2019年4月19日金曜日
生きていくということ
昨日(4/18)の朝日新聞社会面の記事は、切ないものであった。「気鋭の研究者 努力の果てに」と見出しを付けた7段抜き。将来を嘱望された日本思想史の研究者が、経済的な苦境から抜け出そうと結婚し、しかしそれが破たんして、命を絶ったというもの。2年前、43歳であったという。
記事は、博士号をもっていても就職先がなく、文科省の特別研究員として口を糊してもせいぜい3年。それも近年、独立行政法人として自立的経営を迫られて予算を削られている大学では、研究者を遊ばせておく余裕はない。専任教員を切り詰めて非常勤講師を充てているという。そうした中で、ドクターの称号を得ていても、就職できない人たちが8人に1人だというから、ポスドクは切実である。「大学院へ行くのはいいが修士までにしておけ、博士課程へ行ったら仕事がなくなる」と言われはじめたのは、もう30年以上も前。その頃より、博士課程の間口は3倍に広がったが、仕事の間口は30%ほど増えたにすぎない。
じつはこの問題を私は、「平成時代」の一つの象徴として先月(seminar)と今月(ささらほうさら)の二つの勉強会で取り上げた。
要点は二つ。ひとつは、平成時代の、たとえばノーベル賞受賞者が陸続と相次いだのはバブルに至る高度消費社会時代の残響だということ。つまり、いつだって私たちは前時代の遺産を食い尽くして生きている。だから次の平成時代の影響は、次の時代に現れてくる。戦中生まれ戦後育ちの私たちは、大正・昭和前期を生き抜いてきた父母の世代の文化的遺産を受け継いで(反省的に形を変えて)人生を送ってきた。それと同様に、私たちが主たる担い手として働いてきた昭和後期の一億総中流の高度消費社会の遺産を受け継ぎ、それを食いつぶして平成時代がつづいてきた。そのタイムギャップにこそ、文化伝達の奥義と国民性ともいえる資質・気質の進化的継承をみてとることができる。
もう一つは、実は同じことなのだが、バブルが弾けて後の平成時代にこそ、日本はこれからの日本社会のあり方について戦略的な展望を提示するべきであったのに、経済の(旧態依然とした)活況化にばかりに目を奪われ、社会全体を見通してみると、大きな荒廃を招いたことだ。経済と社会が乖離するというのは、アダムスミスの描いた資本主義時代とも違うし、規模と展開のスピードと焦点となる経済的利得の集約点が、異なるからだ。かてて加えて、2011年の東日本大震災があった。あの時東京都知事の石原慎太郎が「天罰だ」と発言して不評を買ったが、何に対して「天罰」が下されたのかと問い詰めれば、経済専一主義で社会を忘れて暴走している為政者に対してくだされたものとたどり着けたかもしれない。それを、当の為政者の代表的一人があのように(つまり、他人事のように)言ったものだから、問題の焦点が絞り切れなかったのだ。
朝日社会面の記事は、しかし、優秀な人材を育てる研究活動を軽視する文科省をやり玉に挙げている。だが文化的には、必ずしもそうとばかりは言えないのではないか。まずこの自死した方が、暮らしを全面的に親に依存していたことに、この問題の一つの根があると思う。たぶん両親は、優秀な娘を誇らしく思い、それこそ蝶よ花よと育てた結果、娘は「好きなことを見つけ、人並み以上に努力していれば、お金持ちにはなれないまでも、生きていくことはできる」と両親の思うがままに、育ってきたのだろう。だが、そうか。自らの身を保つためには、まず自力で、稼がなければならない。両親は、「人並み以上に努力していれば」のなかに、自律/自立することを含めて考えていたろうか。
そう思うのは、豊かな時代に育っていく子どもたちを見ていて、「暮らし」の基本的部分を親に依存していることにわだかまりを感じなくなってきていると思ったからだ。私たちが子どもの時代には(子どもが多かったせいもあるが、ことに長子以外は)、親元から出ていくことが当たり前であった。経済的な苦しさもあったろうし、都会化が進行して働く場所を求めて移動する必要もあった。ところが、高度消費社会が進行するにつれて、子どもたちが親元を出ていきたがらなくなった。「暮らし」の基本部分を面倒見てもらえる、快適・好都合な親との同居を、むしろ好み選んだ。親もまた、穏やかな、逆らわない子どもとの同居が心地よくて、結婚しなくてもいいとまで(子どもに)言う親まで珍しくなくなった。
この、自死した文系研究者は、いわば高度消費社会の王道を歩いた結果、社会的な(研究者を大切にすることさえ顧なくなった)風潮の狭間で、苦境に立つことになった。もしこれが、優秀でない、ごく普通の生活者であったら、今回のように記事になったかどうかさえ、わからない。年間自殺者の多い日本で、顧られない人たちがいかに多い事か。つまり、優秀な人材を失ったという損得で考える思いが底流にあって、この記事は成立している。これもまた、平成時代の、やっきになって経済回復を図ろうとする発想と根柢で順接している。それよりも、優秀でもない極悪非道でもないごく普通の人たちが、こうした苦境に立つことが、「中高年ひきこもり」に現れているのではないか。
この研究者と同じ年代の子を持つ私としては、親元を遠く離れて家庭をもち(共稼ぎながら)子を育てている娘との違いがどこにあったかに、思いを巡らしている。ひとつ思い当たることがある。結婚するころだったと思うが娘が「お父さん、家は貧乏だったの?」と聞いたことがあった。人並みの暮らしをする程度に収入はあったと思うが、私の渋い生活ぶりがそう思わせたのであろう。しかし、そう言われてみれば私は、贅沢をすることにひどく抵抗があった。たぶん、敗戦後の貧しい時代が身に沁みていたのであろう。年に何十パーセントもの賃上げをしていた高度成長の終わる1970年代の中頃、組合が「特別昇給」をめぐる要求を論議していたのに関して「そんなにお金を要求しなくてもいいんじゃないか」と発言して、顰蹙を買ったことを思い出す。つまり、高度消費社会に入っていく社会を見ていて、喜ぶよりは、内心不安を感じていたのだった。それが日頃の振る舞いを通じて、娘に伝わっていたのかと思ったことがあった。
それが良かったのかどうかはわからないが、少なくとも前時代的な(貧しかった)風潮を、私の振る舞いは体現していたのかもしれない。だからわざわざ自立の何のと言わないまでも、独り立ちしていくことを子どもたちに伝承していたと言える。つまり、自然に任せていて構わなかったのだ。ところが高度消費社会が一億総中流を謳うようになったころには、「自然」が変わってきていた。わざわざ「暮らし」に必要なことは何かを身に着けるように教えなければ、ことごとくが金銭で片づくようにさえ見えてきた。むろんお金を稼ぐことが、その前に必要になるけれども、それさえも親が面倒を見てくれる間に身についた「自然」は、忘れさせる。それが目前の課題になったとき、「ひきこもり」になったり、家庭内暴力になったりしたのではなかったか。
優秀な研究者の自死があらためて、自律/自立することの根底に、独りの人間が身に備えなければならない生活習慣のなかに、社会環境にさえ左右されない志――暮らしを紡いでいくこと――が含まれていることを教えている。
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