2018年11月11日日曜日
こんなふうに逝くのか、という体験
「ぼちぼちリミットか」と11/8に書いた。山歩きの疲労が喘息のようになって出ることを、山歩きの終わりの始まりととらえている所感だ。ところがどうも喘息ではないかもしれない、風邪かなと思う節があって、かかりつけ医に診てもらいに昨日、足を運んだ。待合室で本を読みながら待っている間、心臓の辺りに間歇的に軽い痛みが来る。2分に一回くらいか。痛くはない。強く上から押さえるような感触だが、圧迫感でもない。痙攣かなとも思う。
じつは五年前であったか、健康診断で右か左の心房肥大と不整脈が指摘され、このかかりつけ医が循環器の専門医と知った。精密検査を大きな病院で受けることになった。その検査結果は何ということはなかったが、「もし今度心臓に痛みが走るようになったら、来てください」といわれていた。その「痛み」が来たのか。そうと思ったので風邪の診察の折に、かかりつけ医に話をした。
「じゃあ、心電図をとってみましょう。短いのと3分ほどのながいのと、ね」
と、のんびりといわれ心電図をとってもらった。その結果をみながらの再診察。医師が慌てた表情で「すぐに手配しますから、市立病院へ行って入院してください」という。なんでも、心電図で見る限り、急性の狭心症の症状がでているのだそうだ。循環器系の医者が勤務する市立病院へ連絡を取ったかかりつけ医は、紹介状を書き、
「救急車を呼んでもいい事態なんですが、タクシーを呼びますからすぐに行ってください」
と、家へ帰って入院用の物も用意しなくちゃなるまいと考えていた私の返事を聞くよりも早く、タクシーの手配までしてしまった。
土曜日のお昼近くとあって、市立病院は救急受付が応対。連絡が入っていたらしく、間もなく救急病室に呼び込まれ、寝台に上がる。いろいろな検査機器が取り付けられる。それと並行して、医師の問診や看護師のアレルギーや病歴、喫煙歴を問う質問が交わされる。あらためて検査結果をみながら4人の医師が何やら相談している。彼ら4人が私に紹介される。主任医師が「同意書」に署名をしてくれという。みると「急性心筋梗塞」をボールペンで〇で囲ってある。カテーテル検査と治療が必要なときには「バルーンとステント」を入れるという「手術」にも同意署名をする。そのほか、検査キットの感染症をチェックするため、HIVの検査もするのに同意を、とある。また、この検査・治療を研究論文として発表することへの同意などまで含まれている。署名している間に看護師が、「奥さんに連絡取れましたか」と聞く。カミサンは東松山の方へ自然観察に出かけている。メールは送ったが、見ていないらしい。電話も掛けたが、留守録になった。「では番号を教えてください。こちらからかけます」と慌ただしい。
荷物を大きなビニール袋に入れる。着衣も全部とるよう指示を受け、ビニールに入れる。えっ、パンツも? そうです、ときっぱり。一瞬、ミステリードラマの死体解剖の場面を思い出した。これは大手術なのだと、思いを新たにする。こうして、まな板の上の鯉ならぬ手術台の上の緊急入院患者となり、手首に麻酔をかける。そこからカテーテルを挿入して心臓近くまで入れ、造影剤を注入して心臓の外側を通る3本の冠動脈の形をくっきりと映し出す。私には、右手に置いてあるモニターに映る人型の胸腹部を示す青い部分と、その上にかぶさるように動く銀色の小さい三角錐の色型がみえるだけ。手首が固定されいじられている感触はあったが、それ以外は、はて、なにをしているのか見当もつかない。
「どこか痛みはないですか?」
「苦しくないですか?」
と、ときどき声がかかる。まったく、そういう感じがない。平生と同じ。
「ハイ、半分が終わりました。」
そのあとは、ほとんどなるようになる、なるようにしかならないと思ってほぼ無心の境地。ときどき、最初に診たかかりつけ医が「いや、良かった。強い痛みが来ない段階でこんなことが分かって……」「山でこんなことになると、大事(おおごと)ですよ」と、感嘆したように発していた声が甦る。1時間は立っていたと思う。
「終わりました。冠動脈の細くなっている部分はありませんでした。大丈夫です」
「……でも、どうして心筋梗塞と……」
「説明はまた後にしますから。とりあえず、何もなくて、これで検査は終了です」
となった。あとからの説明でも、「血圧が高かったりすると、こうしたことが起こることがあります」「生活習慣病に注意してくださいね」と付け加わったくらいだ。つまり、何かが引き金になって、急性心筋梗塞が起こることがある、ということだろう。本人がケロリとしていても、医者は危急の時だとみるのが当たり前なのかもしれない。
思えば、4年前の旅の途中の宿で、元気に歩いていた長兄が就寝中に「気分が悪くなり」、私が救急車を迎えに出ていた5分ほどの間に倒れていたことがあった。あのときも「急性心臓死です。恢復のために薬剤を注入したりしましたから、心筋梗塞がかどうかは断定できなくなり、心臓死という表現をするようになっているんです」と岩手大の専門医が説明してくれたことを思い出す。
兄の場合との分かれ目がどこにあったのかはわからない。だがほんのちょっとした「何か」によって、心臓の冠動脈の痙攣が起こったりやんだりすることがある、と。とすると、なるようになる、なるようにしかならないと思っていたあの瞬間に、プッツンして、なるようになってしまうこともあるのかもしれない。今回は、幸運であった、ということのようだ。
ぼちぼちリミットというのが、山歩きの話ではなく、わが人生のことであったと思わせられた2日間であった。もちろん、今朝まで入院。迎えに来たカミサンと家に帰ってきて、パソコンにむかっているが、何だか病人以上の何かを身につけてきてしまったような気がしている。
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