2017年3月31日金曜日

「バカ、左を歩け、左を!」


 昨日、そういわれた。駅へ向かう道、暖かい陽ざしを受けてのんびりと歩いていたら、向こうから来た男がすれ違いざま、「バカ、左を歩け、左を!」と声をあげた。えっ? と思ったので「人は右、でしょ」と振り向きながら言い返すと、「車と同じだよ、左! バカ」と二度もバカという。この男、私同様に高齢。背は低いががっちりした体格をもち歩き方もしっかりしている。ボケているわけではなさそうであった。へえ、そうなんだ。「人は左(を歩け)」と(他人を罵るほど強く)思い込んでる人もいるんだ、とはじめての「発見」にうれしくなった。


 当時まだ私が小学校一年生のころだったか、「右側通行の車が明日から左側通行になる」ということがあった。四国の高松にいたからそれなりに車の通行もあり、小学校でも「人は右」と教わった。アメリカ式に右側通行であった車両が(旧に復して)左側通行に変わったと印象深い記憶であった。占領が終わったから(アメリカ式の右側通行から日本式の左側通行へ戻った)と思い込んでいたのだが、いま調べると、1949年だったそうだ。独立したのは1952年だから、そうではなかったらしい。

 その後にTVか何かで、「道路交通法では人は右を歩いても左を歩いても制約はない」と耳にしたことがある。かつては道路がそれほどに(広く)整っていなかったろうし、都会では逆に歩道が整備されていたからどちらでも構わないと「法的には」規制することを決めなかったのであろうと(稲田防衛相ではないが)思っていた。それが「人は左だろ!」という。この信念はどこで生まれたんだろう。

 ひとつ私に思い当たることがあるのは、狭い道を歩くとき自然に左側を歩いていることが多かった。私はそれを、心臓が左につているから自然に守ろうとする身体反応だと考えていた。意識して道路を歩くときは、右側を歩く。前からくる車はよけられるが、後ろから(車両に)ぶつけられるのは敵わないと思うからだ。だから「対面交通」は基本的に主体性を保つ知恵と思って来た。

 「人は左、車も左」という信念はどこかで教わったのだろうか。そう思って調べてみて、驚いた。1949年以前の日本の交通規則では「人も車も左が原則」であったというのだ。《一説によれば、武士は左側に帯刀していたため、すれ違いざまに鞘(さや)が触れ合わないよう、左側を歩く習慣がついていたからといわれています。》と書き添えてあった。これは可笑しい。とすると、江戸のころからの習俗が、1949年まで持ち越されていたことになる。

 たしかに車が増え、道路の整備と追いかけっこになって、交通を規制しなくちゃならなくなるのは(地域的な遅速はあるが)、戦後になってからであったのだろう。交通事故が増えて、何か対応しなくちゃならなくなった。それが1949年ということか。とすると今日私に「バカ」といった御仁は、江戸時代の所作を守り通して今に至った方なのであろうか。それを未だに頑なに「信念」としているのは時代に染まらない白鳥のような存在。そう思えば、古武士のような風格であったなあ。

 でもひょっとすると、幼児のころの記憶は残っているが、成人してからの記憶は消え去りがちという、認知症の症例もある。がっちり体躯に惑わされているのかもしれない。

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