2017年3月31日金曜日
「バカ、左を歩け、左を!」
昨日、そういわれた。駅へ向かう道、暖かい陽ざしを受けてのんびりと歩いていたら、向こうから来た男がすれ違いざま、「バカ、左を歩け、左を!」と声をあげた。えっ? と思ったので「人は右、でしょ」と振り向きながら言い返すと、「車と同じだよ、左! バカ」と二度もバカという。この男、私同様に高齢。背は低いががっちりした体格をもち歩き方もしっかりしている。ボケているわけではなさそうであった。へえ、そうなんだ。「人は左(を歩け)」と(他人を罵るほど強く)思い込んでる人もいるんだ、とはじめての「発見」にうれしくなった。
2017年3月30日木曜日
「お伊勢さんの不思議」Seminar報告 (3)天皇制と私
なんだか江藤淳の本のようなタイトルになったが、伊勢神宮が天皇家の祖神の宿る処であることと私が「お伊勢参り」をすることとの「かんけい」を考えておきたいと思う。
2017年3月29日水曜日
美しくも危うい私たちの立ち位置
パキスタン映画『娘よ』(アフィア・ナサニエル監督、2014年)を観た。監督は女性。部族の争いの犠牲に供されて嫁ぐことになった娘を護ろうとする母親の視線が、母親自らの人生をあらためて生き直そうとする女の意思と重ね合わされて描き出される。高い山の中腹を削るように走るカラコルムハイウェイを疾駆する大型のトラック、その危うさが部族の習俗に逆らって逃亡する母子と逃亡を助ける羽目になった男の危うさとダブってみえる。それは、美しくも危うい。
2017年3月28日火曜日
「お伊勢さんの不思議」Seminar報告 (2)「日本人」と「美意識」
さて、講師・Oさんのお話しは神社などに対する「称号」の説明から入りました。そういえば私たちは、神社、大社、神宮、宮、社といろいろな呼称を使っていますが、それのどれがどういう配置にあるかという序列を知りません。序列があるかどうかもわからないのです。Oさんの話しも序列にまでは及びませんでしたが、おおよその輪郭は浮かび上がりました。
2017年3月27日月曜日
第25回 36会 aAg Seminar ご報告(1)われらが身の拠って来る所以に思いをはせる
先日(3/2)、第25回 36会 aAg Seminarが行われた。その「ご案内」は、以下のように呼び掛けている。
2017年3月24日金曜日
あと12年も
去年の8月に、私にほっとしたことが一つあった。8月17日で、親父の没年を越えたことである。親父は73歳10か月と7日を生きた。次は長兄の77歳を超えることと、次兄と話しをしていた。
ところが先日、日本の男性の平均寿命が80歳を超えたと新聞報道があった。(あと6年か)と私は思った。それを見たカミサンが「あなたの兄弟の平均で、元を取らなくちゃいけないんじゃない?」と妙なことを言う。私は男ばかり五人兄弟。そのうち、末弟は64歳、長兄は77歳で、三年前に身罷っている。残る兄弟は、いま、次兄76歳、私74歳、次弟69歳。
その残り三人ですでに亡くなった兄弟の分も生きて、せめて平均寿命を兄弟間で生きるようにしなくちゃ、というのがカミサンの計算のようであった。はははは。笑ってはみたものの、はて、何歳まで生きれば「元が取れるか」。計算してみた。
なんと残り三人が86歳と4ヶ月生きて、やっと平均寿命分生きたことになる。あと12年。あと6年が倍になった。「元を取る」というのは、親世代から受け継ぐ「健康寿命」を、日本全国ではなく、わが家系に限定して推奨しようという「たくらみ」である。それにはぜひとも、五人男兄弟の平均値で全国平均をしのいでおかねばならないというわけだ。
いやはやたいへんな荷物を背負わされてしまった。残る三人の一人でも目標値を超えないと、再び、寿命を延ばさなければならなくなる。これはたいへん。どうか、残る兄弟の皆さん、お元気でお過ごしくださいってわけだ。
2017年3月23日木曜日
さほひめに逢う奥武蔵稜線歩き
《春の初めの歌枕、霞たなびく吉野山、鴬さほひめ翁草、花を見すてて帰る雁》と梁塵秘抄にしるされた「春」をみつけに、奥武蔵の稜線を歩いた。前日は、一日中の雨。それも久々に、道路に水たまりができるほどの降りであったから、晴れ渡る青空はまさに天の恵み。いそいそと小川町駅からバスに乗った。空気は冷えている。
2017年3月21日火曜日
面妖なデジタル
