2018年12月20日木曜日
のらぼうな
ああ、とうとう私ものらぼうになった、と昨日思った。
山の会の、私が企画した日帰り登山の日。行き先は奥久慈男体山。水戸と郡山を結ぶ水郡線のちょうど中ほどに位置する茨城県北部を流れる久慈川のほとりに点在する山の一つ。名の通り、岩山である。ところがここへ行くのにアクセスが悪い。調べると「前夜泊」と紹介している。だが車で行くと、2時間半余で登山口に着く。これに限ると、早朝6時20分の電車で来てもらってわが家の近くの駅に集合、9時ころに登り始め、2時ころに下山すると計画した。鶴ヶ島からのKさんたちは、圏央道を使うとアクセスにいいとわかり、結局、車二台で行くことにした。
朝4時半に目覚ましをかけ、前夜9時には床に就いた。2時ころ目が覚め、、まだ2時間半もあると再び寝入る。私のスマホがひゅららひゅららと鳴っている。誰かから電話がきたか。それにしても早い時間の電話だなと思い、目を明ける。ずいぶん明るい。この時期、間もなく冬至だからこんなに明るいのはどうしてと考えたかどうか、いまとなってはわからない。目覚ましをみる。なんと6時20分。集合時刻である。慌ててスマホを開け、返信電話を掛ける。
「駅のどこでしたって、待ち合わせるのは」と、Sさんの声。
「いや、申し訳ない、いま起きた。20分ほど待ってください、すぐいきますから」と返事をして、まず、湯を沸かす。沸く間に着替える。お昼とお茶を詰め込み、沸いた湯をテルモスに入れて、ザックに放り込み、家を出る。
どうしたことだ、これは、と自分の異変が気にかかる。平謝りに謝ってKさんとの合流地点へ向かう。Sさんは鷹揚に笑って応対してくれたが、いやはや言葉もない。
いつだったか、山の会の皆さんに、「もし私が集合時間に現れなかったら、この山の会は終わったと思ってください」と話したことがあった。そのときは、寝過ごすということは考えていなかった。予定を忘れてしまうようになったらと、自分も思っていた。だが何だ今日は。9時間も寝て、呼び出しで起きだすとは。私も「終わった人になったか」。
ところが車は遅々として進まない。もともと早朝集合にしたのは、通勤時間帯と重なると、渋滞で予定通りに走れないと計算したからであった。はじめは6時だった。だが伊奈町に住む方が始発に乗っても間に合わないというので、6時20分にした。それがさらに私の寝坊で遅れて、6時45分発ほどになったろうか。まさに通勤ラッシュのただなかへ突っ込んでいく。集合時刻10分前というのに、まだのろのろと外環を走っていて、常磐道にも乗っていない。Kさんに「そちらの到着が8時ころになります」と電話をしてもらう。もう着いているという。参ったなあ。
常磐道に入ると流れはスムーズになり、8時ちょっと過ぎに集合地点のPAに到着した。そこから約2時間ほどかかる行程は、順調に流れた。当初の予定と違うのは、車が二台、故障者が続出して参加が4人ということ。まず下山口に一台をおいて全員もう一台に乗り、登山口に向かう。当初の一台で行くときには、登山口に一番近い駅に車を置き、登山口まで1時間20分を歩く。そうして下山口の駅から電車に乗り、車を置いた駅まで戻るという行程であった。その登山口まで歩く1時間20分が、1時間ほど短縮される。まるで私の寝坊が、それを無意識に計算して、測ったようであった。
登山口の広場にはすでに7台の車が止まっている。片隅に私の車を止め、トイレを済ませる。Sさんが「何も食べないでいいんですか?」と気遣ってくれる。「大丈夫です。蓄えがありますから」と応えながら、血圧が高いのもこういうときの初発の行動にはいいんだねと、妙なことに関心が向かう。
