(*7)備えと成り行き
お遍路道で一番目にしたのが、標高と津波避難所への案内看板。「標高3・5m」とか「8m」と「避難場所↔」と各所にあった。室戸阿南海岸も土佐湾も、南海地震が来れば大津波が直に襲ってくると想定されている。それも30年以内に起こると予告されると、神経質に対応しなくてはいられない。たぶん東日本大震災以降につくったと思うが、避難高台というのもあった。だがどう見てもコンクリートの3階程度。屋上に上がっても10㍍余。大丈夫だろうか。
海と道路との間にはたいてい高さが2~4㍍の堤防があった。堤防の脇には一段低い側道が設えられていて、そこへ上がれば海はみえる。室戸岬の先端に近いところに、弘法大師が修行をしたという海洞があった。かつては海辺だったところにいまは国道が走っている。そこからみえるのは海と空だけだったから空海と名付けたと謂れが記されていたが、今みえるのは空と堤防。これじゃあ「空塊」だな。
一段高い堤防は土佐湾に面する安芸市に入る辺りから。ここから高知市を外れる西側まで広大な平地が広がっているせいか、堤防は延々と続いていた。堤防の側道を歩くと海がみえるから側道に乗って気分良く進んでいたら、いつしか山の方へ寄っている次のお寺さんへの遍路道とどんどん外れていたことがあった。こりゃあいかんと堤防を降りて北へ屈曲する国道へ向かう。ここを通って良いのかと思うような畦道を通り抜け、川筋の堤防を降りて田の向こうに見える国分寺へ向かったこともあった。
話を戻そう。標高表示と津波避難場所への案内をみて、でもいま南海地震が起こったら何処へ逃げるかを考えたとき、室戸阿南海岸を南西へ向かっているときは、「案内表示」以外に逃げ場がない。海に迫る山体は急峻で木に摑まっても這っても上れるような傾斜ではない。昔からの作業道のように階段を設えた避難経路が唯一の逃げ道。車は捨てるほかない。高知市から土佐市を抜け須崎へと通じる海沿いは、河口も合わせ屈曲した入り江をたくさん抱えている。山の辺に沿うように走る車道は入り江を跨ぐ1㌔を越える大橋でつながっている。
ここで大地震となったらどうしようもないなあと思いながら、一切皆空と、ふと言葉が浮かぶ。そうなんだ。思い悩むより、そうなったらなったときのこと、致し方ないときは致し方ない。いい加減だなあと謂われそうだが、そうやって運命だとか宿命だと人生を受け容れてのほほんと生きてきた。自然と一体になるってそういうことなんだ。
そう振り返ってみると本当に幸運に恵まれていたと感じる。あれもそう、これもそう。たくさんあった。そうだよねえ、いまさらここで南海大地震があっても、80年近く幸運に恵まれてきたんだもの、一度くらい言葉にならないほどの災厄に出くわしても、恨みっこなしよと、もう一人の「わたし」が呟いているのが聞こえる。ミクロのつぶやきだが、これってマクロの施策を考える基点とどうつながるだろうと、また別の思いが浮かび上がる。
そうだそのミクロの人生を感謝するのが私の今回の旅ではなかったのか。これがマクロとつながるとき「お遍路」になるのかなと、歩きながら考える旅でありました。
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