つい先日(3/16)、「馴染めないデジタル社会」と題して、突然動かなくなり「メーカーに修理に出してください」という表示が出たプリンタのことを書いた。「(部品保存期間を過ぎたので)修理受付もできません」とメーカーのつれない返事に、ブラックボックスが多くなった製品(とその時代)には馴染めないと愚痴をこぼしたわけだ。
「権威」のライト・ノベル
なんでこんな本を図書館に予約したのだろう。届いたのでさかさかと読んだ。今野敏『マル暴総監』(実業之日本社、2016年)。遠山金四郎ものというか、暴れん坊将軍ものというか。でも、主役でも舞台回し役でもない。主役は気弱なしがない暴力団担当の警察官。その立ち位置が、読む者の気分を代表し、視線を読者の側に引き寄せる。この作家が得意とする警察のヒエラルヒーも、ほんのお飾り程度。事件の捜査も、警察官同士の情報探査や提供の「貸し/借り」、情報屋や暴力団との駆け引きに姿を変えてポンポンと進展し、ミステリーですらない。ただひとつ、警視総監と平巡査というヒエラルヒーの立ち位置がもたらす「権威への平伏」が滑稽に感じられるのは、人生の終幕に身を置いている私の立ち位置によるのだろうか、それとも、時代が「権威」を笑い飛ばすほどにフラットになってきているせいなのだろうか。そんなことを思った。ライトノベルだ。
2017年3月20日月曜日
知識は何を足場にして存立するのか
今月の「ささらほうさら」の講師は長く理科教師を務めてきたWさん、テーマは《天変地異とホモサピエンス》。A4版9枚のペーパーを用意していた。大きく分けるとテーマは三つ想定されていたと考えられる。
2017年3月19日日曜日
街の何を観ているのか
福島への旅の行き来に、鹿島茂『パリでひとりぼっち』(講談社、2006年)を読む。「骨休めの旅」だったせいもあって、読み終わった。面白かった。じつをいうと、鹿島茂という人が小説を書いているとは思いもしなかった。何年か前に吉本隆明を論じているのを知って、フランスの現代思想に詳しい哲学者かと思っていた。その彼の名を冠した本が図書館の書棚にあり、手に取った。意外にも小説であった。巻末の著者略歴を見て「19世紀のフランス社会生活と文学」を専門としていると知った。ま、肩書はどうでもいい。彼の吉本論が(もうすっかり忘れているが)私の肌になじむ感触だったことを覚えている。そういう傾きがあったから手に取ったわけだが、読み終わって、この方の視線が好きになった。
2017年3月18日土曜日
雪深い温泉で骨休め
福島県の新野地温泉に行ってきた。新幹線で1時間10分、降り立った福島駅の空は曇り、ポツリポツリと雨が落ちる。迎えに来てくれたワゴン車で30分も走ると周りはすっかり雪に囲まれ、トンネルを抜けると路面にも雪が積もって路側は除雪の雪が背の高さよりも高く積まれている。青空がのぞき、風が強い。
2017年3月16日木曜日
馴染めないデジタル社会
つい先ほどのこと。地図をプリントアウトしようとしたら、「プリンタの電源を切り、修理に出してください」と表示が出る。昨日もプリンタをつかい、別に不具合もなくA4版12ページ分をプリントアウトできた。はてこのプリンタはいつから使っていたんだっけ。保証期間はとっくに過ぎているにちがいない。「覚え」を繙いてチェックしてみると、2012年の12月に手に入れている。4年と3ヶ月になるか。そのときも、動かなくなったプリンタの購入店に相談に行ったら、チェックするのに1万円、修理代金はチェック後に見積もりが出ると言われ、「それよりこちらはどうですか」と言われて買ってのが、今のヤツだ。チェック料金よりも安かった。
2017年3月15日水曜日
原初に浸る感覚
ふしぎな感覚で読みすすめた小説だ。川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社、2016年)。じぶんが解体され、原初の混沌の海に戻っていくような感触とでもいおうか。いますでに分節化されたのちに一体感を保っている「じぶん」が、もう一度分節化されて混沌の海へ投げ込まれているような、なつかしい感触なのだ。
2017年3月14日火曜日
2017年3月11日土曜日
災後の「感動」ということ
