2018年12月30日日曜日

大晦日


 いま、朝の6時。空の晴具合を見ようと外を見たのだが、暗い。薄暗いのではない。まだ外灯が煌々とまぶしく見えるほど、暗い。これで灯りがなければ、かはたれどき。

2018年12月28日金曜日

80歳過ぎが面白い?


 渡辺京二の名前を知ったのは、もう30年以上も前のように思う。私の十歳上の知人が彼の著書を面白いと教えてくれた。以来、何冊か目を通して、どこか「在野の知識人」というニュアンスを感じて、好感を持っていた。その彼が今朝の新聞に登場して以下のようなことを述べている。

2018年12月26日水曜日

階段の集まり


 一昨日(12/24)、団地の理事を選出している私の階段5戸と組み合わせ上一緒に輪番を組んでいる向かいの号棟階段の4戸、あわせて9戸が集まり、来年度理事送り出しの確認を行った。自画自賛であるが、こうした集まりを持ってもらってよかったと好評であった。

 なんでこんな集まりをもったのか。じつは、28年目にして初めて顔を合わせ、言葉を交わす人びともいたのであった。つまり、この団地発足のときに、「輪番」を決め、それが何の不思議もなく順調に守られてきたために、翌年度の理事のことをだれ一人心配することなく、伝言ゲームのように継承され、したがって、前の方と次の人以外は、顔を合わせることもなく、名前も意識したことがないほどというわけ。まあ、そうはいっても、同じ階段の人たちは、28年の間に出くわすことがありますから、顔と名前はわかります。でも向かいの号棟の方は皆目わからない状態でした。私が理事長を務めたから、こういう集まりをもつことを考えたのは、確かです。

2018年12月25日火曜日

どっこい生きてる


 賀状をつくった。これまでいつも、もうやめようと思ってきた。だが、その切り出し方がわからない。こちらがやめていても、向こうさんから送ってくると、やはり返事を書かないわけにはいかない。考えてみれば、もう何十年も逢っていない人からも、丁寧な賀状が届く。「白山羊さんからお便りくれた……」って歌みたいなやりとりだなあと思う。ところが近年、賀状が来ない人がいると、おや? 何かあったかと思うようになった。じっさいそうやって訃報に接することも、一人や二人ではない。

2018年12月22日土曜日

「冬至―柚子湯」


 今日は冬至。冬至というと柚子湯を思い出す。というか、カミサンは柚子湯を沸かす。それを前日から計算していてか、今朝になると「洗濯をする」という。いつもなら二日に一回の洗濯を、昨日とつづけてやる。まあ、かき集めれば、一回の洗濯分ほどは洗いものがあるから、不思議ではない。それならと私も、いつもなら今日も着る長袖を洗濯に出す。

2018年12月20日木曜日

2018年12月18日火曜日

できることしかできない


 今もまだ、団地管理組合の「高齢化問題」の出口を探っている。今朝方、夢うつつで思い浮かんだことがあった。団地住人の高齢化というのは、団地そのものの高齢化と同じではないか、と。
  自分たちの暮らしは自分たちでどうにかするしかない。団地の理事会というのは、われらが身の神経系統のようなもの。状態に応じて勝手に動く自律神経もあれば、自分の意思で動かせる体性神経もある。
 28年も経ってみると、理事会の運営もある程度ルーティンワークになって、これこれこうするものというのが「慣習」になっている。月一回の理事会とかその都度発行される「理事会ニュース」とか「議事録」をとることやクリーンデイや防災訓練のような年中行事など、「定番メニュー」。わが身の「心の習慣」というのと同じだ。これが安定していると、運動すれば心悸亢進したり血圧が上がったり、ものを食べたら消化器系が活発になるのと同じで、自律神経に属する。
 他方、大規模修繕とか、給水管・給湯管の更新工事のように、建物が高齢化すれば意思的に取り組まねばならないことがらもある。これが、専門的な知識を動員する必要もあり、そのときどきの市場ともかかわって、なかなか面倒になる。だがそれをわが団地は、修繕専門委員会とか環境小委員会を設け(住民の中の専門知識を持つ人の貢献を得て)、よく手入れを行ってきている。いわば、日ごろ身体に気遣い、食べ物にも運動にもそこそこ手当を施して、健康体を保ってきたと言っていい。

2018年12月17日月曜日

正義の産業スパイ?


