2018年11月13日火曜日

彼岸と此岸のグレーゾーン


 「逝くような体験」をしたのは救急救命室と集中治療室でしたが、病室が空いて6人部屋に移されました。「集中治療室」は4人部屋、病室は6人部屋。どんな方が入っているのか、カーテンで仕切られているので顔はわかりませんが、声だけは聞こえます。
 嗚呼、病室というのは、人生の集積場だと感じました。


 集中治療室に入ったのは午後2時過ぎ。南向きの部屋の窓からは、明るい陽ざしが差し込んでいます。カーテンも空けられ、さわやかな外気が入って来ます。

 私の脚の方の一人が先ほどから掠れるような声をあげています。入れ歯をとっているようで、声がくぐもる。
「ふあ~う~、うふぁ~おう、ぐふぁ~ん」
「どうしました? 血圧を測りますねえ」
 と、やってきた看護師が声を掛けながら、耳を寄せて聴き取ろうとしているのでしょう。
「そりゃあ、いけません。ダメですよ。夜、寝られなくなっちゃいますよ」
 睡眠剤をくれと言っているようだ。夜寝られないから、昼日中に眠くなる。
 同じやりとりの繰り返しが、延々とつづく。

 私の右手、入口の脇は女のお年寄りだ。ずうっと絶えることなく、「くるしいよう。くるしいよう」と助けを呼んでいる。

 病室の人たちは、言葉がはっきりしている。看護師とのやりとりも、力はないが意思は伝わる。どなたも患者はおとなしい。

 入り口わきの方には、娘さんが見舞いに来て、面会が終了する2時間ほどを、おしゃべりの声が聞こえる。その声のトーンがわが娘の「訛り」と似ていたから、埼玉育ちの子なんだろうと思った。患者である父親は、私と同じか少し若いのかもしれない。
 ところが深夜、この方が
「夕飯食べたかっ。食べたかっ」
 と大きな声で寝言を言う。子どもに言っているのだろうか。孫に話しかけているのだろうか。
「そりゃあダメだ。そんなことしちゃダメだ」
 と誰かを諫めるような、切迫感のある寝言も聞こえる。面倒見のいい父親のようだ。父権主義というのはこの人のような保護的な感性を指すのかと思った。言われている方にとっては、息苦しいかもしれない。でも娘さんの向き合い方からは、ほんとうにいいお父さんという感じが伝わってきた。

 足元の中央の方は、まるでどんな風貌の方かはわからないが、看護師がやってくるごとに、
「○○さあ~ん、起きてえ。起きてくださあ~いい。お薬ですよお。」
「あらっ、食べてないじゃないですか。夕食が来てますよお。起きてくださあ~い。」
 と、繰り返す。夕食も朝食も同じ調子で、食べずに寝てばかりいるようだ。応答する声も、聴きとれないほど茫洋としている。

 私の右側の中央の方は、身体が自在に動かせないらしい。看護師が来ては体の向きを変えたり、おむつを換えたりしている。その都度、そうされていることが分かるのか、
「いやだなあ。いやだなあ。いやだなあ」
 と繰り返す。自分でできないことを(恥ずかしいと思うのか)愚痴にしているようだ。看護師はいろいろと声を掛けながら、てきぱきと処理しているのであろう。

 食事が終わると、さかさかとやってきて、私の足元の方にある手洗い場で歯を磨く方は、入口の方の向かいの方であろう。ことばを発しないし、歩き方もしゃっきりしている。私の足元の方の方も、明後日の退院を告げられていて、その時刻や奥さんのお迎えのことを気遣って、看護師とやり取りしている。

 ところが夜中になると、私のいる病室以外の声が大きく響いてくる。
「お~い。お~い。お~い。お~い」
 と、二つ三つ向こうの部屋の方から、男の静かに叫ぶ声聞こえる。これが1時間以上も、絶え間なくつづく。悲鳴というのではない。遠くにいる誰かに呼び掛けているような、低音の響きを湛えている。

 朝方に近い深夜には、階下の方の病室ではないかと思うのだが、窓の外から響く。
「え~~っ、え~~っ、え~~っ」
 と、裡側からとどめようもなく流れ出しているような声。まるで、山中でテントを張っているときに、キ~ン、キ~ンと鳴くトラツグミのような風情を感じさせる。声自体が自然に溶け込んで、風のそよぎ、木々の触れ合う音、雨が草に落ちて立てているような気配に同化する。human nature の落ち着きどころなのかもしれない。

 ここは彼岸と此岸が遭遇する場なのか。見ようによっては、せめぎ合っているとみるかもしれない。だが別様にみれば、その両岸が溶けあって、どちらが(支配的と)どちらとも言えないグレーゾーンだ。そんなことを考えるともなく思いながら、1泊2日の入院生活をしてきたのでした。

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