2017年5月13日土曜日
あからさま
昨日(5/11)のBSフジTVを観たら、「発射されたミサイルやその基地を攻撃するより、平壌を攻撃する方がいいんじゃないですか」と司会が問い、出演者がやりとりしている。えっ、と思ってしばらく、見とれたね。画面には、北朝鮮から飛んでくるミサイルの絵と、それを迎え撃つ地対地ミサイルや艦対地ミサイル、偵察衛星、戦闘機の絵が描かれている。まるですぐにでも戦闘状態に入るような雰囲気の言葉。タイトルは「敵基地反撃」とあり、その脇に、申し訳程度に「研究」と記している。
出演しているのは前防衛庁長官や元空将など、防衛と戦闘にかかわる人たち。北朝鮮の暴発が懸念されているとは言え、これほどあからさまに「平壌攻撃」とか「敵の攻撃意思を叩くことが最も効果的」とやり取りがなされると、これはもうはっきりと「日本は北朝鮮と敵対関係に入った」と宣言するようなものだ。小野寺五典・元防衛庁長官は「日本は専守防衛ですから、敵の攻撃意思を砕く(平壌攻撃)という戦略をとることはありません」と繰り返し表明し、しかし、「でも移動する何百という敵のミサイル発射台を探索して反撃するというのは、ほとんど空想に近い」と司会者は食い下がる。同席する元米軍関係者(だろうか)が、米軍と自衛隊との関係が変わってきていると助け舟を出している。つまり、日本国憲法が「専守防衛」で縛っている部分は米軍が担うと考えれば、まったく制約なしで反撃できると、。同時に昨年の「集団的自衛権」の法的整備以来、米軍と自衛隊の関係が変わってきている。これまでは、敵基地反撃の先端を担う米軍を後方で支える自衛隊という垂直的関係であったものが、並列的な関係、つまり、攻撃領域を棲み分けるなどの協働関係に移行している、と。
まるで昔の「三ツ矢研究」を公開TVでやっているようなものだ。たしかに、公然とこのような「論題」を行うのは、自衛隊の反撃能力がどのようになっているかを国民に広く知らしめる点では、内密にやるよりもいいと私は、思う。だが、それが「論題」となっている限定を、よほど繰り返し強く明確にしておかなければなるまい。北朝鮮と日本とがはっきりと敵対関係に入ったという想定自体が、視聴者に「期待」を懐かせてしまうからだ。バブル崩壊以降の、日本における中流の没落と若い人たちの暮らしの下層化は、現在の日常に閉塞感を懐く人たちを多く輩出している。ひとつ朝鮮戦争でも起こってと期待する気分が満ち満ちていたとしてもおかしくない。
もうひとつ、ある。上記の「期待」ともかかわるが、情勢を見誤らせてしまう。はたしてそのような敵対的関係として北朝鮮を挑発するところに、東アジアの情勢はきているのだろうか。そう思っているのは、アメリカのトランプ大統領だけなのではないか。日本の首相も、その緊張感に、わが身に降りかかる国内問題が霧消することを期待しているのかもしれないが、まさか先頭に入ることがあろうとは考えてもおるまい。だが、連日のTVのワイドショーで北朝鮮の狂気が喧伝されると、まるで北朝鮮のミサイルがいまにも日本の中枢にむけて飛来するという危機感が蔓延して、情勢の基本をみうっしなってしまう。
いまの北朝鮮をみていると、まるで太平洋戦争に突入する直前の日本をみているようだ。打つ手打つ手が封じられ、ついに爆発せざるを得ないように追い込まれていく。暴発させて叩いて壊滅させるという戦略が建てられているようにみえて、気が気でない。たしかに北朝鮮の国際関係における傍若無人ぶりは、度を越している。だが戦前の日本も、欧米の先進国からみると、北朝鮮の振る舞いと同じように傍若無人に見えたのではないか。
外交努力というのは、国民の眼から見ても、時間もかかるし、まどろっこしい。圧倒的に力をもつものが、外交的な尽力よりも、軍事力にものを言わせて平伏させるほうが、すっきりと明快に思える。しかも、具体的な「敵基地反撃」の有効性を論議するTVの報道が、国民の間に危機感をあおる役割を果たして、外交的な領域の尽力を見えなくしてしまう効果をもつのではないか。
独立独歩の道を歩む力のない日本だから、諸国の様子をうかがいながら舵取りをすることにはなる。それが外交だと考えれば、もたもたするのも致し方ない。ただ、どういうグランドデザインを描いて取り組むのか、そういった遠景の見えるコンセンサスを築く様子が提示されていれば、目先の限定局面における取組を公に論議するのが、世論を煽ることにはならないであろう。そんなことを思った。
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