2017年5月9日火曜日

チベットはすでに郷愁の里か


 チベット人監督・ソン・タルジャの『草原の河』(2015年)を観た。中国製のチベット映画である。なぜこんなややこしい言い回しをするか。映画の最後に表記される制作者、出演者、協賛企業などのいわゆるクレジットタイトルが、まずチベット文字で、次いで中国語で、さらに英語で付け加えられている。登場人物は、ほとんどがチベット人。だから、チベット語がとり交わされる。広い草原、雪をかぶった山並み、凍りつく河、積もる雪、羊の群れ、狼の登場、いずれもチベットの大地固有の景観を醸す。しかも物語は、老いた父親と息子の確執、若い夫婦の齟齬、生まれてくるまだ見ぬ弟妹と幼い娘との心理的葛藤、父、母と幼い娘の交歓を拾って、そうだよなあ、こうやって私たちはおとなになって来たんだよなと、時と処と時代こそ違え、心底からの共感を呼び起こす。だが、違和感が消えない。それが、ややこしい言い方になる。


 違和感というのは、私が十二年ほど前に20日ほどチベットを西の方まで旅して刻んだチベットの印象と、決定的な差異をぬぐえないからだ。私の旅は、チベット仏教の聖地・カイラスを回り、ついでにチベットの奥地にまで足を運んでみようという、観光旅行であった。たまたま旅行社が企画していた不成立の旅行プランに応募していた人たち3人と私たち夫婦の5人で、ネパール人ガイドがついて、三週間ほどをチベット高原で過ごした。平均標高4000mのチベット高原は、幸いにも、さほど高山病に悩まされることなく、しかし、夏とは言え寒さに震え、降雪に行程変更を迫られるなどの旅らしいトラブルにも遭遇し、ともかく予定を全部こなして無事に帰還した。

 そのときの大雑把な印象を一言で言うと、チベットは漢民族に制圧されつつあった。チベット人の町(集落)は、それとは離れた別の地域に新設された(同じ名前の町の)役所や店舗や宿や食堂にやってきて集住する漢民族の賑わいと異なって、ひっそりと昔のまゝに捨て置かれていた。主要地点には銃をもった兵士が検査をする関所が設けられ、私たちの荷物(ことに印刷物)をチェックし、兵士がわからないものがあると、「これは何か」と厳しく詮議された。うちのカミサンが往路のタイ航空でもらった搭乗記念ワッペンをバッグに入れていたために、なぜこんなものをっもっているのか、これはなにを書いているのかなどと(中国語で)問いただされ、ネパール人ガイドがチベット人現地ガイドと一緒になって説明するが、兵士の理解外のことであったらしく、ずいぶんと手間をとったことを、憶えている。チベットの独立への動きが(たぶん)緊張状態にあったのだろう(と、思う)。

 また、チベット人の、その日暮らしのちゃらんぽらんさも印象深かった。車のラジエーターが故障し、水の漏れている個所をガムを詰めたりして応急処置をし、とりあえず、途中水の流れている小川で水を補給してその日の旅を続ける。だが、目的地に着けるとそれ以上の手当てをするでもなく、また翌日に水漏れが起きると小川を探すという体たらく。これでは漢民族にかなうわけがないと思った。暗く、陰鬱な、虐げられたチベット人の暮らし。見知らぬ土地で新天地開拓の意欲に燃える漢民族、それに対する中国政府の、軍事的、経済社会的、政治的な全面支援。チベットは漢民族に乗っ取られつつあるという印象が強烈であった。これは、西蔵鉄道が開通する前である。

 ところが映画『草原の河』は、完璧にチベット遊牧民の日常の暮らしを切りとっている。それはそれで、近代的な社会関係を味わう前の、なつかしさを誘う光景であり、原初的な人と人とのかんけいを掬い上げているから、私たちの脳幹に響く雰囲気を湛えている。チベット人監督の、チベット語による表現を中国映画として制作し、ベルリン国際映画祭に出品し、上海映画祭でアジア新人賞を受けるという実績を誇らしげに掲げる。これは、チベットの制圧がほぼ完了したという中国政府の自信の表れなのであろう。すでにチベットは、郷愁を誘う里になり果てたか。私はそう思った。

 キャッチコピーは、《生と死の無垢と残酷。みずみずしい感動に満ちた一作が誕生しました。》と嬉しそうだ。もし私がチベットを訪れたことがなければ、このキャッチコピーを、そのまんまに受け容れたであろう。だが、チベットの人びとは、「みずみずしい感動に満ちた」暮らしの中にあるであろうか。それが気になって、しかたがない。

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