さて、「お返路」して帰ってきてから2週間になります。やっと疲れがとれ、日常が戻ってきた感じがします。昨日も午前中3時間くらい見沼田圃を歩きました。良い季節です。
この2週間に戻ってきた日常というのが、じつは、このブログ記事を書くことだったと、今あらためて思っています。そういう意味では、5/16、5/17、5/18に記したような感懐を私の身が欲していたのだと感じています。
四国のお遍路をしながら、なぜお遍路をするのか、何度も繰り返すのには何があるんだろうと考えていました。歩き遍路よりも88カ所巡りの方が格段に多いことも、大型連休があったからだが、よくわかりました。車で巡る人、ツアーでやってきている人、自転車で走り抜ける人、中には軽い肩掛け程度を背負って走って経巡っている(トレイルランニングのような)姿も何人か見掛けました。寺社神仏に(と書くほど、88カ所にはすぐ傍らに神社がありました)世の人々の関心が集まっているようには思えませんが、お遍路ブームでも来ているのかと思ったほど、たくさんの参詣客を見掛けました。逆に言うと、「わたし」も結構、通俗の流行に乗っているんだなあとわが身を振り返っています。
なぜお遍路をするのか。自問に対するひとつの自答は、歩くことが人生だからというものです。歩き遍路というのは、まるごとの自分を意識させます。衣食住が剥き出しです。ひとつひとつが身に堪えます。歩くことがわが身の内奥からの響きをピリピリと伝えてきます。
内奥からの響きというのは、三段階に分けられると思っています。
(1)一番奥深くからのは、内臓の状態がどう移ろっているかのメッセージ。栄養源とか呼吸、血液、リンパ液や水分の循環器系が穏やかに作動しているのか悲鳴を上げそうなのか、疲れとの相関を気にしながら受け止めています。ことに歳をとってから、そのメッセージを受けとるのが鈍感になっています。疲れというのは恢復するときに感じることなんだと思ったほど。恢復しないから、感じ取ることもできないのです。
(2)それよりも少し浅いところからのメッセージは、筋肉や骨、神経あるいは内臓脂肪などの様子です。若いお遍路さんは足が攣るとか筋肉痛だと夕方に騒いでいますが、年寄りは平気です。これもまた、恢復するときに身の感じている齟齬が表出するのだと思うほど、感受性が鈍っているからですね。恢復しないまま溜まった疲れは、もっと奥底の、歯茎が痛み始めたり、気管支が腫れてきたり、躰が浮腫んできたりする「症状」に現れるようになります。
(3)身体の負荷が過重であるのを「痛い」とか感じるのは若い人。「ああ、疲れたな」と感じ取るのが年寄りには精一杯。つまり、(1)(2)のメッセージを受信して総合的に「身の感触」として受けとって後に、お遍路ペースを緩やかにするとか、休養日を入れるといった「意識」へと伝わってくる、と思うようになりました。
上記のうちの(1)は、この歳までの長年のすべての暮らし方が堆積してきたことの現れです。今更どうしようもないことが多いのですが、逆に大きなスパンでわが身を振り返ることになります。(2)は、姿勢を正すとか筋肉を鍛えるとか骨やバランスのトレーニングをするというふうに、わりと短期間にある程度修復可能な要素が残っていますが、でもそれは長年の生活習慣に組み込んできたことがベースになっていますから、これもまた、わが人生を振り返って鏡に映すようなことと言えるかも知れません。(3)がわが身の統合参謀本部。内臓や筋肉が伝えることが心に感じ取れ、意識に上るようになります。ここが鈍くなることで、結局疲れ切ってオールアウトになるまで行ってしまう。いやさらに先へ逝ってしまうことにもなりかねません。
上記のことは、般若心経を詠んでいても浮かんできます。
《無受想行識 無眼耳鼻舌心意 無色声香味触法》
身が感受しあれこれ考え行うことは無いも同然と言っているように見えますが、菩薩の域に達すれば・・・という「般若心経」が位置付いている発信地点だからこそ言えること。そう考えると、まさしく今現世で右往左往している「わたし」にとっては、《受想行識 眼耳鼻舌心意 色声香味触法》という感官と意識と行動と言葉の世界が《無》になるまでは「わがもの、わがこと」として、わが人生と同行二人しているとみなければなりません。
「般若心経」を唱えるのは、彼岸に身を置いて現世のわが身を照らし出すことにほかなりません。そう簡単に菩薩になってしまっては、二千五百年余の仏法の径庭すらも揮発してしまいます。彼岸に達するまでは、《受想行識 眼耳鼻舌心意 色声香味触法》がどう「わが身の裡」で形づくられ、如何様に移ろってきて八十年、今まさに彼岸に渡ろうかというほど《無》に近くなっているなあと、深く感じたのではありました。
おっと、話が逸れそうだ。元に戻そう。
お遍路とは、歩くことが照らしだし(心意に)もたらす「わが人生」そのものです。ただただ坦々と歩く。内蔵の奥底からの声も、身や骨のからの響きも、暮らし方も含めて、ああだったこうだったと振り返るコトゴトも、今更どうしようもなく、そうだったねとわが身に問います。でもそのときどきの成り行きを思い返し見ても致し方なかったと根源からの応答が続きます。その応答の基点が「般若心経」だと思ったのです。
これは、彼岸を基点として此岸の人生を振り返る作法。此岸である現世から表現すると、遠近法的消失点を見定めておいて、現世の景観を描き表す方法といって良いように思います。それを実体験できるのがお遍路なんだと。
ところが「わたし」の場合、わが身に起こる《受想行識 眼耳鼻舌心意 色声香味触法》の、一つひとつのことを、その都度書き留めておかなければどこかへ消えていってしまう気性があります。いや簡単に言うと、すぐにどうでも良くなって忘れてしまう。その自分の弱さを補うために、ここ15年近く、ブログを書いてきたのですね。もっと簡単に言うと、書くおしゃべりです。それを生活習慣にしていました。
そのため、ただただ歩き、溜まる疲労と比例するように身の裡に溜まる様々な感懐がどんよりと重くなり、疲労が歯茎の痛みや気管支炎となって現れるように、溜まる感懐が何やら分からぬままに「飽きちゃった」という感懐として現れてきました。それが、第37番札所岩本寺の窪川辺りであったというわけです。
ついでにちょっと気になったことを付け加えておきます。
38番以降をつづけるの? と帰ってきてから何人かの人に聞かれました。四国のお遍路は88番札所を終わったら、1番札所の霊山寺にお参りして「結願」となるのだそうです。結願すると、高野山に参ってお大師さんにご報告するという作法で「完結」すると聞きました。
でも四国のお遍路を何十回と繰り返すと聞いて思い浮かべたのは「永劫回帰」。そう考えると、まさしく人生そのもの。ニーチェが言うように「飽きもせず」繰り返し積み重ねる。その動態的なサイクルから離脱しようと釈迦もニーチェも思案して「解脱」とか「超人」とかにたどり着いたのでしょうが、わが身の感じたところでは、動態的なサイクルをしっかりと感じ続け、対象として見つめ続けることこそが、「飽きない」サイクルの過ごし方ではないか。そう思えてくるのです。
もちろん、釈迦やニーチェのように偉い存在としてではありません。市井の老人が、わが人生を振り返り、現世において書き留めておく感懐にすぎません。それがクセとなり、わが生きるエネルギー源となっているのだと、感じています。
この先、あらためてお遍路を続けるかどうか。「飽きない」お遍路の仕方を、まだわが身が悲鳴を上げないうちに思いつければ、また38番札所から歩き始めるかも知れませんね。(おわり)
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