2019年4月12日金曜日

誤らない人は、何を護っているのか?


 年度が変わって、わが団地のある契約の「重要事項説明」が行われた。国土交通省の住宅管理会社に対する「指導」は、子細にわたる。しかも、理事会に説明するだけでなく、管理組合の全戸に「重要事項説明書」を配布しなくてはならない。配布の許可を求めてきたのを断る理由はない。今年は、6月に行われる住宅管理会社との契約額が値上がりすることも、「説明」に含まれている。その案件の承認は5月下旬の定例総会。議案書はすでに印刷所へ入稿済み。

 4月の理事会のときに管理会社の職員3人がやってきて、「説明」する。私は、例年行われていることだからと、配布された文書を見ないままにしていた。だが、総会議案書の最終校正になって、議題の「契約承認の件」に記載した金額と全戸配布の金額が違っていたりすると大事だと気になって、配布文書を見直した。ところが、配布文書は契約の「月額」を表示している。だが、総会議案書は「年額」で表示する。ということもあって、電卓を叩いて計算したから、単純なミスがわかった。住宅管理会社の提示した金額は、「窓口業務費」と「収納会計費」の項目を取り違えている。土曜日のことだ。


 ちょうど窓口業務に派遣されてきている住宅管理会社の(パート雇いの)職員がいたから、翌日の「説明会」の場で指摘されては(支店の担当者も)対応できまいと思って、担当者にその旨伝えるように話をした。派遣の窓口職員は「土曜日だから、つかまるかな」と気遣いながら、とりあえず、記載間違いしているよ、理事長さんは「訂正した文書を再配布するよう求めているよ」と伝えた。翌日曜日の説明会に登場したのは、3人の支店職員。担当者は、平謝りである。「再配布した方がいいですか?」と私に聞く。聞くことじゃないだろうとは思うが口にせず、「そうですね」と応える。

 3日のち、窓口の派遣職員から「回覧」が回ってきて、その中に「再配布文書」が入っていて、「これでいいでしょうか」と訊ねていた。当方に訊ねることじゃないんじゃないかと思ったから、黙って「回覧」した。その文書が(それから二日経った今日あたり)もう配布されるものと考えていた。管理事務所へ行くと、件の窓口さんが(いや、これにはちょっと事情があるんですよ)という。担当者が融通が利かないのかと思ったら、そうではなかった。

 去年就職したばかりの担当者は、素直に、間違った記載をしたことを詫びて訂正します、という(再配布)文書をつくって上司に見せたところ、上司が許可しなかったのだそうだ。「間違えたことを認めるとクレームが来るから」というのだ。
 えっ? どういうこと?
 間違えたのだから、間違いを認めないとクレームが来るんじゃないのか、と考えるのが普通の人。
 ところが、この上司は、間違えたことにクレームが来るから、間違いを認めるなという趣旨を貫きたいようだ。つまり、普通の人とは逆立ちしている。この逆転の発想は、間違えてはならないという硬い信念と、間違いを認めたときに間違いになるという確信がある。記憶にないとか、忘れたとか、徹頭徹尾逃げ回る。

 慣れ親しんだような既視感がある。ここ数年の官僚や近頃の政治家たちの弁明で飽きるほど、こういったセンスに出くわしているからだ。住宅管理会社というのも、天下りが多いのだろうか。まさか。

 こういう上司に育てられる下僚というのは、気の毒だね。自分がへまをした、うっかりミスをしたというとき、それを隠蔽し、何かを上塗りして隠しに隠し、誤魔化しに誤魔化す。嘘に嘘を重ねる。そうした粉飾にゴテゴテになって、物語りをつくることにばかり才能が開花するのは、楽しい人生なのだろうか。

 果たしてどんな文書が出てくるだろう。「先にお配りした印刷物の表記が正式のものと異なっておりました。上の段と下の段の金額が入れ替わっていましたので、あらためてお配りします」と書いたら、あたかも印刷機のミスのように見えないかと考えるのだろうか。

 愉しみが一つ増えた。

0 件のコメント:

コメントを投稿