2019年1月10日木曜日

初詣ハイキング――私の里山を見つける


 このところ晴れ続き。それが心配と気遣いながら登ったのは、高尾山。シモバシラを見に行きましょうと、kwmさんが企画し、案内してくれた。昨年の正月の5日に来てみたら見事なシモバシラがあった。それを皆さんに是非見せようと山の会の「日和見山歩」に組み込んだ。ところが、年末以来2週間以上もの晴れ続き。やっと寒さは平年並みになりはしたが、雨が降らない。シモバシラが見られないんじゃないか。そう心配していた。


 高尾駅北口のバスの発車が9時12分というから、出足はのんびり。しかし、うちの近くから電車に乗るのは通勤・通学ラッシュの最中とあって、少し早く出かけた。案の定、電車は遅延していた。20分早い電車に乗ったのに、高尾駅に着いたのは10分早いだけ。バスを待つこと30分、陽に当たりながらもってきていた本を読んでいるとoktさんが、やはり早く来る。年寄りにはこれくらいの余裕が、ほどよい感じだね。皆さんが列に並ぶ。今年もよろしくと挨拶を交わす。kwrさんは早速、今年の山の計画を話し始める。意欲満々というところだ。

 日影バス停に降りて、いろはの森に向かう。高尾山の北側に位置するから、すっかり陽が当たらない。文字通り日陰。降り立ったほかの一組も、おしゃべりしながら私たちの後に続く。いろはの森キャンプ場は、しっかり整備されている。トイレは(便器が詰まっていて)ちょっと敬遠したかったが、もちろん登山者以外のキャンパーはいない。鼻のところに不細工な灰色模様がついた猫が、寒いからか空腹なのか、鳴いて近寄ってくる。後ろから来た登山者たちは城山の方へすすんでいった。

 いろはの森へ私たちは踏み込む。9時40分。緩やかな上り道。登山道の脇に歌を標した、かなり本格的なつくりの木製の看板が、ぽつんぽつんと3本立てかけてある。そのうちの一首、
 
 吾が屋戸に黄変(もみ)づ鶏冠木(かえるで)見るごとに 妹に懸けつつ恋ひぬ日はなし

 詠み人は大伴田村家大嬢とある。防人として西国へ行ってしまった夫を恋うた歌なのだろう。黄変づを「もみづ」と読むのも、鶏冠木が「かえで」の読みにあたるというのも、初のお目もじ。でもなんで、登山道に懸けてあるのだろうか。

 すぐに林道を横切る。一枚羽毛服を脱ぐ。myさんは羽毛服のフードまでかぶって、暑くないという。燃えてないんです、裡側がと、意味深なことをつぶやく。そこから急な斜面をジグザグに上る。道はしっかり踏まれていて、いかにも都心に一番近い人気の山という感じ。35分歩いて一服。後から一組やって来るが、追い越そうとはしない。アオキのような照葉樹が道端を覆い、山は緑みどりしている。 

 45分足らずで薬王院からくる1号路と合流する。高尾山の稜線に乗ったわけだ。その先に4号路への分岐もある。山頂へ向かう。10分も歩くと広い山頂だ。歩き始めて55分でやってきた。空には雲ひとつない。おおっ、先へ進むと少し西の方に、雪をかぶった富士山が樹間に見事な姿を見せる。その手前の峰々が黒々とその裾に横たわる。真南にみえる独立峰が大山だ。その三角錐の姿が際立っていて船からはランドマークになると、昔、何かの本で読んだことがある。その並びに、二ノ塔、三ノ塔、丹沢山などが峰を連ねる。富士山のすぐ脇手前に御正体山が控える。2年少し前の天気の悪い日に登り、あまりの寒さに半数以上が途中で引き返したっけ。三つ岳も、黒岳も、滝子山もしっかりと見える。展望台から覗き込むようにして、mrさんは写真を撮っている。「木の枝が邪魔」とつぶやいている。「木の枝があってこそ、富士山の姿がより見事に見えるんだよ」とからかうと、ぎゅっとにらまれてしまった。

 展望台からさらに先へ進む階段を下って「ここから裏高尾」の表示看板の手前で、右へ折れるルートは入り込む。すぐに、「シモバシラの氷の花」と題した看板が目に止まる。「シソ科の多年草」。根から吸い上げられた水分が枯れた茎から滲み出て凍りつき、それが次々と推しだされてきて、薄い花びらのような氷の花を咲かせると、図解して解説している。kwmさんは、暖かい雨のない晴天続きの今年は、これが見られないんじゃないかと心配していた。「何だ、見られないんじゃ行っても仕方がないよ」と誰かがぼやきながら階段を下った。

