2019年8月1日木曜日
見事なお花に迎えられた白山(2)
3日目(7/30)、朝食はお弁当にしてもらっている。山頂の日の出は5時だから、4時半ころに登り始めれば空いているよと、前日kwrさんが宿の人に聞いていた。4時に起床、4時45分には歩き始めた。先ほどまで見えていた御前峰は左から押し寄せてくる雲に覆われ始めた。雲霧の足が速い。寒くはない。道は「奥宮への参道」らしく石畳を敷いたように、しっかりしている。ハイマツが寄せてくる中を歩く。少し登ると左、西の方へ分岐がある。ここへ帰りは戻ってくると話す。薄暗い中にクルマユリが9輪群れている。シナノキンバイが蕾と花と落花を取り混ぜて群れている。つまり、春から秋への季節が一気に来るから、季節が凝縮されて植物に現れているのであろう。リンドウの仲間がやはり群れを成している。イワツメクサが岩の隙間から迫り出すようにたくさんの花をつけている。
降りてくるたくさんの人たちとすれ違う。道は広いから片側によれば不都合はない。山頂でも日の出は観られなかったそうだ。5時25分「御前峰・白山奥宮」へ着いた。神官が二人、装束を解いて畳んでいる。やはり朝早くにここで神事が執り行われたようだ。毎日上るの? と神官に聞くと、いや雨の落ちてない時ですと応えが返ってきた。奥宮の上に「御前峰」の山頂標識があった。すっかり雲霧のなかだが、到達記念の写真を撮った。
その先は大きな岩が霧のなかに並ぶ。
「こちらでいいんですか?」と見知らぬ登山者が訊く。
「えっ、どちらへ?」
「池の方です」
「たぶん」と応じる。地図を持っている様子がない。一組二人が私たちに道を譲る。
「道がわからないから、お先へどうぞ」と。
いいのかな、こんな調子で山へ来て、と思う。
岩の重なるざれた場所だからルートが分かりにくい。kwrさんが先へ行く。後ろの私が別の道をたどる。いつしか合流する。要するに歩きやすいところを踏みながら下っている。
「こんなに下るのかな?」とkwrさんは少し不安なようだが、標高で200mほど登っているのだから、下るのに気遣いはない。霧の中に大きな雪渓が見える。これが全部、池のようだ。「お腹が空いたよ。食べましょう」とkwrさんが言い、その場所に座って、お弁当を開ける。酢飯に錦糸卵が掛けてあり、筍の皮に包んでいる。うまい。私は、槍沢ロッジと槍ヶ岳山荘がつくってくれたお弁当を思い出した。あれは、そぼろ肉も掛けてあって、うまかったなあ。半分を食べ、残り半分は、また時間がたってから食すことにする。6時35分。
一人高齢の単独行の女性が「テープをお持ちじゃないですか」とkwrさんに話しかける。kwrさんがザックから出し始めるのでみていたら、彼女の靴底がはがれている。テーピングテープでくるくると巻いて止める。しばらくすると別の方の靴もはがれてきて、またテープを貸してくれといい、ぐるぐると巻いて歩いて行った。
雪渓の脇を降りていると、一眼レフカメラで花の写真を撮っている女性二人がいた。「それなんですか」とkwrさんが訊いたのであろう。アオノツガザクラとコイワカガミよと、一人が教えてくれる。もう一人が「十歩歩いたら忘れるから」と混ぜ返す。歩くごとに、ほらっ、それなんですかと私が後ろから声をかけ、「え~っとね」とkwrさんが応える。百歩くらいは覚えていたようであった。タネツケバナも岩の下から這い出すようにして花をつけている。チングルマがあった。これも、花もあれば、すでに穂になっているのもあるというふうに、季節の進行が凝縮されている。高山の植物は忙しないのだ。
三差路に出て私たちは大汝峰の方へ向かう。先ほど上って来た御前峰と剣が峰とこの大汝峰を合わせて白山と呼ぶようだ。大きな山体なのだ。剣が峰はルートのない岩の独立峰。御前峰が最高峰というわけだ。ますます雲霧のなかに突入していく。大きな岩場があった。よじ登る。岩につけられた薄れかけた赤いしるしを辿るようにして、kwrさんがすすむ。mrさんが懸命についていく。雨と風が強くなる。山頂着。7時4分。山頂には岩の暴風壁があり、その中に入るとホッとする。なかに「大汝神社」の標石が建てられている。
5分ほどいてすぐに下山。西からの風が強く、霧が巻いて濡れそぼる。慎重に岩場を下り、20分ほどで分岐に来る。千蛇が池はすぐ。すっかり雪に覆われていた。ここから「←室堂近道0.9km・お池めぐり1.5km→」と分岐がある。「近道」は池の淵をめぐってゆく。踏み跡をたどっていると雨が大粒になってきた。雨具をつける。でも付けて歩きはじめると小やみになるという、なんとも煩わしい雨だ。雲霧のなかだから仕方がないといえば仕方がないが、これは白山が日本海に近いからかねとkwrさんが訊く。そうかなあ。たしかに豪雪地帯ではあるが、夏場の天気がこれほど雲に覆われるのは日本海性気候なのだろうか。
