2018年12月30日日曜日

大晦日


 いま、朝の6時。空の晴具合を見ようと外を見たのだが、暗い。薄暗いのではない。まだ外灯が煌々とまぶしく見えるほど、暗い。これで灯りがなければ、かはたれどき。


 目下、1月の正月明けに行われる定例理事会の「議事資料」の作成に取りかかっている。正月は三日間、奥日光で遊ぶ予定だから、今のうちに片付けて置いて、帰宅したらすぐに印刷作業をしなければならない。大きな「課題」のひとつ、「積立金の値上げ」は見通しがついた。1月下旬に「説明会」を開く案内も終わっている。その「説明会資料」も配布済みだ。

  正月明けの理事会は、もう一つの「課題」、「居住者の高齢化に伴う理事選出の改正」だ。これはしかし、いろいろな案が提案されるが、どれも皆さんに受け容れられない。任期を2年にして半数ずつの交代とすると、業務の継承性は(ある程度)保障されるが、2年もの長きにわたって理事は務められない負担感は、超えられない。「業務支援サービス」のある住宅管理会社に委託しようという案が、思いのほか安くて皆さんの気を惹きつけている。しかし、「支援」の中身は、本体が何を支援してもらいたいか明快にしなければ、「調査」も「企画立案」も提出されない。ちょっと目を外部においてみていると、理事の方々は事務的な作業を負担に感じているようにはみえない。集まってワイワイ言いながら作業をするのは、それなりに楽しいのだ。

 結局「負担感」は、日頃まったく関心を持たないで暮らしてきた、建物の保全や植栽の剪定や伐採などで、何をどうしたらいいか、わからない「不安」がある。輪番制の素人理事が抱える「不安」でもある。管理組合が誕生して28年経っているから、何をどうするという役割は(ある程度)定型化している。だが、パソコンが使えない、タイプが打てない。定型化された仕事をつかうことができない「不安」もある。

 とすると、それらを「支援」してもらうには、いつも寄り添って「問題」を考えてもらいながら、「企画立案」してもらうしかなくなる。しかしそれが、月々6万円でやってもらえるはずがない。他方で、居住者の中には、建築関係を仕事にしてきた人たちがたくさんいる。経理や税務や会計、法務に詳しい人たちも、ずいぶんいる。造園を仕事にした人もいて、その人たちに頼めば、アドバイスを受けるのは何の苦労もない。高齢化というのは、才能の宝庫でもあるのだ。それらをピン・ポイントでも引き出して手を貸してもらうことができないか。私はそう、「まとめよう」と考えている。

 それを聞いたある高齢者は、「では、(今のやり方を)変えないということですね」という。う~ん、変えないというよりも、気持ちは大幅に変えなければならないのではないか。「自助システム」と私は名づけたが、誰がコントロールするの? 誰が手を貸すの? 「才能の宝庫」というが、どこにその「才能」が眠っているの? どう引き出すの? と疑問を重ねれば、いくつもわからないことがある。つまり、身を乗り出さなければ、何も変わらない。「高齢化に伴う」なにがモンダイなの? と具体性を提示しなければ、「才能」も動きようがない。

 つまり変わる必要があるのは、「困っていること」を皆さんの前にさらすことだ。それが、できない。「皆さん」を、ごくご近所である同じ階段の人たちと考えてはどうかというのが、私の提案だが、それは「状態」としては現在のそれと(まったく)変わらない。同じ階段の「輪番」という機能的にみている「関係」から、「どなたがどう困っている」から(その方を飛ばして)理事を交代しましょうという「(気遣う)かんけい」へと組み替えようというのである。

 ちょうど一年前、「来年の理事の最年長者ですので」と話しを受けてから、これは理事長を引き受けなければならないかなと思いながら、正月を過ごした。話しの出ていたモンゴル行きも断念した。カミサンは今年の私を見ていて、「理事長がなかったら、どう過ごしていたんでしょうね」とからかう。そうか、振り返ってみると、私自身が、この役割を引き受けていることによって、日常の暮らしに目を向けるようになった。ご近所を「気遣う」ようにもなった。その変化が私の一年であった。大晦日は明日だが、自分の足元を発見した様な一年であった。

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