19番札所へまず立ち寄り、菅笠を被り「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣を身につけ「同行二人」と記した頭陀袋を首から提げる。輪袈裟や数珠、金剛杖はもたない。信仰心がないことを隠さない、金剛杖は重すぎるから軽いストックにする。つまり我執である。
着替えると、すこしお遍路気分になる。お大師堂に蝋燭と線香を献げ、「般若心経」を詠み上げる。暗唱するのではなく詠むのが正しいと、後の遍路宿で何度もお遍路をしている方から聞いた。私は何度詠んでも覚えることがないから、なぜかは聞かなかったが、その後ずうっとなぜだろうと考えている。暗唱するとリズムが心地よく響き、意味を考えなくなるからではないかというのが、とりあえずの私の結論。ついで本堂に行って同じように灯明と線香を献げて般若心経を詠唱する。
そのとき、左片隅の方から訴えるような、泣くような声が聞こえてきた。本堂の両片隅にお大師さんの座像が鎮座している。その前で老婦人が泣き崩れるように声を忍びつつ振り絞っている。それはまるで、亡き人に詫びているようであり、縋っているようであり、お大師さんに訴えかけているようであった。そう言えばお釈迦さんに亡くなった我が子を呼び戻してほしいと訴え願う母親の説話があったと思い起こしていた。
そうか、この方には「願」がある。願を掛けて八十八カ所を経巡ったときを「結願」という。こういうことが同行二人なのか。「願を掛ける」のは、「一切皆苦」という「苦」に向き合っていなければならない。それはよく分かる。そもそも社会的な施策は、人々の「苦」をどう始末するかを考えて建てられる。だから政策立案者や為政者は、基本的に人が生きる「苦」に向き合う「無知のベール」を被った地点で立案しなければならないというアメリカの哲学者の提案に、私は直感的に同意している。
でも、私はこうした人生の悲嘆に向き合ったろうか。確かに戦中生まれ戦後育ちということは、社会的な混沌や悲嘆、貧窮を経験している。それは「苦」と呼んでもよいことだったが、いま、もう一歩根柢に降り立って振り返ってみると、「苦」というより逆に「希望」感じる。悲嘆・貧窮・混沌の中にいたからこそ、そこから暮らしを立て直し、新しい社会を再生する希望にあふれた立ち位置を感じることができていたのではないか。しかも日頃顔を合わせる同年代の人たちと共に、何を目指し何処へゆくのかを考える必要もないほど、社会的な共通感覚を抱いていた。「無知のベール」を被るも何も共通体験としてそれを知っていたとも言える。
むしろアフター・バブルの「失われた*十年」と呼ばれるここ何十年かの方が、若い人たちにとって「苦」なのではないか。なぜ、なにをするのかさえ、一様でない。またその意味を、社会的にばかりか友人たちと共有することもできない。世の中の共通感覚さえも失われて、人一人ひとりの「本体」が確かなものとしてつかみ取れなければ、「我思う」という確信さえ確かなものとして感じられない。「わたし」って何かと自らの問いかけて茫洋呆ひとり然とするほかない苦難の中に放り込まれている。それこそが「苦」ではないか。
この、人の世を認知する原点ともいうべき「一切皆苦」を共感することこそがお大師様との同行二人かもしれないと、立江寺の老婦人の嘆きを見て考え始めた歩きはじめたのであった。私の発心である。札所を参詣し般若心経を詠む。そうしながらどれほど般若心経の神髄を感じ取ることができるか。空海の足跡を踏み歩くのは、1200年前の空海の時代と今の社会空間がひと繋がりになっているという舞台の共通性と、その間に生じた大きな差異とを同時に感じ取りことではないのか。そう感じ取る最低限の共通性とは「歩くこと」に他ならない。空海が何を考え、どう始末しつつ、何をしてきたか。なぜそうしたのか。その土台は何であったかを、彼と共有しているのは四国お遍路という場と般若心経という言葉。それを、一寺一寺経巡り、その都度2回詠み上げながら感じ取ろうと、考えるともなく思いながら、歩き出したのではなかったか。
じつは当初、参詣という心持ちをしていたわけではなかった。まして「願を掛ける」気心はもっていない。ただ、人生の「苦」に、周りのあれやこれやに扶けられて気づかぬままに過ごしてきたのだろうか。あるいは、これから、向き合うことになるのだろうか。もしそうなら、これまで苦に向き合わなかったことは私の全くの幸運であり、その感謝を(何か大きなもの)天に伝えるのが「わたし」のお遍路だと内心のどこかで思っていたのだ。
今思うとこの感懐は、歳をとったからの忘却が作用して苦しかったコトゴトをほぼすっかり忘れ、いろいろなことを能天気にやり過ごすちゃらんぽらんなわが気性に起因しているのかもしれないと、もう一人の「わたし」が呟いている。ま、それはそれで構わない。お遍路と、歩きながら胸中に浮かんできたよしなしごとや、身の程に堪えるように積み重なってくる「疲れ」をもう一度撮りだし、意識的に言葉にすることが「わたし」の愉しみに他ならないと感じつつ、書き進めている。
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