2019年1月27日日曜日

影が深まりをもたらす


 昨日午後は、隔月seminarの日。講師は、車の設計開発に携わってきたMさん。話は、しかし、自動車の設計開発の手順を解きほぐして解説することに時間をとられ、それに取り組んできた彼自身の「生き方」にまで言い及ぶ時間がなかった。そういう意味では、「序論」であった。


 デザインを決め、市場調査の結果を踏まえてコンセプトを定め、いくつものパートに分けて部品設計をすすめ、五分の一モデルをつくって、工法とロボットによる工程のアルゴリズムを組み立てていくなどのことが、1960年代の半ばから2000年代前半までの40年程の間に、どう変わって来たか。日本国内市場の競争を視野に収めているだけで十分刺激的な開発のインセンティヴを得られたであろう1970年代前半までの自動車工業界とせかいのトップに躍り出たことによってグローバルな市場での研究開発がもたざるを得なかったであろうコンセプトはがらりと違ったにちがいない。それ加えて、ITの急速度の開発が進展した1980年代後半から2000年代のかけての「研究」や「開発」は、また大きく異なる舞台設定をしたであろう。そんな話のとばぐちで、ひとまず時間となったから、いずれ機会を見つけて、「つづき」をやっていただかなくてはならない。

 今日の午前中は、わが団地の2019年度の理事候補の人たちに集まってもらって、「役職決め」をしてもらった。ちょうど一年前に私たちが集められ、「互選で決めてください」とわたされたように、大まかな手順を説明して、今年度の理事は別室へ引きあげた。運びからすると、くじ引きとか「役」の押し付け合いとかもなく、順調に決まったようでよかった。

 だが、あれやこれや片づけるのに手間取り、毎年この時期に行われる劇団ぴゅあの公演に間に合わない。とうとうすっぽかすことになった。仕方なく、傾きかける陽ざしを受けながら図書館へ、読み終えた川上弘美『七夜物語』(朝日新聞出版、2012年)を返しに行った。

 この本、図書館の書架にあったのが目に止まり、借りてきて読んだもの。(上)(下)2巻の表紙絵もページに描きこまれているイラストも、子ども向けのメルヘンにみえた。それにしては大部である。両方合わせると千ページ近くになる。

 読みはじめてすぐに、子どもの内面的な成長の物語だとわかる。内面的成長とは、自律である。親に保護されて育まれている子どもたちは、それぞれに自らの内面において「世界」をかたちづくっている。それは、親を対象としてみる「訣れ」でもある。あるいは、友人を鏡にして自らを見るように、ほぼ同時進行で、友人を対象としてみることでもある。そのようにして、「かんけい」を感知し、自律の厳しさと哀しさと向き合うことでもあり、「わかる」ことが「わからないこと」との出逢いであると感知する「世界」の不思議との邂逅である。

 だから、子どもの精神世界の成長を語りながら、じつは、大人の世界の不可思議さにも言い及ぶように、ことばは展開する。川上弘美の視線の面白さは、明るく楽しい陽の当たる部分に、じつは深まりがなく、むしろ悲しくも寂しい日陰のところに人との関係を感知する深まりへの入口があることを提示していることにある。それを川上弘美の日常批判とみると、毎日がお祭りのような高度消費社会に生きる私たちの日常が俎上に上がり、がぜん夜の物語の重みが、密度を増して胸中に拡がる。

 面白い小説であった。子どもが読むと、どういう感懐を懐くだろうと、ちょっと思った。

 図書館は、ほどよく暖かで静かであった。予約していた本が2冊、書架にあった小説を1冊借りて、さらに傾いた陽ざしを浴びてゆっくり歩く。風が強い。こんな平穏な暮らしがいつまでつづけられるだろうか。そんなことを思いながら、ふらふらと歩いているのが心地よい日曜日であった。

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