2022年5月21日土曜日

ぶらり遍路の旅(8)諸々の断片(c)

(*6)季節・気候

 17年前は夜行バスで徳島へ行ったが、もうそんな元気はない。新幹線で岡山へ行き、瀬戸大橋を渡って高松を経て徳島、そして牟岐線の立江駅で降りる。ぐるりと回り込んだ。

 埼玉を出た日は雨模様。季節が少し戻ったように寒くさえ感じた。富士山も雲の中。4月初めには雪を見せていた伊吹山も雲に隠れていた。

 だが、瀬戸大橋を渡るときは日差しがさし、海に浮かぶ釣り船がいかにものたりのたりの風情。四国の田圃はすでに田植えを終え、でも、田の隣には二毛作の青々とした麦が背を伸ばしている。そうだったと、昔を想い出す。立江の田畑はしかし、田植えを終えたところもあれば、いま水を張り代掻きをしているところもある。水路の水はたっぷりと流れている。気候が暖かいところは、こうして農作業にも、それぞれの家の事情が反映されて自在になるんだと感じた。

 何より驚いたのは、標高500㍍ほどの鶴林寺でも太龍寺でも、まだ4月下旬に入ったばかりというのにシャクナゲが咲いていたこと。太龍寺のシャクナゲの一部はすでに萎れ始めているのもあった。ツツジはいうまでもない。瀬戸の海を見てのたりと思ったときは、海のない埼玉人だからかと思わないでもなかったが、この花を見ると温暖な四国との気候の違いを思わないわけにはいかない。そのおかげでお遍路白衣の下はノースリーブの網シャツ一枚で過ごすことができた。

 四国が紀州に突き出している一番東端・蒲生田岬から室戸岬への「室戸阿南海岸」(最短)100㌔余と室戸岬から窪川までの広角に大きく開いた「土佐湾」(最短)150㌔を歩くとき、常に日差しは東南の左から指してくる。はじめは山道だけにつかったが、6日目当たりからはほぼいつも金剛杖代わりにストックをついて、西へ西へと歩いた。あとで気づいたのだが、左手の甲が日焼けして焦げ茶になっている。何よりその手の甲を手首まで伸ばしてみると、折り曲げて皺に隠れていたところが肌色っぽく残り、まるで褶曲した地層のようにまだら模様を見せる。手甲脚絆をした昔日の装束の合理性がわかる。

 土佐湾沿いを歩くと柑橘類の栽培が目に止まる。広い畑に背の丈2㍍足らずの樹木が育っている。その間に等間隔に柱を立てて白い紗を張る作業をしている数人の人がみえる。小夏という、この季節に実を成す甘い小粒の蜜柑がいま人気で、その増産を企図しているそうだ。紗を張るのはハウス栽培と呼んでいる。花を付けたときの受粉を人為的に行って種なしの小夏をつくる虫除けの紗のようだ(それだけではあるまいが)。ハウスと違い露地物の小夏の収穫をしているところにも出遭った。今が旬だという。「食べてごらん」と2つ貰った。表の厚皮を取って内皮ごと実を食べる。こちらはときどき種がある。「そうねハウスものに比べると少し酸味があるかな」と畑仕事をしていたアラフィフの女性は笑う。今年は花を付ける時期に雨が多かったから実りが少ないともいう。ハウスものが好まれて、露地物の最高値からハウスものの値が付き始め、倍くらいの値段になって売り出されている。

 いま咲いている柑橘類の花に、やわらかいポンポンを軽くあてがって何やら作業をしているアラフォーの女性もいた。立ち止まって作業を見ていると振り返って、「あ、これ、文旦。受粉させてるの」という。虫が少なくなっているというよりも、人為的な受粉で均等に実がなるようにしているそうだ。彼女が面白い話をしてくれた。受粉につかう雄しべの花粉は、じつは小夏のものだという。小夏の花粉を2月頃にとっておいて、こうして文旦に受粉させる。文旦に収穫は初冬の12月頃だけど、もっと甘くなるのだそうだ。異種交配ですねというと、同じ柑橘類だからねと頷きながら笑う。あれこれ、そういう工夫をしてるんだ、この人たちは。

 じつは「小夏ちゃん」の地方発送をしているところを調べてきてくれと、お遍路前にカミサンに頼まれていた。これまで、高知の山奥に住む姉がその土地の人に頼んで発送してくれていたのだが、義兄が躰を痛めて長期に入院したことがきっかけで鬱になり、「ちょっとニンチが入ったかな」と一緒に暮らす甥っ子が伝えてきた。もう、これまでのように頼むわけにはいかないというわけ。

 安芸市の国道沿いで青果店を営む店を見つけた。アラフォーの女将が「私に電話するように言って」と元気な返事をくれた。また、窪川の札所の近くでも同じように地方発送していますという果物屋の連絡先を貰い、こちらはその店にあった露地物を一箱、カミサン宛てに送った。その露地物が「今年はできが悪い」といっていたとおり、酸味が少し強く、種がたくさん入っていた。カミサンはすぐに安芸市の青果店に電話をして、ハウスものと露地物の味の違いや出来具合を聞いて送り先をファックスしていた。

 気候の暖かさとそこに住む人たちの気性と関係の大らかさとに関係あるかどうかは説明のしようがないが、高知県の人たちのさっぱりとした気性とか、遍路宿の「チェックインは4時から」というとき、ほぼその時間まで受付をしないということとか、わりと思ったことを口にしてその通りに伝わっていると見ている感触は、思いの丈を忖度して遣り取りをする京都渡りの言葉の用法と違って、きっぱりとして気持ちが良い。そう思うのは関東気質なのだろうか、それとも四国・中国育ちが関東へ来て身につけた気質なのだろうか。私の感性にフィットする。これって、ひょっとすると身を置いた四国の気候に、わが躰に刻んだ無意識の「ふるさと回帰」が反応しているのかもしれないと、なんとなく嬉しくなっているのだ。

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