先月の「ささらほうさら」の集まりで、講師のKtさんが「小説とイデオロギー」をテーマにして加藤典洋にかみついた。そのことは先月の2/18、2/20のこの欄で書き記した。百田尚樹の『永遠の0』の評価を(百田の)イデオロギーで処断するのはおかしいのではないか、というものであった。加藤典洋がそのような物言いをするとは思えなかったので、Ktさんがとりあげた(加藤典洋の)『世界をわからないものに育てること―文学・思想論集』(岩波書店、2016年)を取り寄せて読んだ。Ktさんの読み違いであった。だが、その読み違いには、視点の据え方の大きな違いがある。それを考えてみよう。
2017年3月10日金曜日
ミステリーの面白さとは
マレーシア空港での北朝鮮の後継嫡男殺害事件に関して私の眼を惹いたのは、手早く空港の監視カメラをチェックして、北朝鮮籍の男たちを特定し、彼らの名前や政府機関での所属まで割り出した「情報把握」の素早さであった。むろんマレーシア警察だけがかかわったわけではなかろう。韓国情報部やアメリカの関係機関が情報提供をしたのかもしれない。つまり日常的に、どこに所属するだれがいつどこで何をしているかに目を光らせているシステムの存在に、いまさらながら目を瞠ったというわけである。
2017年3月9日木曜日
顔を合わせることで人類史を感じる
※ 3/7に書いてアップするのを忘れていました。遅ればせながら。
法事を終わらせて返ってきました。祖父の50回忌、「本家」を継いだ叔父の7回忌、その奥さんの13回忌と忌年日が重なっていましたから、「本家」の従弟妹たちやその子、孫も集まり、賑やかな法事になりました。私の父の姉妹である叔母たちと私の兄弟の他は、60代の従弟妹夫婦、その子どもたちは40歳前後、さらにその子どもである孫世代は3歳児から中学生までが頭を並べ、お膳を並べたりお茶を給仕したりと、勤しく動いていました。その身のこなしを見て、その家族の安寧を感じとっていました。
天の恵み、見て見て!
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大月駅で富士急行線に乗り継いだとき、頭上には青空が広がっていた。電車が出発してまもなく車窓の右の方の高川山から覗き込むように富士山が顔を見せた。八合目から上あたりか、雪をかぶって端然、清楚にみえる。電車が都留市に入ってからに「進行方向左側をご覧ください。富士山が姿をみせます」と車内放送がある。乗客は一斉にそちらに目をやる。電線や電柱や住居などの向こうに富士山が三合目辺りから上をみせている。「あっ、あれが三ツ峠よ」という声に振り向くと、車窓の右側に通信の受送信塔を何本も立てた三つ峠山の頂が雪の気配を見せないで佇んでいる。
大月駅で富士急行線に乗り継いだとき、頭上には青空が広がっていた。電車が出発してまもなく車窓の右の方の高川山から覗き込むように富士山が顔を見せた。八合目から上あたりか、雪をかぶって端然、清楚にみえる。電車が都留市に入ってからに「進行方向左側をご覧ください。富士山が姿をみせます」と車内放送がある。乗客は一斉にそちらに目をやる。電線や電柱や住居などの向こうに富士山が三合目辺りから上をみせている。「あっ、あれが三ツ峠よ」という声に振り向くと、車窓の右側に通信の受送信塔を何本も立てた三つ峠山の頂が雪の気配を見せないで佇んでいる。
2017年3月4日土曜日
春、啓蟄の風
昨日は暖かったが、午後に北風が吹いて、夕方には随分と冷えた。今日の午前中は少し強い南の風が吹いて、暖かい。明日は啓蟄。春が間近にやってきている。梅はもう十分すぎるほど咲き誇っている。それより色の濃いカワヅザクラは、花開いてからもう二週間以上になるというのに、まだ花をつけ、公園全体が桜色に染まって、週末の人出がにぎにぎしい。
2017年3月3日金曜日
心の体幹を鍛える
子どものスポーツを世話しているトレーナーが近ごろの選手育成の方法が変わったと話していた。陸上競技でも球技でも格闘技でもいいのだが、子どもの好みや「才能」を優先して選んでも、伸びるかどうかはわからない。だからむしろ、(どの競技種目と決めず)資質の優れた子どもを選んで体幹を鍛え、鍛えている間にどの競技に向いているかを見極め、種目決定をして選手として養成する、と。つまり子どもが出場する「試合」に勝つだけなら、ちょっとした誤魔化し技を取得すれば勝てるから、それで調子づいて取り組んでも、早晩、頭打ちになってしまう。それよりは、体幹という基本をしっかりとつくっているものの方が、伸び始めると飛躍的であるし、「試合/競技」に勝つこと以上に「試合/競技」に取り組むことそのものが(じぶんに対して)意味を持つと「内化」することができて、トレーナーの思惑を超えて力を伸ばすことができるというのだ。
