2019年1月23日水曜日
ひとつ考えておかねばならないモンダイ
★ 「変わり者」で済ませるか
1/20の「積立金値上げ説明会」は管理組合の組合員に(値上げの必要性を)よく理解してもらえたというのが、一般的な評価でした。ただ一つ「論点の漂流」として取り上げた一人の組合員の発言が何を意味するものだったか、私の胸中に「わだかまり」を残しました。この組合員にはNさんという固有名があり、彼をよく知るご近所の方などは「頭のいい頑固でマイペースな方。他人の話を聞かず、自分の掘った穴に閉じこもって自己主張をする」という印象をもっているようですから、説明会場での彼の発言も「またか」というふうに受け取られていたようでした。
だが私の「わだかまり」は、Nさんの人格や個性にかかわって生じていることではありません。そもそもNさんは「総会」にも「説明会」にも、その3ヶ月前に設けた「住民ミーティング」にも出席しています。「説明会」の「案内」にも、それが実施されたことにも気づかない住民に較べると、関心の示し方は、たいへん熱心と言わねばなりません。彼の言葉足らずもありましょうが、それも含めて、彼が指摘したかったことをもう少し絞って、それに応えてみる必要があるように思っています。
そこでNさんの人格や日常的な振る舞いに関する余計な夾雑物を取り除いて、積立金値上げに関する一人の管理組合員・aさんと名づけて、彼の主張を引き出し、それに対して「提案趣意」をほぐしてみます。
★ 専有と専用使用権と共用という分け方
aさんの主張の骨格は、私的所有権の成立している物件の修理修繕については、その所有者の処理判断に任されるべきで、管理組合が共同事業として取り組むべきではない、というところにあったと考えます。具体的に今回管理組合が取り組んでいる事業について言えば、給水管・給湯管更新工事です。
5階建てという重層階の集合住宅の所有形態は、大まかに言って三つに分かれます。共用部分、専有使用権部分、専有部分です。
「管理組合規約」にはその区分を厳密に記していて、たとえば給水管に関して言うと、水の使用メーターのところから内側が専有部分、メーターまでが共用部分、メーターは水道局の管理部分ということです。あるいは、建物の躯体の外壁面、玄関扉の外側は共用部分、内外の間にある換気口や換気扇は専有部分ではなく専用使用部分、ベランダや一階の専用庭も専用使用部分と明確に規定されています。戸建ての「我が家」の日常感覚では切り分けできない微妙なところが含まれてきます。ですから修理修繕のときに明快に規約に基づいて(共用部か専有部か)分けられるところと、その都度「精査・審議」して理事会が承認するところと「届け出」で済むところと、細かく対応してきているのが実情です。
ともあれ、今回更新しようという給水管・給湯管の各家庭に属するものは、間違いなく専有部分です。aさんの主張は、その私的所有権のはっきりしている専有部分に、「修繕積立金」という(棟別のも含め)共用の資金を提供するというのは間違いだ、というものだと私は理解しました。それに、「(値上げ)提案趣意書」はどう応えているかが、モンダイです。
★ 理事会業務の正当性の根拠
aさんの主張を私は「ちゃぶ台返し」だと受け止めました。「提案趣意書」の第一章で、2018年度理事会が取組前に決定されてきていることを、まとめています。その冒頭の、2008年総会で改定された「管理組合規約」は、「専有部分である設備のうち給水管・給湯管等の隠蔽配管に関する長期修繕計画に基づく改修工事は、管理組合がこれを行い」と記しています。この規約改定は、当時の国土交通省の「ガイドライン」(細部は「標準管理規約」と「モデル細則」と名づけられています)に基づいて改定されたものです。
その「ガイドライン」がどういう状況を踏まえて提起されたかにまでは踏み込みませんが、国土交通省はその後2011年に「マンションの修繕積立金に関するガイドライン」まで出して、管理組合を運営する人たちが参照できるよう丁寧子細に記しています。
つまりaさんは2008年の「規約改正」段階の総会で提起すべき問題を「蒸し返している」と、まず受け止めました。
管理組合の理事会は、基本的に「決議」に基づいて運営されるべきです。だから今回も、私たち2018年度理事会が「修繕積立金の改正(値上げ)」を「提案」する根拠を「提案趣意書」の「第一章」で明示したわけです。ですから「ちゃぶ台返し」を理事会が受け入れるとしたら、それこそ10年余にわたる管理組合の(理事会や総会などすべての)活動を否定することになります。
民主主義というのは、執行権限を持った機関が「規約」「決議」にしたがって執行するところに意味があります。そういう観点からすると実際上、この問題はこれ以上とりあげる必要はありません。
★ 完璧な市民が、皆自律しているのか?
だが私のなかの「わだかまり」は消えません。aさんは私的所有権を絶対化しているのではないか。その背景には、所有権を持つ人格を完璧なものとみなす人間観があるし、すべての人がそのように振る舞えば自ずから世の中はうまくいくという社会観とか世界観をもっているようにみえます。
でも、世の中の人はそんなに一様ではありません。まして完璧に自律して生きている人なんているんでしょうかね。いや完璧とまで行かずそこそこの人格であっても、人に頼らず、社会の共同性に依存せずに暮らしている人は、ほんのわずかの人しかいないのではないかと、私は思います。
重層階の集合住宅に住む私たちが専有部分の給水管・給湯管の修理修繕を全部自分でやると、各戸任せになったら、果たしてうまくいくだろうかと私は心配します。自分自身がやりきれるか、考えてみるだけで困ってしまいます。いつごろ、どのようにどこの業者に頼み、なにをどう改修したり更新したりすればいいのか、ほぼ間違いなく途方にくれます。
いや、管理組合が「ガイドライン」を出して居住者が困らないようにしてくれればいいさと、aさんは答えるかもしれません。
★ 勝手にしたら、どうなるのか?
それでも、各戸が勝手がってに業者に頼み(おおむね5日間ほどの)工事が行われるとしたら、どうでしょう。工事をしている上下6戸ほどの住宅は、うるさくてかないません。
合理的に考えれば、一斉に業者が入って上下6戸の工事を一斉にすれば、5日間で済みます。各戸ばらばらだと、少なくとも45日間は、たぶん断続的にそれを我慢するようになるでしょう。これは合理的でしょうか。
まして更新工事をやるやらない、いつやるかは各戸の自由となると、階下の家は上の家が更新工事をやらないと、いつ水漏れ事故があるか心配でなりません。更新工事をしないで給水管から水が漏れて下階に被害をもたらしたら、そのときに損害賠償すればいいというのは、真っ当な市民のとる態度ではないと私は思います。
コトが起きてしまったときには仕方がありませんが、私たちは予測できるアクシデントには事前に対処し、できるだけ隣人に迷惑をかけないように配慮します。またそれと同じことを、隣人にも期待しています。その相互関係は、安心した暮らしに欠かせないことだと思います。そして、共に暮らしている人たちが安心して日々を送ることができること、これが公共の福祉というものです。これが今回の管理組合理事会の活動なのです。
★ 私たちの必要性が今回工事を生み出した
公共の福祉は、何も行政組織だけが考えることではありません。
管理組合の活動も、私たちの日々の暮らしをたすけるよう「コミュニティの形成」を業務目標の一つに据えています。国土交通省がガイドラインを出したから、専有部分の給水管更新工事などを管理組合が行うと「管理組合規約」を変えたのではなく、その根底には、私たちの生活から来る必要性があったのです。
私的所有権を頑固に主張するのなら、上記の生活上の必要をどう懸念なく暮らしていけるようにするのか、同じ団地に暮らすものとしてご提示いただかねばならないと私は考えます。
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