2019年5月10日金曜日

すべてが目下進行中


 齋藤了文『事故の哲学――ソーシャル・アクシデントと技術倫理』(講談社選書メチエ、2019年)を読んで、あらためて、このところ取り組んできた団地管理組合の「不具合対応」のことを考えている。


 団地のある住居で水漏れがすると、2年前から訴えがあった。大規模修繕の折に調べてもらったが、どこから水が浸入しているかわからなかった。いくつかの可能性を考えて、ひとつひとつ原因と思われるものを「つぶして」行ったところ、去年の暮れになって、上の階のベランダに設置した給湯器の根元のあたりから雨水が浸入し、給水管・給湯管の管が潜り込んでいる入口の防水が緩いために雨水が浸入していることが分かった。

 団地の所有と専有と専用使用権部分という、細かい「管理規約」上の取り決めがあって、ベランダは専用使用権部分。修繕などは棟別の修繕積立金で行う部分になっているから、補修などは「不具合対応」として修繕積立金から支出し、管理組合が責任を持つ。となると、今回問題が発生した住戸だけでなく、同じタイプの住戸にも同様な「事故」が発生する可能性が出てくる。どう対応しようかと、修繕専門委員会は検討してきた。

 まず、築後28年も経ってどうして? という疑問が起きる。調べてみると、給湯器が壁に垂直に取り付けてある。この住戸のベランダの給湯器設置部分の壁は幅が狭く、通常設置するように壁に押し付けるように並行して取り付けることが出来ない。そこで垂直にして、ベランダの低い壁を背にして取り付けたものであった。しかも、この住戸では、13年程前に給湯器を新しいものに更新して、取り替えている。古い給湯器は背板が全面を覆っていたのに、新型機は下半分を覆っていない。これは欠陥商品ではないかと、最初、問題になった。ところが新機種に取り換えた東京ガスは、もうすでに自社製品は作っておらず、新型機はリンナイがつくったものの標準仕様。東京ガスはそれを設置しただけという。製造物責任はない、と。

 このタイプの付け方をしなければならないベランダの住戸は、わが団地の4割ほどを占める。とすると、新型機に取り換える住戸は、自分で背板の下半分をつけなければならないことになる。東京ガスの担当者は、はじめ、背板をオプションで設えるのなら、型をつくって抜かなければならないから、2万円ほどかかると説明していた。では、50戸ほどがまとまれば安くなるかという問いに、むろんそうなると応えていた。また、製品自体の寿命が十数年というから、ぼちぼち取替時になる。とすると、背板が前面に着いた製品はあるかと聞くと、今はそのような商品はつくっていないという。ならば急場しのぎに、給湯器の背の下半分を塩ビのシートで覆ってテープで止めるのでも対応できるかと訊ねたら、むろんそれで十分だと思うと、担当者は1月のやり取りでは応えていた。

 そうして、「不具合対応」の補修に入ったときに、東京ガスに見積もりを依頼したところ、「引き受けられない」と回答があった。背板を打ち出すのも、塩ビで応急の措置をするのも、いずれも東京ガスは対応しないというのだ。別の業者に背板の下半分の取り付けを見積もってもらったら、5万円もする。これでは給湯器全体の値段からしても、あまりに高くつきすぎる。どうしようと、目下思案投げ首状態なのである。

 むろん、ベランダの配管部分の防水工事は済ませた。あとの心配は、台風や大雨の季節になって強い風と共に吹き込んでくる風雨だ。とりあえず、耐火塩ビのシートで覆うだけなら、素材費は1戸当たり5,6千円で済む。でも東京ガスが請け負わないというのは、なぜなのか、わからない。もしそれを請け負うと、製造物責任を認めることになると考えているからではないか。あるいはひょっとして、下半分を塩ビで覆うと、熱がこもって機器に不具合が生じる可能性があると、リンナイからサジェストを受けたのか。となると、垂直に設置すること自体ができない相談になる。

 管理組合としては今後も、「不具合対応として対処する」としているから、問題が生じるごとに補修していくことになるが、それだけではあまりに、不都合である。予防的に対応するには、ではどうしたらいいか。新型機器を採用する住戸が責任を負うケースでもないし、と言って放置しておけば、雨の吹き込む事故ケースは起きる可能性がある。困っている。

 もう任期が終わりに近い私としては、頬かむりをすることもできないわけではないが、指針だけでも提示しておくことはできないかと考えていた。そのときに読んだ本が、冒頭に掲げた齋藤了文の『事故の哲学』であった。

 科学的な発展と社会的な消費者主権の拡大と、その狭間に立つ工学的な新技術の展開がもたらす社会的事態は、単純に「自己責任」を所有者が引き受けるという時代をとっくに突き抜けている。車にせよ、建築物にせよ、消費者はもはや自ら所有するものに関して「管理責任」をもてるほど、賢くもなければ、暇もない。つまり、消費者は次々と展開する新技術をブラックボックスとして受け取り、ただ単に「事故があったときに」責任を背負わされるばかりなのか。そういう問いが問われはじめて、ソーシャル・アクシデントとしてそれを認知し、製造物責任とか、設置責任とか、「説明責任」ということが提案されるようになったと、具体的なケースを拾って流れをまとめている。

 我田引水ではないが、わが団地の今回の漏水事故のケースに引き寄せて言えば、まさに社会的に解決しなければならないモンダイなのではないか。しかも(東京ガスという設置業者も、リンナイという給湯器の製造業者も)業者は、なにがモンダイなのかを公にしない。私たちは別に責任を追及しようとしているわけではないのに、見積りを「断る」というかたちで責任回避を図っている。まいったね。

 そこで私は、「消費生活センター」へ訴え出ることを、管理組合理事会へ「問題提起」した。「問題提起」というのは、今の私たちの理事会がその訴えを継続的に維持できるわけではない。任期があと2週間余しかない。ということは、次年度に引き継ぐことになるし、理事会の諮問機関であるボランティアの修繕専門委員会が実務的なことを引き受けて活動することになる。だから、「決定」ではなく、「問題提起」だけをする。そうしないと、この先の手が打てない。

 そう思って、これまでこの問題に取り組んできた現在の建築理事である修繕専門委員長に、その趣旨を説明した。「高尚なお考え、理事長の人格がうかがえます」と皮肉な返答が返ってきた。まいったね、これも。

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