駐車場からは、これから登る奥久慈男体山が陽ざしを受けて岩肌を晒している。「いや、これはすごい。写真撮っといて」とkwrさんが嘆声をあげる。「名前だけは聞いていて、なかなかアプローチできなかったのよね」とSさんがつづける。大円地蕎麦屋の前を通って登山路へ踏み込む。陽ざしを背に受けてぽかぽかと暖かい。私は羽毛服を脱いで夏山の服装。「←健脚・一般→」と表示のある分岐に来る。kwrさんは「一般」の方へ踏み出そうとする。「今日のメンバーなら健脚だよ」というと、えっ、という顔をして「健脚」へ向きを変える。10時17分。
すぐにぐいぐいと上りがはじまる。途中でストックを仕舞う。岩登りがつづく。小石が何かの巨大な圧力に押し付けられるようにしてまとめられ巌になったような風情。地層の下の方にあってそうなったのか、溶岩が小石をまとめてそうなったのか。「さざれ石だね」と誰かが言う。「巌(いわお)って、すごい響きだね」と、別の誰かが言う。私は君が代の「さざれ石が巌となりて」は岩石の自然崩壊からするとヘンだと考えてきたが、そうか、長い歳月の堆積に押しつぶされるようにして小石の人民が巌のような民族にまとまって来たことを謳っていたのか、と埒もないことを考える。その小石が足場になって、鎖をつかんで身体を持ち上げる。
9月に私がこちらに来たときには、前日の雨で、この岩がすっかり濡れていて、つるつるとすべりやすかった。だが今日は乾いていて、きっちりフリクションが利く。先頭のkwrさんは、岩登りにすっかり集中していて、いいペースで上がる。二番手のkwmさんはすぐ後について何ほどの疲れも見せない。三番手のSさんは足場をどこにするか一つひとつ吟味するように登っている。上に上がってからの話だが、kwrさんは「こんな長い鎖のルートは、はじめてだよ」という。息が切れたそうだ。大円地から男体山山頂までの標高差は470mほど。その半分以上が鎖場だ。
稜線に上がる少し手前で、先頭を行くkwrさんの「いやあ、すごいね」という声が聞こえる。眺望のいい大岩の上に出たのだろう。「あれ、筑波山だよ」と南西を指さす。手前の難台山や吾国山の黒々とした5、600mの山並みの向こうに陽ざしを白っぽくなりかけた筑波山の双耳峰がひと際目につく。北西の方を見ると、葉の落ちた木々の間から日光男体山が独特の姿を据え、その脇に女峰山が並ぶ。少し離れてまだ黒い山肌をみせているのは高原山・鶏頂山だろうか。
稜線の方から女の人の声が響く。還暦世代の夫婦連れ。私たちの登って来たルートを下るようだ。後から単独行者が、やはり同じルートを追っていた。駐車場に車を止めていた人たちなのだろう。鎖がなければ、ここを降るのはたいへんだ。だが鎖を使うと、案外楽勝かもしれないと思う。
稜線に出る。11時27分。1時間10分で上っている。ほぼコースタイム。見事なものだ。お昼をここでとることにし、東屋に荷物を置いて山頂まで往復してくることにした。最近パリから帰って来たばかりのSさんは荷物を置いて行かない。「そんなことしたら、持ってかれてしまうよ」という。彼女の身の警報装置は欧米風になってきたようだ。
5分ほどで山頂。そちらには二組、5人ほどの人がすでに場を占めている。一段高くなっている手前の祠に上がって、kwrさんが手を合わせる。見晴らしがいいというので私たちも上がる。先ほどの木々に邪魔されたのと違って、北の方も見える。高原山の右に那須連峰が雪をかぶっている。「じゃあ、その向こうに雪をかぶってるのは何だ?」とkwrさん。「たぶん、安達太良じゃないか」と応じ、ならば磐梯山も見えるかと思ったが、それらしい白い山頂は見定められない。手前の黒々と連なる山並みは、八溝山ではないか。一応山頂の表示があるところまで上がり、先ほどの東屋に引き返してお昼にした。