 吉田修一『ウォーターゲーム』(幻冬舎、2018年)を読む。吉田の連作ともいえる作品のひとつ。つい最近国会で成立した水道事業の民間参入を許容する法の成立と裏側の事情を、利権に絡む政界の動きを交えて描いている。だが今回の作品は、前作に比べて分かりやすい。産業スパイの動きも、右往左往しているだけで、それで何か事態が大きく変わったりするから、世相を切りとるような迫力が、蒸発してしまっている。ただ単に、利害入り組む産業スパイのまさに「ゲーム」を描いているような、つまらなさ。冒頭の出来事が引き起こす緊張感がどこかへ消えて、いつしか観衆になっている読み飛ばしている自分を感じた。

2018年12月16日日曜日

信頼感の源


 団地の管理組合が施設設備の保守管理を取り仕切る義務を負っていることは、良く知られている。理事長は、法的な責任を一身に背負わされているわけだが、建築などの素人である私に務まるとは思えない。いや、例の桜田大臣の話をしようというのではない。この責任を背負う役が務まるのは、理事会の諮問機関として修繕等に関する専門委員会が設置されて機能しているからにほかならない。むろん理事会に建築理事というのが2名置かれて、専門委員会をコントロールしている。この理事・役員が選出階段毎の輪番で毎年交代するから、ときにはずぶの素人が建築理事になって、青息吐息の一年を過ごさねばならないこともある。今年はふたりとも、ずいぶんしっかりした理事が就任したから、安心して見ていられる。むろん正副理事長は、毎回の専門委員会に出席する。

2018年12月15日土曜日

森には分け入らない


 先日やっとガラケーを始末し、スマホに一本化した。2年前にスマホを導入したのは、山歩きの地図をGPSと一緒にみて、迷子にならないようにしようと考えたため。それはそれで結構役立ち、週一回の山歩きの私の同伴者になってくれた。もっとも現在地が分かることで、地理院地図にない場所でもあるけるという「不敵な」考えが入り込んできて、それなりに危ない目にも遭ってはいるのですが。その私のスマホが容量が小さいのか、「お財布ケイタイ」には使えませんと郵便局でいわれてしまったこともあったから、折を見て切り替えようとは思っていた。

2018年12月14日金曜日

世の中とアレルギー


 昨日(12/13)は「ささらほうさら」の月例会。講師はnkjさん。お題は「文字で聴く中島みゆきの世界」。彼自身が長年のファンである中島みゆきの「歌詞」を読み解いていこうというもの。そう言えば、メロディとリズムとが伴わない中島みゆきというのを、私は考えたこともなかった。彼女は、シンガーソングライターであった。歌詞もまた、それ自体として読み取れるものを持っているとnkjさんはみたわけだ。

2018年12月13日木曜日

還る処


 昨日(12/12)、映画 『ガンジスに還る』(インド、シュバシシュ・ブティアニ監督、2016年)を観た。「コメディ映画」とwikipediaは紹介しているが、これを「コメディ」と名づけたのは、誰なのか記載していない。私にはコメディとは思えなかった。というか、もしこれがコメディだとしたら、人生というのはコメディだとも言える。哀しくも微笑ましいといおうか、哀しくもやがて微笑ましいといおうか。

2018年12月12日水曜日

低山といえども侮れず


 夕方から天気が崩れるという昨日(12/11)、ひと歩きして来ようと中央線の猿橋に向かった。大月方面から相模湖に向けて流れる相模川の南側に沿うように尾根を連ねる山並みがある。
 因みにこの山並みの南側に東西に走る道志山塊がある。さらにその南側を同様に並行する丹沢の連山がある。これらの山並みが並行するのは太陽併用プレートなどが潜り込んで押し上げている大陸プレートの盛り上がりなのではないかと、私は推察しているが、地学的に確かめてみようとしたことがないから、確かなことはわからない。
  猿橋から登山口まで40分ほど歩いて稜線に取り付き、幡野山を経て鈴ヶ尾山834mへたどる。その先で九鬼山からの主稜線に合流して、大桑山980mから高畑山981mに登ってから鳥沢駅に下山するルート。だが、主稜線までのルートは、国土地理院地図にも昭文社の地図にも記されていない。昭文社地図には山名が表示されていたから、行けばわかると踏んだ。昔読んだ何かに、ここを歩いた記事があって、私のメモに残っていた。

