2019年5月13日月曜日
最後の理事会
昨日(5/12)、団地の理事長として最後の理事会を主宰した。あとは2週間後の通常総会を乗り切るだけ。「議案書」もすでに組合員に配布済み。配布したその日に、一般居住者から指摘のあった「事業報告と決算報告の数字の違い」も会計理事と関係理事に知らせ、チェックしてもらった。「事業報告」はその事業にかかわる「請求書」の通り。「決算報告」はその払込みにかかる「手数料」をふくめた金額であったために、違いが生じていた。「手数料」は別項目の支出にする方が良いかと問われ、いやそれは(違いが分かれば)現状で良いと判断し、これも理事会で承認した。いや何よりも驚いたのは、子細に「議案書」の数字を点検してくれる組合員がいるということだ。こうした組合員がいると会計理事もやりがいがあるだろうと思った。
思えば1年4カ月近く、理事長候補になってから「定例理事会」の傍聴、理事候補たちへの「広報」と、それまでにない体験をしてきた。考えてみると、28年もここに住んでいるのに、この団地の住まい環境の保持にほとんど関心を持ったことがなかった。それまで3度の理事経験もしたが、役割を(自ら)限定したところしか見ていないし、自分の役割が果たせたとみるとさっさと忘れるという有様であったと、いま振り返る。
でもこの一年四カ月は、山に行ったり旅に出ている間を除いて、ほぼ毎日管理事務所に足を運び、投函されているものとメールをチェックした。管理事務所には、週に4日は委託先の住宅管理会社から、窓口事務職員が派遣されてくる。その人と顔を合わせ、支払いや承認に必要な理事長印を押し、実務処理の決済をする。だがそれ以外に、この職員が窓口という定点観測点で見てきた、団地運営のモンダイや運びを教わった。
まず理事長には、団地の人びとの動静や出来事に関する情報が入ってくる。「日報」が大半だが、来訪者と用件も記載される。あるいは、居宅の修理修繕、リフォーム、駐車場の申込や使用停止、あるいは臨時駐車場の申し込みなどを通じて、介護車輛が来ているなども分かる。重層階の集合住宅だから、リフォームなどの審査には近隣への騒音・出入りに関する同意書まで提出される。ピアノの音やベランダで吸うたばこの臭いなど、ご近所関係の苦情が持ち込まれることもある。それらに自治会役員とメンバーを兼ねている管理組合としてどう向き合うか。それは自治会のモンダイといえば(理事会においては監査役である)自治会長に任せて知らぬ顔を決め込むこともできないわけではない。だが、管理組合の規約にも、「住環境を保ちコミュニティをつくる」とあるからには、判断したり手を下さなければならない。というか、理事長がどういう態度をとるかによって、ほかの理事・役員の振る舞い方も決まってくると、一年間を振り返って思う。理事長がまず、何につけ、前向きに取り組む姿勢をみせていなければ、ほかの理事・役員たちは消極的になる。逆に、理事長が前向きであると、ほかの理事・役員も積極的にかかわってくれる。そういう相互関係が成立する環境にあるということもわかった。
理事長という仕事は、管理組合理事会のすべてに責任を負う立場にある。つまり、この団地の中で生じる(居住者の関係的)出来事に、求められれば適切な判断を下し、対処する/しないこともしなければならない。私はどちらかというと、機能的に関係を取り結ぶことに気質は傾いているのだが、副理事長が、伝える言葉を和らげたり、掲示の表現を手直しして、婉曲に「協力を求める」というスタンスをとってくれて、働きかける相手の自尊感情を傷つけないようにしたりすることも、教わった。
この歳になってと思わないでもないが、実際、そうやって立場が総括的になってみると、どの理事がどういうことにどう向き合っているか/いないかもよくみてとれる。口ばかり達者で動きが悪い人もいる。一年経ってみると、その遠因まで見えるようであった。ご亭主にすっかり依存して、暮らしている。ご自分に暇があるから「ご亭主の代わり」に役員を務めている気分なのであろう。あるいは、実務的力量はあるが、男社会を生き抜く女性として、表立たないことを基本にして生きてきたのであろう。手助けはするが、自分から主導して企画・提案したりはしないという女性もいる。あるいは、本来理事を務める「世帯主」は息子。ご自分は隠居で「息子の代理」で理事会に顔を出しているとおもっているから、「提案」も取り仕切りもしない。顔を出し、役割が割り振られればそれをこなす。そういう(管理組合業務にかかわる)「個性」が見えてくる。
私のちゃらんぽらんさが幸いしたことは、たくさんある。「議事録」を一言一句厳密に読み解き、前回理事会の議決はそうではなかったのではないかと指摘する理事もいた。「規約」を持ち出し、ここにはかく書いてあるからこうする必要があると、ほかの理事とのやりとりがかしましいこともあった。そういうとき私は、「規約」をどう読み取っているのか、なぜその規約があるのか、それと「慣習的に行ってきた実際」とのずれは、今どうほぐしていくのが適切かと、論点を分節化し、「律法」の枠内ではあるが、慣行的に積み上げてきた堆積の意味を尊重する方へ、舵をとった。ちゃらんぽらんというのは、私自身の定見がないからだ。私自身がどうするべきだとこだわる考えを持っていない。どういう結論になっても、判断の根拠が明確で、先につながる気配があれば、いいと思っていた。それがあったから、発言する(現職として社会経験の豊富な、ということは多様で違いの大きい感覚をもつ)理事たちの、あたかも交通整理をするコーディネーターのようにして、理事長を務めることが出来た。もちろん発端は、理事長が設えなければならないから、「原案」は提示する。でもそれはいつでも「問題提起」であって、結論にこだわるわけではないと設定しておいたお蔭で、私の立場が、結果的にはいつでも尊重されることになった。
あと2週間。最後の理事会は、間もなくお役から解放されるということもあってか、皆さんの振る舞いは明るい。「理事長の仕事」と銘打った「引継ぎ文書」は、昨日すでに手渡した。あとは文書をまとめ、ファイルなどを整理する仕事に取りかかる。そして2週間後の通常総会が終われば、ゆっくりとこの一年4カ月を振り返って、「わたし」の輪郭を描く自画像に取りかからなければならない。
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