2018年12月4日火曜日
酪農というノスタルジーの真実(1)乳牛の悲哀
12/1(土)Seminarの講師のSRさんは、会場に1時間ほど前に現れた。横浜に住む娘さんが会場まで送ってきた。聞くと、この大学の卒業生。Seminarの世話人のひとりであるこの大学のSさんは指導教授であったと話す。Sさんはほんのちょっとあとで来たために、会うことは叶わなかったが、彼女は卒業以来だと、懐かしそうに17階から見える曇り空の街並みを見おろしていた。
SRさんはすぐに牛の話を始める。
「いやそれは、Seminarに入ってから聞くよ」
と私は言うが、彼は
「seminarの話はいくらでもある」
と、予告編に踏み込みはじめる。彼は岡山大学で畜産学を学んだ。繁殖の研究を専攻したから、卒業後全酪連に勤めて東京勤務が何年もあった。牛の繁殖研究を手掛けるようになった、と。何だか、玉野で暮らしていると話し相手がいなくて困っているような様子だ。私が一つ質問を出す。
「関西じゃあ牛肉が主流だったけど、関東は豚肉なんだよね。あれ、どうして?」
「飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸というのがあってね、前者は牛、後者は豚の脂肪の特徴なんだ。飽和脂肪酸は体を冷やす機能を持っていて、不飽和脂肪酸は体を温める機能を持っている。関東と関西で別れるっていうけど、富士川が境目なんだよ。岐阜じゃないよ。そう、羊肉も不飽和脂肪酸だから、北海道のジンギスカンも、身体を温めるので広まったんだろうね」
と、これもまた、次から次へと話しがつながる。でも今日は牛乳の話に絞ると切り出す。
Seminarの参加者が顔を見せ始める。無沙汰の挨拶が交わされ、たちまち部屋いっぱいになる。隣室から椅子を運び込む。遅れてきた人が円卓席に座れないほどになった。SRさんは、快調に話をはじめた。
乳牛(または乳用牛)に適しているのはホルスタイン種だといつしか私たちは聞き知っている。それが乳を出すのは、品種改良されたとはいえ、他の動物同様に出産してから280日間だそうだ。でも妊娠期間がある。乳が出なくなってから妊娠するのが自然であるが、それでは妊娠期間「遊ばせて」おくようになる。そこで出産後2カ月で人工授精、つまり種付けをして、初産後の搾乳が終わるころに出産して再び搾乳ができるように「回転効率」を良くしている。それが3、4回繰り返されるとピークを過ぎ乳質が落ちるので、廃牛とされる。
除籍と呼ぶらしい。除籍後別の農家に売られ(肉牛として転売されるために)しばらく肥育されることもあるが、多くの場合は淘汰されるという。
淘汰って何?
と殺処分だそうだ。
「除籍」にしろ「淘汰」にしろ、業界は「ことば」の恐ろしさを熟知しているから、露骨な用語を嫌っていると思える。だから寿命が20年程の乳牛が5、6年と短いのだそうだ。
乳牛の虐待と考えているわけではない。「経済動物」だから、まさしく工場で生産される製品同様に、製造過程に乗せられ、出荷までの搾乳という搾取を、効率優先ですすめ、生産効率が落ちると廃棄して、新規の製造に取りかかるというのは、まさに私たちがよく知る工業社会の一般形態である。その感覚に馴染めない私たちのセンスは、じつは「ふるさと」を失ってから、それを恋い慕うように、ノスタルジーに包まれている。そのノスタルジーが美しいと思い描くことによって、私たちは心の癒しを手に入れ、工業社会や工業生産があたかも悪いことをしているように謗ることによって、わが身の潔白を紡ぎだそうとしていないか。そういうことを突き付けられたSeminarのはじまりであった。(つづく)
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