2017年5月22日月曜日

戦後の後の女一代記(中) お金の使い方


(承前)
 病気を克服したsnmさんはすっかり会社から手を引いていました。あるとき、証券会社に勤めていた下の子が親もとに戻ってきていいかと相談があった。もちろん悪くないと思ったのだが、ご亭主に話すと、会社はもうすぐ潰れるぞ、うちの会社で働くことはできないよ、という。


snm:2008年のリーマンショック後に中小企業金融補助制度ができて、保証なしで借金できるようになったのをいいことに、借り手があればいくらでも貸したいと考えていた銀行から、ご亭主は借金を重ねていた。その返済が限度に来ていたことを、初めて知った。そのとき頭をよぎったのは、妹の亭主がお金のことで首をつって死んだこと。娘たちの父親の首をつらせるわけにはいかない。

snm:呉服商を商っていた父親は始終お金の工面に奔走していた。むかしは「掛け売り」だったんよ。「通い帳」があって、それをもって回収に歩いていた。年を越せば払わなくてよいという商習慣もあったから、年末の「紅白歌合戦」なんか聞いたこともない。ときには子どもの私に「通い帳」をもって回収してくれば、それを全部お小遣いであげるよと言われたこともあった。呉服商というのは、扱うお金が高額だから、それだけ「掛け売り」の回収できないことは大きく響くのね。

(「掛け売り」が終わったのはいつごろ?)
snm:カード会社ができてからかな。そう、信販会社よ。

(今はどういう支払い方?)(たいていは90日後。請求が出るのが30日後だから、最長四か月後ですね、とiskくんが言葉を挟む。)
snm:それから後は、「回し手形」にして仕入れ先に支払うようにしたのだけど、手形で買うと高いのね。父親は生涯お金のことで走り回り、結局お金で死んだと思うとるんよ。だからお金では死ねん、そう思うたん。

 ともあれ窮地に立っているご亭主の会社の破産を避けるために、お金に振り回されるようになった。弁護士に相談して亭主名義の預貯金口座の名義を書き換え、老後に備えて用意しておいた屋敷の名義も書き換えて、司法書士に頼んで「(ご亭主が)破産しても差し押さえられることがないように」措置した。家も子ども名義にし、会社のビルだけ亭主名義にしておいて、4000万円いれて銀行保証を外し、月に110万円ずつ返済してきました。ほとんどsnmさんが養っている状態でしたね。

snm:銀行でね、直談判するんよ。男ってのは、すぐに要件に入らないで、時候の挨拶をしたり、遠回しに話したり、時間ばかり使うのよね。
(それはそれで、必要なことなんよ、とiskくん)
snm:亭主はお金がなくて、いつも借りる立場だから、銀行には腰が低い。でも私は返す方だから、単刀直入に本題に入る。銀行の係員は「貸してやってるんだ」と言わんばかりの口上を言うので、支店長にそれを告げてやったら謝るってこともあった。亭主は金勘定ができない。経済的なセンスがないのね。だから窮地に立つと、私が乗り出す。支払いも私が負担する。

(惚れた弱みね)
snm:いやそうじゃない。私は子どもが欲しかっただけ。だけど、子どもにとっては父親は父親だし、そこをきちんとしておいてやるのは、親の責任でもある。自己破産する道もあった。でも、破産宣告を受けると年金はもらえるけど選挙権がもらえない。

(いやそういう人がいるよ。私の同業者で、行き詰ると自己破産して、奥さん名義の会社を起ち上げて、同じ営業をするっていう人。二度も三度も自己破産している、とiskくんが言葉をつぐ。)
snm:東京のようなら都会ならそれはそれで平気で生きていけるでしょうけど、岡山の田舎町では、とてもそこで生きていくわけにはいかない。みんな顔も名前も知っとるんじゃから。

