昨日はしこたまお酒を飲んだ。コロナの感染が日本ではじまる前以来だから、2年半ぶりか。大学の同じ専攻の卒業生が集まった。全員でも12人しか居なかったのに、そのうち4名が他界。2名が移動に不自由する状態、残る6名がすでに廃校になった跡地に行き、そのうちの一つの建物が二つの大学として使われてはいたが、あとの校舎はすでに取り払われ、区立の公園として利用されている。廃校になって半世紀近くになろうか。跡地に育った公園の樹木は幹回りも太くなり、中には巨樹の風格さえ漂わせているものもあった。建物の裏にあった池の周りは鬱蒼と茂る森になり、裏側の出口は小石川植物園に連なっている。
卒業後半世紀以上が経ち、すでに傘寿を迎えている者もいる。お昼前に集まり、元構内を散策し、近くのレストランに入って旧交を温めたのだが、そのうちの一人、甲府から来ていたTが別れるとき「これが最後だから」と永訣のような言葉を残した。それはあたかも、今日以降はこれまでの人生とはきっぱりと手を切って、彼岸に渡る準備に勤しんで過ごすからおわかれだねと、「決意」を告げる言葉であったように響いた。その「決意」のほどが私の胸中にじんわりと響いて、今朝になっても鳴り止まない。
そうか、人との関係の断捨離か。これまでに積み重ねてきた関係の束と縁を切って、すっきりと身を処していく。ここまでの友誼に感謝するとはいわなかったが、80歳になって先の道筋は、まさしく一期一会。曳きずらない。死ぬよりも前に、こういう形の「自裁」があるのか。いやあっても不思議ではない。世の人の歩む歩き方とは、ひと味もふた味も違う、彼自身の歩みがあったろう。その歩み方が、若い頃の古い友人たちにはつたわっていないかもしれない。それはそれで一向に構わない。ただ、そうしたわが身のほんの一角に痕跡を残してきた君たちとも、こうして別れの言葉を告げる機会を持てて良かったよと、いっているのかどうか。彼自身が、自らの内部で、何かを見切り、断ち切った。「決意」するとは、何かを見切り、断ち切る行為。彼は何を見切ったのだろう。なにか「せかい」を見切り、断ち切った。
ずるずると関係を引きずる。何事もなるようになると、ちゃらんぽらんにすごしてきた私は、「訣れ」という「決意ある振る舞い」は、滅多にとったことがない。山の遭難事故をきっかけに自然消滅していった「かんけい」は、それはそれで「わたしの決意」を必要としなかった。そうか、私が断捨離が苦手というのも、わが「せかい」の一角を捨てることができないからだ。旧交を温めるという、ワケの分からない「かんけい」をよくわからないままに捨てることもできず、保ち続ける。そういう「わたし」の身の習い、つまりクセが肌身に染みこんで、いつも「決意」を回避し続けてきた。
それじゃあ、起死回生というか、わが身を根柢的に革めるってこともできないわけだ。ま、この歳になって今更だから、それはそれでいいが、甲府の彼は、そこを身切って「これを最後に」と訣れの挨拶をしたんだ。すごいなあ。根を生やしたんだ、甲府に。葡萄づくりに。
じゃあ「わたし」は何に根を生やすのか。そもそも根付くような土を育ててきてるんかい? そんな自問自答がぼんやりと躰をめぐっている。
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