2017年3月14日火曜日
僥倖
「あっ、ジイチャン。バアチャンいる?」
と低い声。孫のRから電話があるかもしれないとカミサンが言っていた。
「うん、いまちょっと出かけてるけど」
「オレ、受かったで」
「ええっ! そうか、おめでとう。よくやったね」
と返す。大学合格の知らせだ。事前の私立大学に失敗していたから、ひょっとしたら浪人か? と心配していた。国立の方はちょっと高望みかと思っていたから、意外な結果であった。街へ出かけているカミサンに早速メールをする。カミサンはRの母親、つまり娘とやり取りをしたらしい。帰宅して「来るかと言ってるけど、どうする?」と聞く。
この日からカミサンは北海道へ行く予定が入っていたから、(半月以上も前だが)「もし合格したら、お祝いにあなたが行きますか?」と聞かれたことがあった。そのとき私が「ああ、行くよ」と応え、カミサンが「お父さんが行ってもいいと言ってるよ」とメールをしたら、「こちらもいろいろと忙しいから……」と渋い返事が来たらしい。お母さんが来るなら(家事を)手伝ってもらえるけど、お父さんでは邪魔になると思っているのが、よくわかる。「いや、行かないよ、それじゃあ」と考えていた。それが合格と決まると、「来るか?」である。「ああ、行ってもいいよ」と応ずる。「あなたは甘いから」とカミサンは笑う。
そうして土曜日から昨日まで芦屋へ行って、お祝いをしてきた。孫Rもそうだが、娘も雰囲気ががらりと変わっていた。大学受験生を抱える家族はそういうものだろうが、本人は落ち着かない。家族が口を挟んだからといってどうにかなるものではないから母親は我慢をする。しかし、こんな様子で大丈夫だろうかと気になる。つい、口をきくと小言を言うことになる。子はふくれる。爺婆としては腫れ物に触るような感触で、夏に会って以来である。Rも憑き物が落ちたように晴れやかな顔つきをしている。私学を落ちたことも、かさぶたのとれた傷跡のようにさっぱりと「焦った」と片づけられる。
母親も、「(私学を)落ちてから毎日朝8時から夜9時まで学校の教室に行って勉強していたのをみると(これだけ人が変わるものなら、国立を落ちても)、これだけで受験の甲斐はあったかなと思った」と、なかなか洒落たことを言う。これも「合格」してこそのことばかもしれないが、子どもを観ている親の気持ちが広がりを持つ。「ま、親もいい経験をさせてもらったってことよ」と婿さんも前にして私も言葉を紡ぐ。
もう一人のRのばあちゃんも、誰彼に(合格を)話したくてたまらなかった、という。ご亭主の兄に話したところ、「えっ、Rちゃんて勉強が好きな子だったっけ?」と驚かれたという。意外に思っていたのは私だけではなかったのだ。でも、うまい言い方だと思った。たぶん本人も、訊ねられたら「俺、勉強って好きじゃないよ」と応えたに違いない。それくらいふだんは、どこか力が抜けてしまうような振る舞いであった。
そのRが、もらってきた書類を見て手続きに取りかかっている。9日発表だったというのに、14日にはもう入学金を納める期限という。大学側も、補欠合格とか後期合格者を決める関係で、人数を早く確定させたいのかもしれない。同時に、塾のバイトの声をかけられたとか、バイクで通おうと思っているとか、第二外国語を何にしようかとか、専攻科をどこにしようかと、来年以降のことまでうきうきと考えて気持ちが膨らんでいる。かと思うと、数学や英語は毎日やっていないと錆びついてしまうとか喋っている。そうだよなあ。いまがいちばんいい時なのだよね。本人は無論だが、かかわる人たちは誰でも、合格の声を聴くとき一番気持ちが安らいで、つい嬉しくなってしまう。孫の大学生第一号が、こんなかたちでうまく滑り出しのは、僥倖であった。
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