(どうして別れなかったの?)
snm:亭主は一人では生きて行けん。人助けかな。亭主とは生き方が違う。外面がいいの。亡くなった衆議院議員のH.R.が選挙に出るってときには、ひとつビルを建ててそこを選挙事務所にして、後援会長を引き受けたりする。いまの市長が初めて選挙に出るときにも、亭主がもっている〇〇党員の名簿をもとに全面的に後援をして、市長に押し上げる。いつかも言ったことがあるんよ。「そんなに選挙が好きなら、自分が出たら? 選挙資金くらいは出してあげるわよ」って。だけど亭主は、二番手がいいのね。自分が先頭に立つのは好みではない。裏方に徹して「頭」を乗せた神輿をかつぐのが好きなのよ。社会的な評価はすごくいいの。選挙の応援演説などもきちんとこなす。

(あっ、おれ、選挙演説しているのを見たことがある。すごく興味があるね、ご亭主の生き方。)
snm:でも、懐勘定はすっかりダメ。亭主のそういう生き方に私は干渉しない。好きにしなさいって。歳をとって気持ちがつながっていないというのはちょっと寂しいけど、それはそれで私が選んで来た道よ。つい最近、娘たちに父親の会社の破綻と債務支払いのことを話したら、「お母さんそれなら、離婚しなさいよ」と言ってくれた。でもねえ、この歳までやってきて、いまさらとも思うし……。

(あのな、夫婦ってのはな、75歳になったときと若いときとでは違うんよ、とkmkさんが口を挟む。むかしの同窓三人娘がつるんで遊んでいたころの気配が甦っているのかもしれない。)

(まるで古代ギリシャのポリスの市民みたいだね。一家に一人の「市民」がアゴラに集まって政治をする。戦争になったら武器食糧をもって戦いに行く人ね。それが社会的な活動。経済的なこと、うちの家計とか、どうやってそれを稼いでいるとかはプライバシーだから、奴隷をつかっていようとどうしていようと、それに触れないって時代の「市民」みたい。ご亭主が市民、snmさんは家計担当、つまりプライバシーだから裏方に回る。それでバランスがとれている。)
snm:う~ん。「男は信用」っていうでしょ。社会的な評判が「自己破産」しては帳消しになるよね。そういうのって、かわいそうでしょ。

(あなたは、面倒見るのが好きなのよね)
snm:そう。たしかに、人の面倒を見るのは好きですよ。みてられんのよ、しおれてる亭主をみるのは。

(でもねえ、snmさんのような強い女と結婚したいって男の人は思いますか? とつい先ほど遅れて入ってきたmdrさんが口を挟む。)
(しばし、…………。)
(そういう話の文脈じゃないよ)
(でも、「案内」の「お金の話」ではそうじゃない?)
(いや、あなたはお金を使う人、snmさんのいままでの話は、お金を稼いで借金返済に回す人よ。お金をみている立場が違うの)

(snmさんがお金を稼ぐ強い女だから、ご亭主がそれに依存して散財浪費するっていいたいわけ?)
(でも長年連れ添っていると、夫婦って似た者同士になるんじゃない?)
(う~ん、そうでもないよ)

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 さて、いろんな方面へ「お金の話」が転がっていきそうな気配になって、終わりの時間が迫ってきました。snmさんは、こうした話をきっかけにして皆さんとお会いできたことがうれしいと、「まとめの話」をして締めくくりました。しかし、彼女の「半生記」は、ちょうど日本が高度経済成長を遂げ、バブルがはじけ、低迷する20年を超えて現在に至る、そのちょうど真ん中に生きてきた証言のように感じました。その出立点にあたる、高校卒業までの間にみていた風景が、私たちと重なります。その後の、大学へ行来、卒業してからの径庭は、人それぞれに異なりますが、でも親世代から受け継いで子どもたちへと受け渡してきたものには、同じものがあると、私は思いました。それらが何であったか。次回にそれに触れて、いくことにしましょう。(つづく)

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