 ところが、先頭の方で「おっ、あった」と声が上がる。
「どれどれ」
「えっ、こんな小さいの?」
「でも、近寄ってみると、花みたい」
 と驚きの声になる。私も初見だ。
 kwmさんは、昨年撮った写真をファイルして持っていて、それをみせてくれる。むろん、その写真の方が見事だ。ほんの30メートルくらいの区画だが、縄が張ってある。このロープ、昨年はなかったというから、今年になって設えたものなのだろう。それくらい多くの人がやってきているともいえる。シモバシラが咲いていて、kwmさんはホッとしたみたいであった。
 誰かが、「おっ、こっちには本物のシモバシラがあるよ」と陽気に話す。今日のハイキングの一つの目標は果たした。10時51分。

 もう一度階段をのぼり、高尾山の山頂に引き返し、早いがお昼にする。日当たりのいい展望台のテーブルとベンチは、すでに先客が占めている。私たちは一番上の四阿のベンチとテーブルに席をとる。ごく一部にしか陽ざしが入っていないから、人気は少ない。テルモスの温かいスープがおいしい。食事を済ませたkwrさんが東の方を見て、何かを言っている。

 見晴らしがすごくいいが、あちらが池袋や新宿だろ、とすると、こっちのあの、塊はどこだ? 
  あれ、川崎、こちらが横浜じゃないか?
 その右のずっと遠方が陸みたいに見えるけど、あれどこ?
 鎌倉の方かね。
 
 やりとりは、だいぶあてずっぽうだが、それほどによく見える。関東平野は、まったくの乾季にある。広大な人のつくった棲息地が、ほんの一望に収まる。あっちをとるかこっちをとるかと問われたら、とりあえずこっちに身を置いている、と私なら応える、と思った。

 35分も山頂で過ごし、初詣に歩を進める。ごった返すほどではない。敬虔な皆さんはお賽銭を上げ手を合わせ、何やら願い事をしている。mrさんに「何を願ったの?」と訊くと、
 「皆さんの平安と健康をお祈りしましたよ。自分のことなど、願いませんよ」
 と、天皇陛下のような言葉が帰ってきた。さすが、団塊世代のトップランナー。憲法九条育ちだ。

 oktさんは御朱印帖を持参していて、300円出して書いてもらっている。京都の清水寺の御朱印なども、すでに記されていて、彼の信心深さがうかがえる。彼は、下山した琵琶滝の社でもお賽銭を出して拝礼し、祈りを捧げていた。先ほどのmrさんは、後ろの方からをれを見ながら手を合わせている。
「今度は何をお願いしました」と訊くと、
「人のお賽銭でお願いするのですから、ほほほほ」と、笑って答えなかった。

 私は高尾山の薬王院がこんなに大きな真言宗の寺院であることを知らなかった。近寄らなかったというのが正解なのだろうが、信仰心のなさが、それを埒外に置いてあったのかもしれない。若い人も年寄りも、笑いさんざめきながら参詣している。いい正月だ。

 12時14分、ストックを出して下山路に踏み込む。一昨年だったか城山へ登り、この下山路を歩いた。そのとき、結構歩きにくいごつごつしたルートだった印象が残っていた。だが、20分ほどで琵琶滝まで下り切った。上りが55分であったことを考えると、このくだりはずいぶんと短縮されている。いかにも大衆人気の、ハイキングコースだった。歩き始めて3時間の行程。

 高尾山口駅の手前で、生ビールじゃ寒いからと蕎麦屋に入った。だが入ってみるとしっかり暖房されていて、陽ざしも暖かい。やっぱりビールがいいと乾杯して、ここで新年会という下山祝いをする。そうしながら、kwmさんが今年4月からの「日和見山歩」の担当者を調整している。来年の3月まで、きっちりと決まった。

 のらぼうになった私は、4月からの山行は、どこに行こうと思っているということを提示するだけ。実施日とかアクセスや行程は、参加者の顔ぶれによって調整して決める。つまり、山の会「山歩講」としての私の企画は、定めのない漂流をはじめるというわけ。

 ただ、今日のハイキングは、高尾山が私の(もっと高齢化したときの)里山になるかなという印象を残した。そうだとしたら、ときどき来て、あちらこちらと親しまなくてはならない。そう思ったから、来年1月の初詣ハイキングは、私が担当すると名乗りをあげた。今年と同じコースかどうかはわからないが、晴れ間にシモバシラを見て薬王院に立ち寄り、下山後に新年会をする。それを定番にしておこうと、思いついたのであった。

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