第25回 36会 aAg Seminar ご案内
さあ、いよいよわがSeminarも5年目に入ります。これがSeminar最終年になるかどうかは、皆さんの健康状態に拠ります。ぜひとも元気で、延長戦を迎えたいものと願っております。
5年目、第25回Seminarのトップバッターは、「中部36会」の大賀吉弘さん。「36会」の命名者の一人でもあります。昨年の第18回Seminarで「趣味の香魚の話」と題してアユのお話をたっぷりと聴かせていただきました。その興に乗って、9月には長良川の鵜飼い見学をコーディネイトしていただき、篝火をたいた舟の鵜匠が鵜を操ってアユを獲る幻想的な風景に身を置くことができました。そのときの勢いで、ぜひまた中部36会を催してくれと声が上がり、再び大賀さんに登壇いただくことになったわけです。
お題は「お伊勢さんの神秘入門」。「お伊勢参り」は、江戸のころからの庶民の特権的遊興でありました。いや信心ですよと、貴美子さんあたりから言われそうですが、男も女も、丁稚も女房も、「お伊勢参り」と称するだけでお店も旦那もお休みをくれ、行く先々でもてなされたといいますから、旅行業も観光案内も、もちろん宿泊所もお食事処も万端、整っていたのでしょう。
そう考えてみると、前回Seminarの続きになりますが、江戸のころのヒト、モノ、カネの流通もなかなかのものであったと思えます。今の旅行と異なり、なにしろ全行程を自らの脚で歩くわけですから、「お伊勢参り一筆書き」の気配。はたして安全に歩けたのかしらと、雲助とかゴマのハエとかにまで思いを致して、ドキドキしてしまいますね。
それほどにして、一生に一度は行きたいという「お伊勢さん」とは、どんなものなのか。それを繙いてくれるのが、今回の大賀吉弘さんの「お伊勢さんの神秘」です。不思議大好きな人たちにとっては、見逃せない「お題」。ご参集ください。
※ 前回までにご案内していた日付が間違っておりました。また、「予告」の5月の日付を、事務局の都合により変更しています。ご了承ください。
◇ 2017年3月25日(土) 15:00~17:00
会場:昭和大病院入院棟17階AまたはB会議室
(品川区旗の台1-5-8、最寄駅:東急池上線・大井町線「旗の台」駅すぐ。地図は下記URL)
http://www.showa-u.ac.jp/SUH/access/index.html
*************** 予告 ***************
★ 2017年5月20日(土)第26回Seminar、講師:Yスナミさん、
お題:「お金の話」
☆ 2017年7月22日(土)第27回Seminar、講師:折衝中、お題:「未定」
36会 aAg Seminar 事務局:kフジタ
2017年3月2日木曜日
感触の違う雪山歩き
友人のKさんは、昨年11月の山で頸椎を損傷した。滑って首を後ろにひねるようになったことは事実だが、それは単なるきっかけ。それまでの彼自身のアスリートとしての活動の中で、頸椎をずいぶん傷めていたのだと自身を振り返っている。診断した医師からは、「もし、もう1㎜ずれていたら、一生動けない身体になっていたよ」と言われたと笑っていた。
2017年3月1日水曜日
人間をどう認識するか
先日NHK-BSのクール・ジャパンという番組を見ていたら、世界のシェア80%を占める日本のIT企業が「朝30分間、全社員で掃除をする」ことから仕事を始めている、というのが取り上げられていた。NHKは「掃除をすることによって(製造工程機械の)バグが取り除かれ、世界シェア80%の商品開発に成功した」と紹介していたが、感想を聞かれた外国人コメンテーターは「才能の無駄遣い」とか、「もし他に転職先があれば、その企業は選ばない」とそっけない返事が多かった。日本人側のどこかの大学教授は、「柔道とか茶道とか武士道といって、技芸の上達を通じてひとの生きる道を究めるという趣旨が盛り込まれてきたのが日本文化だ」という趣旨のまとめ的なコメントを加えていたが、外国人コメンテーターたちは「ふ~ん」と分かったようなわからないような顔をしていたのが、印象的であった。ほとんどだれも「クール」とは認めなかった。
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