2017年3月9日木曜日
顔を合わせることで人類史を感じる
※ 3/7に書いてアップするのを忘れていました。遅ればせながら。
法事を終わらせて返ってきました。祖父の50回忌、「本家」を継いだ叔父の7回忌、その奥さんの13回忌と忌年日が重なっていましたから、「本家」の従弟妹たちやその子、孫も集まり、賑やかな法事になりました。私の父の姉妹である叔母たちと私の兄弟の他は、60代の従弟妹夫婦、その子どもたちは40歳前後、さらにその子どもである孫世代は3歳児から中学生までが頭を並べ、お膳を並べたりお茶を給仕したりと、勤しく動いていました。その身のこなしを見て、その家族の安寧を感じとっていました。
祖父が日露戦争の時にもらった「(戦勝記念の)表彰状」があったと見せられ、私がたまたま同居していた1年半の中学生の時に、祖父からよく日露戦争の話を聞かされたことを思い出しました。海軍の水兵でしたから、旅順攻略のために夜間に港の付近にボートで忍び寄って機雷を仕掛けたこと、港の上の高台にロシア兵の姿が見えたこと、その高台を二百三高地といって攻略するのにたくさんの陸軍兵が犠牲になった話をして、得意げであった様子が甦りました。そうです、それもあって昨年、大連を訪れ、旅順や二百三高地や水師営などをみてきたわけでした。
最年長の叔母は今年90歳、大阪からやってきていました。同い年のご亭主も健在ですが、大きな移動が不自由なため、ご亭主を堺に住む私の弟夫婦がみている間に、大阪で開業している従弟夫婦が叔母を車に乗せて連れてきて、その日のうちに連れて帰るという算段をしていました。もう一人の叔母、86歳と久し振りに何やら話し込んでいるのが、ちょっとうらやましいようにみえました。そのもう一人の叔母夫婦もいろいろな患いに見舞われたのに、しっかりと回復して、スリムになっていました。叔母はお茶の師匠を90歳までは続けようと思うと、張りのある声を出していました。同い年のご亭主は胃を切除しているせいですっかり痩せて57kg、今年の運転免許が更新できれば90歳までは運転すると意気軒昂。この夫婦、去年には孫娘の案内でカンボジアのアンコールワットへ行ってきたと嬉しそうに話していました。この歳になって元気でいることがどんなに大変かと思うと、頭が下がります。
「皆んなの顔を見るために来たんよ」という90歳叔母のことばに、3年前に相次いで亡くなった私の母や兄弟を想いうかべて、共感している私がありました。災厄が襲うと気持ちが弱くなるといいますが、出会えなくなることによって存在感を強く実感しているのだと思います。それは、生者が死者の累々たる人生の堆積の上に、今の暮らしを立てていることを身をもって感じとるからではないでしょうか。その体積の裾野が、ずうっと以前にさかのぼっていくと、曾祖父のさらに前にさかのぼる名も知らないご先祖さんたちのいたことに思いが及びます。そうか、「君の名は。」というのは、そのご先祖さんたちと、そのご先祖さんたちを育んだ無数の人々たちのことかと思い当たり、あのアニメ映画の謎解きにまで思いが飛ぶようでした。死者にあってもその名を記憶にとどめることは出来ない。現世では出会うこともできないがたしかにであっていたという実感が気持ちの残る、そういう映画であったなあと反芻していたりするのです。
法事というのは、まことに私的な親戚の縁に連なる者たちの営みに過ぎないのですが、その周辺と背景にどっかりと堆積する人類史を感じることができるのは、なかなか悪くない感触でした。
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