2018年12月14日金曜日

世の中とアレルギー


 昨日(12/13)は「ささらほうさら」の月例会。講師はnkjさん。お題は「文字で聴く中島みゆきの世界」。彼自身が長年のファンである中島みゆきの「歌詞」を読み解いていこうというもの。そう言えば、メロディとリズムとが伴わない中島みゆきというのを、私は考えたこともなかった。彼女は、シンガーソングライターであった。歌詞もまた、それ自体として読み取れるものを持っているとnkjさんはみたわけだ。


 「活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎない……」という谷川俊太郎の引用をしてからはじめるものだから、話しがどこへ漂着するのか興味が湧く。谷川俊太郎はつづけてこういう。
 「歌はメロディとリズムに支えられた生身の歌い手の声がことばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる」
  これはエクリチュール(書きとどめられたことば)とパロール(口を突いて出てくる言葉)の違いを抜き出しているのであろうか。それともさらに踏み込んで、話し言葉と歌う言葉の違いを取り上げているのであろうか。

 nkjさんは(中島みゆきが柏原芳恵に提供した)「春なのに」を取り上げ、柏原芳恵が歌ったものと中島みゆき自身が歌ったものとを聴き比べ、柏原の方の歌い方では「(卒業の記念にもらった)ボタン」を後生大事にとっておいて、寄せる思いが胸中に残り続けるとおもい、中島みゆきの歌い方では「ボタン」を寄せた思いとともに捨てて、次へと踏み出す姿を想いうかべたという。面白い。この対比だけでも、ふたりの歌手の歌い方とそれを聞くnkjさんの共鳴の仕方が重層的に重なり合って、彼の人生をかたどって来たのではないかと思わせる。

 中島みゆきの「詞を書かせるもの」の引用が、今の私の感性にぴったりとそぐう。長いが再引用する。

 「これらの詩は、すでに私のものではない。/なぜならばその一語一語は、読まれた途端にその持つ意味がすでに読み手の解釈する、解釈できる、解釈したいetc…意味へと取って代われるのだから」

 まず、そう思う。反転して中島みゆきは、こうつづける。

 「したがって、これらの詞は、ついに私一人のものでしかない……と。/したがって、これらの詞は、私のものでさえもない……と。/言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。/その信憑性のなさへの疑心が私に詞を書かせ、/その信憑性のなさへの信心が私に詞を書かせ、/そうこうするうちに詞はやがて私を、己自身に対する信憑性の淵へと誘いこんでゆく。」

 いいねえ、こういう意味の反転と跳躍は。中島みゆきという歌手は、ことばの尖端で己自身と格闘している。この文章を引用して書き留めているだけで、私もまたともに格闘しているような気になってくるのが、不思議だ。この引用の文章だけで私は、中島みゆきを「読みたい」と思ってしまう。「ぬけがら」がこんなにわが胸中で跳び跳ねるのならば、メロディとリズムがつくとどう「新しく(何に)よみがえる」のか、音も聴いて見たくなる。

 nkjさんは中島みゆきの詞に使われるアイテムを一つひとつとりあげて、そこに底流する「こころ」を拾い出す。それは、同士討ちをするキツネ狩りの男たちであったり、世の流れに取り残された「頑固者」であったり、「「オオカミ」になれない若者や女たちであったりする。そのひとつが、私の現在をどきりと射抜く。

 「世の中はとても 臆病な猫だから/他愛のない嘘を いつも ついている/包帯のような 嘘を 見破ることで/学者は 世間を 見たような気になる」

 真実と対比させる嘘なんて、もはや中島みゆきの関心にはない。世の中もまた、包帯のような、それを解きほぐす程度の解析を良しとして、流れ流れていくという透徹した感性が宿る。「トーキョー迷子」になり、「鷗でも独り 見習えばいいのに/この葉でも独り一人ずつなのに」とわが身を見て取り、「涙の代わりに負けん気なジョークを言う」「サッポロSNOWY」に身を浸す。人の世って、そういうものよ、と。

 nkjさんは「あぶな坂」の喩えを辿って、抜け出ることができないこの世に馴染んでいくわが身を重ねて、嘆くでもなく、ただその様子を歌い上げるばかりの中島みゆきに目を凝らす。そして、「夜会」の詞を書きつける。

 「人よ信じるな けして信じるな/みえないものを/人よ欲しがるな けして欲しがるな」
 「嘘をつきなさい ものを盗りなさい/悪人になり/傷をつけなさい 春を売りなさい/悪人になり/救いなどを待つよりも 罪は軽い」

 昨日このブログに書いた「HOTEL SALVATION」と「解脱の家」との違いが思い浮かぶ。
 この世の佇まいを生き抜くには、「夜会」の詞のような内心のエネルギーが源に据えられなければならない。それは、「世の中とアレルギーを起こしている」とnkjさんが指摘するありようを、身に備えることではないかと震えるような心持で、思っている。

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