は後からついてくる。
母親であるわが娘に伝えることなのだろうが、ほどほどの人生を共に生きていければいいんだよと、孫娘のことを思いながら、声をかけてやりたくなった。
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