2019年5月7日火曜日

忘れ物はなんですか


 今朝ほどみた夢はプロットばかりだったが、いま振り返ると、私が忘れ物を探しているような気配であった。脈絡はない。だが一連の夢だ。


 最初は大学を受験しようと心の準備をしている。K大学を受けることを心に決めている。経済学を勉強しようと思っているのも、私にはわかっている。でもどこか底の方に、何でいまさらという思いも流れていて、えっ、浪人していたんだっけと、唐突にわが身がどこにあるのかに戸惑ってもいる。

 もう何年も会っていない高松に住む叔母が現れて尋ねる。
「あんた、いつからそこを受けようと考えてたの?」
「う~ん、去年からかな」
 と応えていて、それはそれで内心に裏付けがあると、応える私は感じている。

 そう言えば私がK大学を受験しようと決める発端になったのは、東京の大学に在学していた長兄と話してからだ。直にそういう話をしたのか、帰省した長兄が同窓生と家でいろんな話をしていたのを傍らで聞いていてそう思ったのか定かでない。また、一度の体験なのか、春夏と、母親を気遣って帰省していた長兄との何度かのやりとりであったかもはっきりしない。すでにそのとき(私も図書館で目にして)読んでいた河上肇の名前や彼の著書に気が止まったのか、その本を読んだのが、話しを聞いた結果であったのかもわからない。労農派とか講座派とか経済学論争と言いあっていて、経済学を学ぶなら「やっぱり宇野経済学だよ」と長兄が話したことが、引鉄になったと記憶している。あれは1959年のことだったか。とすると、私が高校2年生のことだ。「去年から」というのは、正確だ。叔母は「T大も受ければいいのに」といい、そうかその手もあるかと思っている私もいて、同時に、(何をいまさら)と思ったのも確かであった。

 あれっ、大学院にすすむ話だったかな? と疑問符がつく。

 と、場面が変わっている。女子大学で教えることになって、その初講義。体育館のような広い教室を二つに区切って、別の教師と分けて使う。黒板は、その別の教師がすでに何か書き込みをしている。どちらの学生も、ぽつぽつと集まってきている。あれ? 天井がない。青空教室だ。私は、パワーポイントを使うようにしておけばよかった、と思っているが、もう間に合わない。それどころか、何をどう展開するか、今日の講義の準備を全くしていない。どうしたことだ。

 ま、今日は最初の講義だから、自分を解きほぐして世界とどうつなげるか、そのイントロにご案内できればいいかと、ぶっつけで話し始める。まず、「混沌の海」を自覚すること。次いでそれを分節化することへ行こうと、学生さんに問う。やりとりが続く。
 「じぶんをかたちづくっている環境として思いつくことをあげてみてください」
 と。学生さんがあれやこれやということを黒板に書きだす。
 「遺伝も(環境に)入るのか?」
 「ああ、面白いね。それって、視界がぐんと広がるね。どんなことがあるかな?」
 書いたものを分類していて、あれ、これって「仲間集め」ってやつじゃないかと、集合論を想いうかべている。なんだ、これは? ってところで、ああ、これは夢を見ているんだと自己意識が目を覚まし、わたしは夢で何か探し物をしているんだと考えていた。

 さて目が覚めて、はて私は、何を探していたのだろうと、振り返っている。なにかを忘れてきているからなのか、それとも為し忘れたことを探しているのか。さらに私の無意識は、わたし自身がとっくに乗り越えたと思っていたコンプレックスにも触れていたような気がする。ひょっとすると、ライフワークを探しているのか、と。

 そう気がついて、なにをいまさら、とあらためて思っている。

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