Sさんが庭に生った蜜柑をもってきてくれている。kwmさんが育てたレモンのはちみつ漬けをつくり、紙コップをもってきてkwrさんが入れてくれる。甘く、身体が温まる。彼女たちの間で、柚子は実をつけるのに何年かかるとか、ジャムにしたりはちみつ漬けにする方法など食事をしながらおしゃべりが止まらない。山のお昼と日差しと野菜や果実を育てるという話がマッチして、私の関心を持たなかった世界が展開している。そのなかに「のらぼう菜」という野菜の話しがでた。なんでも飯能あたりの野菜よ……と言葉がつづく。私の胸中には「のらぼう」という、どこかで聞いた言葉が印象に残る。帰宅して辞書を引くと「川魚をとって生活する漂泊民」を指す言葉から転じて、「礼儀作法を弁えないもの」「怠け者」「無宿者、浮浪者、乞食」を指す茨城、栃木、群馬の方言ともある。ははあ、「のらぼう」は、今日寝過ごした私のことだと腑に落ちた。私は「のらぼう」になった。どうして? と医者にでも訊けば、即座に「高齢化です」といわれそうだ。
12時5分に下山を開始する。ちょうど下山した男体神社の入口にあたる処にある舗装路のヘアピンカーブがすぐ下に見える。標高差は370mほどだが、直線距離だと500mくらい。直下にみえる。先へ目をやると、長福山をぐるりと巻いて、上小川の平地がみえ、町立中学校の赤い体育館の屋根が見てとれる。ストックを出す。稜線を10分ほど辿り、長福と月居山との分岐から、下降がはじまる。落ち葉が散り敷いてふかふかしているジグザグの道。「歩きやすいねえ。こりゃあ、良い道だ」と先頭のkwrさんの口も軽い。さかさかと降る。10月初めに来たときには、風台風24号の名残で大きな枝葉がたくさんついた倒木があって道を塞いでいたのが、取り払われている。小さな小枝なども除けられて、いかにも里山の気配が濃くなる。
40分ほどで男体神社のある標高280m地点に降りる。上から見た舗装路のヘアピンカーブのところから振り返ると、男体山が威容を誇るようにそそりたつ。kwrさんはストックを仕舞っている。
「もう仕舞うの?」という。
「えっ、これを行くんじゃないの?」
「まだまだ、これからまたこの山の中腹を巻くんだからね」
といって、歩きだす。すぐに「長福寺→」への踏路を上がる。民家の裏庭のような草地を踏んで、緩やかな斜面がつづく。その先に長福寺への石段がある。
そこからの道はぐるりとトラバースするように山を巻く。車のわだちもあり、広い。ヤブツバキの花が地面に落ちている。見上げると西からの陽ざしを受けて、赤い色が輝く。20分ほどしたところから、町立中学校に向けて下る。これがまた、結構な山道。舗装路を辿るのと違って、ハイキング気分がいや増す。ここは大きな倒木が道を遮る。いくつもくぐって、快適に下る。25分ほどで民家や田圃の並ぶ中学校の東端にぶつかる。そこを左へ向かうと支援学校(養護学校)がある。若い教師と生徒が広い校庭の芝地に寝転んで話をしている。ちょうど私たちはその上から見下ろすようなところを通る。kwrさんが声をかける。返事が返ってくる。「いいところだ」とkwrさんが応答に感心している。道は暗い裏通りの抜け道のようなところに踏み込む。たまたま民家の方がいたから「駅へ行けますか」と問う。「ああ、道なりに行けば」と応えがもどってくる。ちょっと放棄地の藪のようなところを通過し国道に出た。
「道なり」がわからず少し右往左往したが、駅にたどり着き、kwmさんの車に乗って登山口に向かう。相変わらず男体山は、陽気に屹立していた。「いい山だった」と皆さんが言ってくれて、「のらぼう」がホッとしていた。
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