2019年4月25日木曜日
言語以前と言語以後の端境(2)神からの自律
「世界は言語だよ」というのは、「言語にならないことは存在しない」という文脈で語られたのだったか。つまり、イメージも、混沌の海も、わからない何かがある/ないという表現も、そのような言語/言葉になることによって、「せかい」として存在しはじめる。空や無もまた、そのようにしてつくりだされてきた。
ちょっとここで脇へ逸れるが、「世界」と「せかい」の違いに触れておきたい。先日、このブログの読者である古い友人から《「世界」を漢字でなく「せかい」と表しているのは何か奥深い思索のたまものと理解致しましたが……》と控えめな疑念が送られてきた。次のように私は、返信。
《「せかい」は私が感じ、見ている世界。「世界」は(私をふくめた)世の中の人々が、たぶんある程度共有している(と私が感じ、考える)「せかい」です。私の「せかい」は、私の感覚と関心の範囲に限られていますから、別の言葉を遣えば、「わたしの輪郭」でもあります。しかし世の中の人々は、私の思いもよらぬ世界を見て、感じています。つまり私の知らない世界がある(それも果てしなく)という感触です。/ほかの人の「せかい」は(基本的には)「わからない」。でも、相互浸透するように「わかる」ところが感じられてくると、それはうれしい。向き合っている他者が悦ぶところに自分の喜びの源もあると思います。それは相互浸透が感じられるから。/ま、そんなことを思うともなくぼんやりと考えている「わたしのせかい」です。》
ということは、「せかい」は人の数だけあるということになる。人びとと共有する「世界」は、「せかい」が社会化された段階。つまり、「言語/ことば」にして表現され、受け取りの意味合いの違いなどは残るにしても、それなりに共有されることが必須の条件となる。「世界」は、哲学者が「間主観性」と呼ぶようにコミュニケーションの過程を通して浮かび上がる関係的概念ということが出来る。「言語にならないことは存在しない」というのは、言語/ことばにされないことは、社会的概念――つまり関係的概念として現れることがない、という意味にとれる。言語/ことばにすることによって「世界」に登場するとは、すなわち現象することでもある。
「言語以前と言語以後の端境」において「言語以前」というのは、「せかい」の発生時点に焦点が合っている。「言語以後」というのは「世界」における語らい(現象)として存在している。この「端境」というのは、したがって、「わたし」と「人びと」との意識の往還を焦点に存立している。このとき面倒なのは、「わたし」自体が環境によってかたちづくられた(関係した)「人びと」の集積・集合であるということだ。「わたし」が孤立的に独自に成立するわけではなく、生物的系統発生による進化と文化的伝承の集積としてかたちづくられている。だから、ここで「わたし」というのは、自分を分節化して意識しはじめて後の「自己意識」である。
「言語以前」の「わたしのせかい」は、「世界」からみれば未だ登場する以前の不分明の段階といえようが、「わたし」にとっては間違いなく存在する混沌の海である。また、そこに絶えず生成消滅する感性や感覚、感情は「わたしのせかい」の源泉のように実感される。
こうも言えようか。「わたしのせかい」の源泉といえる混沌の海が揺蕩っており、そこを分節化して「わたし」が登場するのは、「わたし」に集積・集合する全時空に渡る全環境の一つひとつを一枚ずつはぎ取って吟味することを通して「わたし」、すなわち「自己の輪郭」として描き出すからからだ、と。つまり「わたしの輪郭」を描き出したとき、それはすなわち「世界」を描きはじめることにつながっている。
もちろん「わたし」の輪郭が「世界」と共有する言葉に相当しているかどうかは、「ほかのせかい」とつきあわせねばならない。そのつきあわせを古来、「学び」と「思い」と分けて取り扱ってきた。
《学びて思わざるはすなわち昏し、思いて学ばざるはすなわち殆うし》
この謂い習わしは、「学ぶ」ことの外部性と「思う」ことの主体的優先性を認めている。それは、混沌の海という源泉が(すでに諸々の系統発生的伝承を通じて)存在するという実感を、認める言葉にほかならない。デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」といったことを観念論の出立点のように解説する向きがあるが、私はこれを、混沌の海を源泉とする自己の実感に立脚する宣言のように受け取っている。
デカルトの上記のことばは、彼がそれまでに学んだ諸々の知識をすべて捨てると宣言することから発せられている。もちろん当時の信仰世界の呪縛を解く意味合いからいうと、神から自らを解き放とうとする自律闘争宣言ということになる。だから近代合理精神の出立点と称されるようになったのであろう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