(*5)生き心地が良い関係への視線
岡真弓の著書に触発された《「生き心地が良い」とはどういうことか》を読んでみると、日頃私が綴るよしなしごとの神髄が足下にあったことがわかります。でも「生き心地が良い」関係を「おへんろ」というかたちで受け容れ、軽々とこなすように日常に取り入れている徳島や高知の人たちの振る舞いは、なかなか大したものです。
でもその関係が紙一重であることも忘れてはなりません。自殺率が全国平均の3分の1という(旧)海部町と、その隣町の自殺率は全国平均と変わらなかったという統計的事実は、簡単に概念化してはならないことを意味しています。その町の気風(エートスと岡檀は呼んでいますが)は、どんな人々がどのように往き来して関わり合ってきたかという微細な関わり方によって出来上がってきたものと言えます。大坂夏の陣で焼き払われ必要になった材木の切り出しがきっかけと岡檀は海部町の人の往来を記しています。
そういう人たちの往来が(そのときの)成り行きによって「生き心地の良い」関係を紡ぐという似たようなことを、私は今住んでいる首都圏の団地の住まいに感じています。似たようなことというのは、「病、市に出す」という点だけがまだまだ届かないところにあります。たとえばこの団地でコロナウィルスの感染者が発生したときにそれを住民に知らせるかが話題になったとき、団地理事会は内密にすることを選びました。そこにはまだ、見知らぬ他者を信頼する(旧)海部町的気風が行き渡っていない(というか、見知らぬ人を信用するなという気風さえ常識化している)ことが現れています。
それでも、戦後の経済的な豊潤と上昇によって人々の往来が盛んになり、謂わば西欧社会的な他者が市民として共に暮らすようになることによって、多様な他者が協同して生活する社会関係を築いていかねばならない。そういう社会意識を共有できる条件は出来上がっています。そのとき、どうやったら(旧)海部町の人たちのような「生き心地の良い」関係を紡ぐことができるのか、ひとつひとつの社会ネットワークで考えていく必要があると思います。
岡檀の著書の最後に記されていたこと、「自殺はそんなに悪いことですか」という訴えは、「病、市に出す」というセンスが行き渡っていないことと同じ社会ベースで生じています。「病」を共有して「あんた鬱になっとんのとちがう?」と声を掛けるような開放性があれば、それでも自殺した人を「悪くいう」ことは起こらないと思うからだ。人生の運不運はつきまとう。それは、不運な人の所為ではない。そういった感性までかかわってくる。つまり、心を開く関係が築けるかどうかは、関わりの緩急を人と場に応じて受け止めていく、微細なことへの心配りを必要としているのです。
お遍路として通過するだけの町ではあったが、そういう気風を感じることができたのは、民宿大砂とか民宿椎名のお接待があったからだ。もちろんそればかりではない。道に迷ったときに声を掛け、ときにはちゃんと行けたかを見守るように(ひょいと顔を出して)「あ、さっきの人やな」と挨拶をする自転車の年寄りの振る舞いは、なんともやわらかい関係がしみ出してくるようであった。
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