2018年12月10日月曜日

酪農というノスタルジーの真実(3)消費というちゃらんぽらんの自然


 いつ頃から自分の食べるものや使うものに神経を使わなくなったろうか。牛乳という、子どものころから暮らしの中にあったものなのに、いつも冷蔵庫にあるものと思っていて、それ以上どこがどうと気遣いをしていない。

 SRさんは「牛乳の表示」というA3判のプリントを用意して、牛乳製品の表示をもっとちゃんと見ろよと話す。牛乳の種別が七種類ある。言われてみれば「ことば」としては耳にしたことがあることばかりだ。「牛乳、特別牛乳、成分調整牛乳、低脂肪牛乳、無脂肪牛乳、加工乳、乳飲料」の七種。でもその中身がどうかは、考えてみようと思ったこともない。最後の二つ以外は生乳100%という。

2018年12月9日日曜日

酪農というノスタルジーの真実(2)牛乳の需要と供給


「最近、放牧の牛を見たことある?」
 とSRさん。
「うん、見たことあるよ。つい先日も」
 と私は応える。
「ウソだよ、放牧の牛なんていないよ」

 はて、どこで見たっけ。石垣島で見たのは幼牛を肥育して本土へ和牛として売ると言っていた。あれは、去年か。吐噶喇列島の平島で観たのは、今年の4月か。
 うん? 牧草地はたびたび歩いている。利尻島や礼文島やそこへ行くまでの稚内の牧草地では、あの大きな牧草の塊をつくっているのも見た。山梨や長野、新潟の山へ行く途上でもよく見かけたように思ったが、牧草地をみたのか、牛をみたのか、問われてみれば判然としない。そうか、たしかに牛を観たというのは、あれは今年の5月、中国のシルクロードへ行った時だ。たくさんの牛が放牧されていた。雪の高山地帯ではヤクの群れも見かけた。阿蘇の放牧は、TV画像だけの創作というわけではあるまい。

2018年12月8日土曜日

考えておきたいことごと


 ちらりと頭をかすめ、ふっと湧くように心の片隅に兆しを感じ、でも次の瞬間には忘れてしまうようなことごとが、日々起こり消えていっている。そのちらりがまとまったら文章にしようなどと考えていたら、全部蒸発してしまう。せめてメモでも取っておきたい。

 まず、そのひとつ。藤田知也『日銀バブルが日本を蝕む』(文春新書、2018年)を読んで気になったこと。

2018年12月7日金曜日

転機を図る


 12/5(水)に登山口を登ろうとしていたら、ケイタイが鳴る。電話に出るとまだ現役の仕事をしているK君から。珍しい。「今日はこれから山なんだよ」と応じると、「ご相談がある。いつ戻るのか」という。夕方にと応えて、山へ入った。この山は、CLが骨を折ったので「よろしく」と頼まれ、ま、今週の山にでもしようかと先月末に歩いた。CLは別の人に変わってもらい、今日はその人に全部お任せ。あとで聞くと、彼女は、このルートの後半を歩いたことがなかったので、知人に頼んで先週下見をしたという。私の下見と一日違いだったが、せっかくのことだから、私は口をつぐんではじめての山のようについて廻った。

2018年12月4日火曜日

酪農というノスタルジーの真実(1)乳牛の悲哀


 12/1(土)Seminarの講師のSRさんは、会場に1時間ほど前に現れた。横浜に住む娘さんが会場まで送ってきた。聞くと、この大学の卒業生。Seminarの世話人のひとりであるこの大学のSさんは指導教授であったと話す。Sさんはほんのちょっとあとで来たために、会うことは叶わなかったが、彼女は卒業以来だと、懐かしそうに17階から見える曇り空の街並みを見おろしていた。

2018年12月3日月曜日

ボーっと生きてる


 昨日(12/1)は二か月に一回のセミナーseminarの日。岡山県の玉野市に暮らす喜寿の方がやってきて、講師を務めた。酪農にかかわってきた方。牛乳に関する話しの、ほんの触りだけだったが、「ボーっと生きてんじゃねえよ」と叱られるような面白さがあった。

2018年12月1日土曜日

知らない世界・ブラックボックス


 団地の業務管理の一部を、住宅管理会社に委託している。団地創設のときから、住都公団の団地はこの管理会社が請け負うようにしてやってきているから、ま、いわば第一線の下請け。東京電力の関電工のような存在とでも言おうか。専門業者だから、わが団地の隅々のことまで熟知している。