「あっハクサンコザクラ!」と、kwmさんが傍らを指さす。薄い赤紫の、たしかにコザクラが6輪の花を開いて、霧に浮かぶようだ。クロユリを見つけたのもkwmさん。その先には、クロユリの群落があった。一面の緑の草の合間に何十本ものクロユリがあるいは花を開き、あるいは蕾のまゝ、首を出している。その群落が、何カ所もある。これってハクサンシャクナゲと声を上げたのは、やはりkwmさん。白い花が四囲を見守るように向いて咲いている。赤っぽいのもある。蕾もある。すでに花期が終わったのもある。「元祖ハクサンシャクナゲだね」というが、だれも笑わない。写真を撮っていると、先を歩く人たちの姿がハイマツと霧の中に消えそうに見える。
コバイケイソウの群落が霧の中一面に浮かぶ。いくつか小さな流れを越える橋を渡り、ルートがよく整備されていることが分かる。でも、「0.9km25分」と地図にあったのが嘘のよう。50分もかかっている。しかも室堂についてみると、どこで道を間違えたか、朝の登山道の方ではなく、お池めぐりの周回道を歩いているところに出た。どうしたことだろう。
室堂のセンターの食堂で残りの朝食を摂ろうとしていたら、土砂降りの雨になった。
「運がいいねえ」とkwrさんは、ご機嫌だ。雨が上がるまで待とうかとのんびりしていたが、上がりそうにない。少し小やみになったところで、行くことにして再武装。私は折り畳み傘をさして室堂を出る。mrさんが後に続く。石を伝わりながら五葉坂を下って弥陀ヶ原に出るころに雨がやんだ。だが、霧に包まれた景観は変わらず、登ってくる人下る人が集まっていた黒ボコ岩も黙々と通過。上りと別の砂防新道に踏み込む。こちらは上がってくる人とすれ違う。若い人たちは追い越して下山を急ぐ。
八年前に孫を連れて白山に上った時、やはり観光新道を上がりこの砂防新道を下った。こちらの方が何倍も優しいと途中で出逢ったどなたか登山者が孫に話して、頑張ってねと言っていたことを思い出した。だがそのときに感じたほど、下りが簡単なわけではない。家に帰って、そう思ったことをカミサンに話すと、「8歳の歳の違いが出たのよ」と私の老化と感覚の違いを口にした。そうか、そうだったのかと思いながら、まるで初めての道を歩くように新鮮な気分で下山路を辿ったことを想いうかべた。kwrさんが「大きな花があるよ」と立ち止まって指さしていると、通りかかった登山者が「キヌガサソウだよ」と教えてくれた。ナデシコのように花弁の先が割れた白い花がある。花弁の先が丸いからセンジュガンピだと帰ってから調べて分かる。
途中の甚之助避難小屋にはたくさんの登山者が休んでいる。ちょっと水を飲んで、また降る。谷の対岸に砂防工事の現場見える。大量の水がすでにできた堤防の上をざあざあと流れ落ちている。これが、平成21年からつづいている砂防工事。ここが別当谷の現場だ。そのためにトンネルを抜いて工事用道路を整備している。中飯場の小屋でもたくさんの人が休んでいた。登ってくる務衣姿の若い人がつづく。聞くと永平寺の修行僧だそうだ。60人が登ってくるという。永平寺の修行僧は120人と一昨日聞いたばかりだ。その半数が白山に登る修業をするのか。先導役の年寄りの僧侶も何人かいる。13世紀に誕生した永平寺に対して、8世紀にはじまる白山信仰は、いわば先輩格の神仏。永平寺も敬意を表して修行場に使わせてもらっているのだろう。若い人たちはみな、白いおろしたての運動靴だ。
登る人たちのしんどそうなのに比べれば、下るのは本当に楽だ。すれ違う度にこちらに元気が出るのは、他人の不幸は蜜の味ってことなのかと思わぬ飛躍が、頭をかすめる。うしろからチャリンチョロンと音をさせながら追いついてきた小学生と父親に道を譲る。この小学生はテンポよく降る。音が響くからテンポの良さが伝わってきて、こちらの歩調も同調する。木間から谷が一望でき、その下に吊橋が見える。「別当出合0.8km→」と表示がある。チャリンチョロンにmrさんもついているようだ。あれこれ草臥れたような愚痴を口にしながら、この人は自分の元気を知らないのだろうか。そう思ってしまう。
やったあ。吊橋に出た。チャリンチョロンの小学生父子が私たちに先に渡れと示す。たぶん父子で記念撮影でもしたいのだろうと、遠慮せず、先に渡る。後ろを振り向いて、mrさんたちのやってくるのを撮影する。橋に来てますます元気になったのか、カメラをむけるともうすぐそこに迫っていて、うまく撮影できない。こうして、登山口に着いた。12時14分。室堂を出てからちょうど3時間5分。本当にぴったりコースタイムで歩いた。
駐車場まで下り、白山温泉永井旅館で風呂を使わせてもらって、そこを出発したのは13時40分頃か。恐竜博物館に立ち寄るのは、もういいよってことになった。途中で蕎麦屋によって「お昼」にし、福井駅へ直行。車を返し、特急券を買い求めて16時1分発の金沢行に乗った。やっと缶ビールを買う暇があったくらいだ。金沢で乗り換えて新幹線の人となり、1日目に手に入れて飲み残した日本酒「九頭竜」を、kwrさんと二人で片づけて、ほとんど熟睡して大宮まで帰って来たのであった。
埼玉は暑い。どっと噴き出す汗が日常に戻ったことを告げているようであった。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