2018年12月22日土曜日

「冬至―柚子湯」


 今日は冬至。冬至というと柚子湯を思い出す。というか、カミサンは柚子湯を沸かす。それを前日から計算していてか、今朝になると「洗濯をする」という。いつもなら二日に一回の洗濯を、昨日とつづけてやる。まあ、かき集めれば、一回の洗濯分ほどは洗いものがあるから、不思議ではない。それならと私も、いつもなら今日も着る長袖を洗濯に出す。


 夜になって分かる。柚子湯なのだ、今日は。それで私は、ああ、今日は冬至だったかと思う。冬至と言えば、ひびやあかぎれを思い出す。柚子湯はひびやあかぎれに効くと母親が口にしていたように思う。子どものころ、ひびやあかぎれが絶えなかった。清潔じゃなかったからなのだろうか、いま思うと、あの頃は寒かったのではないか。温暖化がどういうものかわからないが、あの頃と較べると間違いなく今の方が暖かい。そもそもひびやあかぎれに出くわさない。暖房しているとかしていないとかに関係ないと思う。我が家はそれほど暖房をしないからだ。それとも、年を取るとひびやあかぎれは出てこないのだろうか。

 温暖化がどういうものかわからないというのは、つい先日見たNHKTVのグレートネイチャーで、5500万年前の話を聞いたからだ。その頃、いまの中国あたりにいたサルがアメリカやベルギーへ散らばっていったという。なんでも化石の研究からそれが分かったという。つまりサルはアフリカ原産ではなく、中国原産だったってこと。後にアフリカに渡り、そのなかから現在の人類につながるホモ・エレクトスが誕生することになるというお話だ。でもなぜ、サルがアメリカ大陸へ渡るのかが、私の疑問であった。人類がベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に広がるには、北アメリカ大陸の何千メートル高さの氷河を越えなければならなかったから、彼らは1万2千年以降から1万年前までのあいだの、ベーリング海峡が氷に閉ざされ、かつ、北米の氷河が溶けて通過可能になるわずか2千年ほどの間のチャンスをみつけて、北米へ移動し、アメリカインディアンとかインディオになったと、昔何かの本で読んだからだ。人類が渡るのに苦労した「あそこ」をサルがどうやって渡ったのか、と。

 NHKの放送は、その当時アメリカ大陸のカナダとの国境辺りは亜熱帯であったという。そして大陸移動のある段階にあって、陸続きであったという。なるほどそうやって考えると、私の子ども時代という、わずか70年ほど前が寒冷であったとか、温暖であったとかいうのは、どうでもいいことになる。炭酸ガスが多すぎたかどうかということも、たぶん、別次元の論議になる。「温暖化」という概念をどういう次元でとらえるか。それによって、どうその影響を評価し、どう対処するか(どうか)を判断していくことも、左右されるとなると、そこまで考えをめぐらさなければならないのではないか、と私は考える。 

 ひびやあかぎれが、衛生水準や生活水準のもたらすものか、温暖化のもたらすものか、せめてそのくらいは明らかにしてみないと、答えは出せない。でもなあ、そんなことを研究している人もいるまいて。柚子湯にどっぷりとつかりながら、そんな埒もないことに思いめぐらしている。

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